2018年03月28日

残業時間の上限規制で残業代は本当に減るのか

経済研究部 経済調査部長 斎藤 太郎

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4――残業時間の上限規制で削減される残業代の試算

労働者が実際に働いている時間を把握するためには「労働力調査」のほうが適切だが、実際に支給されている給与に対応する労働時間をより正確に反映しているのは「毎月勤労統計」のほうと考えられる。新たな残業時間の上限規制を超えて働いている労働者は少なくないが、実際に残業代が支給されている残業時間に絞ってみると、その対象となる労働者は極めて限定的である可能性が高い。
図表8 雇用者報酬の内訳 内閣府の「国民経済計算」によれば、2017年の雇用者報酬は274.3兆円だが、そのうち雇用者の給与所得にほぼ該当する賃金・俸給は232.9兆円、残業代は14.4兆円と推計される6。このうち、残業時間の上限規制によって月間残業時間60時間以上の残業代が全て削減されたと仮定しても、その大きさは年間0.5兆円、残業代の3.4%、雇用者報酬の0.2%にすぎない(図表8)。データ上の制約もあるためこの試算結果はかなりの幅をもってみる必要があるが、残業時間の上限規制が導入されたとしてもマクロ的な影響は限定的にとどまる可能性が高い。
 
6 国民経済計算では雇用者報酬は2017年まで公表されているが、賃金・俸給は2016年までしか公表されていない。ここでは、2016年の雇用者報酬に対する賃金・俸給の割合を用いて2017年の賃金・俸給を推計した。また、残業代は、毎月勤労統計の現金給与総額に占める所定外給与の割合を用いて推計した。
 

5――まとめ

5――まとめ

「労働力調査」には、管理監督者や裁量労働制など労働時間規制の対象除外となっている労働者の残業時間やサービス残業が含まれる分、「毎月勤労統計」よりも労働時間が長くなっている。残業時間の上限規制によって削減される残業代を試算する際には、実際に手当が支給されている「毎月勤労統計」の残業時間を用いることが適切と考えられる。

しかし、「毎月勤労統計」では一人当たりの平均労働時間は公表されているが、労働時間別の雇用者数を知ることができない。本稿では労働時間別雇用者数が公表されている「労働力調査」のデータを加工することにより、実際に残業代が支払われている残業時間のみを反映させた労働時間別の雇用者数を推計した。「労働力調査」と「毎月勤労統計」の月間労働時間の差17.4時間のうち、残業手当の支給されない労働者の残業時間による部分が6.0時間、サービス残業による部分が11.4時間と推計される。残業代をフルに支給されて月間60時間以上残業している雇用者は全体の1%程度にすぎないため、残業時間の上限規制が導入されても、実際の残業代の削減幅は雇用者報酬比で0.2%にとどまり、マクロ的な影響は小さいだろう。
図表9 実質GDPと所定外労働時間(全産業)の推移 むしろ懸念されるのは、長時間労働を是正するために生産活動の拡大に必要な残業時間まで削減されてしまうことである。今回の景気回復局面では実質GDPが2016年入り後、8四半期連続のプラス成長を記録するなど順調に伸びているなかでも所定外労働時間はあまり増えていない(図表9)。このことが労働生産性の向上を意味していれば問題ないが、実際には労働生産性(実質GDP÷労働投入量)は低下し続けている。労働時間が減少する一方で、雇用者数が高い伸びとなり、労働投入量(常用雇用指数×総労働時間)が実質GDPを上回る伸びとなっているためだ(図表10)。
図表10 低下する労働生産性 景気拡張期において、企業はまず既存の労働者の残業時間を増やすことによって生産活動の拡大に対応し、それだけでは対応しきれなくなってよりコストの高い新規雇用の採用に踏み切ることが一般的だ。しかし、政府が「働き方改革」を推進するなかで、企業は残業時間を増やすことを躊躇し、コストの高い新規雇用の増加を優先している可能性もある。このことは企業の収益力の低下につながるとともに、既存の労働者にとっては景気が良いにもかかわらず所得が増えないため、消費の活性化につながりにくい。また、将来的に人手不足が一段と深刻化し、新たに人を雇うことが難しくなった場合には、残業時間を増やせないことが経済成長の制約要因となることも否定できないだろう。

「労働力調査」と「毎月勤労統計」の労働時間の差がこの数年ほとんど変わってないことは、「働き方改革」が強く意識されるなかでも、サービス残業が減っていない可能性があることを示唆している。長時間労働の是正が重要であることは確かだが、生産活動の拡大に必要で残業規制と無関係の残業時間や残業代を削減するよりも、サービス残業の根絶を優先すべきであることは言うまでもないだろう。
<参考文献>
遠藤裕基(2018)「働き方改革で残業時間は抑制されているのか」浜銀総合研究所「Economic View」 No.7
 
神林龍(2010)「1980年以降の日本の労働時間」樋口美雄編『労働市場と所得分配』慶応大学出版会、159-197ページ
 
黒田祥子・山本勲(2014)「労働時間の経済分析」日本経済新聞出版社
 
酒井才介(2018)「残業規制で2.6%の賃金減」みずほ総合研究所『みずほインサイト』2018年3月7日
 
大和総研(2017)「日本経済見通し:2017年9月」日本経済予測Monthly
 
本田幸久(2017)「景気との連動性薄れる所定外労働時間」日本経済研究センター『経済百葉箱』 第106号
 
労働政策研究・研修機構(2014)「裁量労働制等の労働時間制度に関する調査結果」
 
労働政策研究・研修機構(2005)「日本の長時間労働・不払い労働時間の実態と実証分析」労働政策研究報告書  No.22
 
 

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斎藤 太郎 (さいとう たろう)

研究・専門分野
日本経済、雇用

経歴
  • ・ 1992年:日本生命保険相互会社
    ・ 1996年:ニッセイ基礎研究所へ
    ・ 2019年8月より現職

    ・ 2010年 拓殖大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2012年~ 神奈川大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2018年~ 統計委員会専門委員

(2018年03月28日「基礎研レポート」)

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