2017年11月16日

麻酔医療の現状-これからの麻酔医療は、誰に担ってもらうか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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3|全身麻酔は導入時が重要
全身麻酔を飛行機の操縦に例えると、麻酔の導入は、離陸・上昇に相当する。導入時には、不測の事態が生じることがあり、臨機応変な対応が必要となる。麻酔科医が、緊張を強いられる局面とされる。その様子を、順を追って、見てみよう。
図表17. 全身麻酔での麻酔導入の流れ
(1) 麻酔導入時は、気道確保まで、息の抜けない状況が続く
1) 患者入室
タイムアウト後、手術室に入室した患者に対して、氏名、生年月日、手術部位などの口頭確認を行う。これは、手術患者の取り違えのミスを防ぐ目的がある。併せて、声をかけることにより、患者の緊張をほぐす狙いもある。なお、これと同時に、病棟看護師から、手術室の看護師へ、患者の状態についての申し送りが行われる。

2) バイタルサイン取得と静脈ルート確保
患者に、手術寝台の上に横になってもらう。患者に対し、心電図、SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)モニター、血圧計を装着して、脈拍、SpO217、血圧などのバイタルサイン18を取り始める。次に、点滴を設置するための静脈ルート確保(静脈への穿刺、カテーテル留置、点滴回路の接続)を行う。

3) 前酸素化
外科医(手術医)が手術室に登場したら、麻酔導入を開始する。まず、患者の口に、酸素マスクをのせる。患者に何回も深呼吸をしてもらい、SpO2の上昇を促す。このように、十分に、酸素化と脱窒素化を行うことで、患者が入眠した後、しばらくの間、無呼吸の状態にも耐えられるようにする。この操作は、前酸素化と呼ばれる。

4) 気管挿管による気道確保
鎮痛薬、鎮静薬と、微量の筋弛緩薬を投与し、併せて、マスク換気を確立する19。換気を確認した上で、筋弛緩薬を本格的に投与していき、その効果を待つ。そして、患者を開口させて、喉頭鏡を差し込む。喉頭を展開して、声帯が確認できたら、気管チューブを挿管(これは、気管挿管と呼ばれる)する20,21

気管チューブをマーカーが声帯を超える位置まで進めた上で、喉頭鏡を抜く。酸素や麻酔ガスの漏れを防ぐために、チューブ横のカフ(気管チューブの先端付近に付属している風船状の部分)にエアーを注入して膨らませ、チューブと気管壁の隙間を埋めて、フィットさせる22。換気の状態を、目視とモニターで確認する。聴診により、片方の肺だけで換気(片肺挿管)されていないことや、胃の中に送気(食道挿管)されていないことなどを確認する。その上で、マスクを外して、気管チューブを固定し、人工呼吸器と吸入ガスの設定を行う。更に、胃液の除去と、胃膨満の解除のために、胃管を挿入する。こうして、全身麻酔の導入が完了する。

4)' 声門上器具による気道確保
なお、気管挿管の代わりに、ラリンジアルマスクを用いる場合もある23。この場合は、喉頭鏡は使わず、気管へのチューブの挿入は行わない。チューブがついたマスクを咽頭部に留置することで、換気を行う。その際、カフにエアーを注入して膨らませ、チューブを喉頭にフィットさせる。原則として、筋弛緩薬は使用しない。ラリンジアルマスクによる全身麻酔は、手術時間が3時間以内で、出血などの手術中の意図せぬ事象が少ないと考えられる症例、手術時に仰臥位(仰向けに寝ること)をとることが可能な症例、といった条件を満たす場合に用いられる。

ラリンジアルマスクは、気管挿管に比べると、気道確保が確実ではないとされる。例えば、喉頭痙攣を起こすと、換気不能または換気困難に陥る危険性がある。一方、ラリンジアルマスクは、医師にとって比較的手技が容易である。また、患者にとって、非侵襲的であり、身体面の負荷が小さい。薬剤の面では、筋弛緩薬が不使用または最小限の使用で済む、という長所もある。

チューブがついたマスク様の器具を咽頭部に留置して、換気を行う器具を、声門上器具と呼ぶ。ラリンジアルマスクは、その代表的なものである。声門上器具は、手術の部位や、手術時の患者の体位に応じて、様々な工夫や改良が進められており、現在、多くの種類の器具が利用可能となっている24
図表18. 気管挿管と声門上器具の比較
 
17 動脈で、酸素と結合しているヘモグロビンの割合のこと。正常では、動脈血中の98~99%のヘモグロビンが酸素と結合している。呼吸の状態を知る、手がかりとなる。
18 生命徴候を示す手がかりのこと。一般に、周術期中のバイタルサインとして、血圧、脈拍、呼吸、体温、意識、尿量が重要とされる。
19 マスク換気困難の予測因子として、顎ひげ、歯牙欠損(マスクがフィットしにくい)、いびき、肥満(気道閉塞気味)、55歳以上、肺・胸郭が硬い(筋緊張増加)が挙げられる。
20 喉頭展開の基準として、Cormack分類が有名。声門の見え方により、4つの段階に分類する。Mallampati分類でクラス3や4のような気管挿管困難なケースは、Cormack分類で、3, 4段階となって声門がほとんど、又は全く見えないことが多い。この場合、枕の高さを高くして、甲状軟骨を圧迫するなどの措置がとられることがある。
21 なお、口腔外科手術の場合などでは、口からではなく、鼻から挿管する方法(経鼻挿管)がとられる。
22 7~8歳以下の小児は、気管挿管で声門下の部分に損傷を受けたり、刺激で浮腫を生じたりして、気道の狭窄や閉塞を起こすことがある。このため、通常、カフの付いていない気管チューブが用いられる。
23 ラリンジアルマスクは、イギリスの麻酔科医Archie Brain氏によって、1983年に開発された。イギリスで1987年に、日本では1988年に、臨床使用が可能となった。
24 例えば、胃管挿入が可能なスプリーム、プロシール。挿入のしやすさを工夫し、気管挿管の導管としても活用できるi-gelTM(アイジェル)、air-Qなどが挙げられる。


(2) 換気困難・挿管困難の事態には、救急医療と同様、的確な判断と処置が求められる
気管挿管による気道確保では、胸のせり上がりの視診、呼吸音の聴診、呼気二酸化炭素濃度のカプノグラムのモニター確認が、成否判断の基本となる25

気道確保は、全身麻酔導入時の大きなポイントである。気道確保ができなければ、低酸素血症となり、死亡または重篤な脳障害に陥る恐れがある。これは、換気困難・挿管困難(cannot ventilate, cannot intubate, CVCI)と呼ばれている。日本で1998年のCVCIの発生状況を調査したところ、発生率は、0.017%であったとの研究結果もある26

日本麻酔科学会は、2014年7月に、CVCIに対応する「気道管理アルゴリズム」を公表している。気道管理をグリーン、イエロー、レッドの3つのゾーンに分けて、具体的な対処手順を示している。
図表19. 麻酔導入時の気道管理の流れ (概要)
このように、気管挿管は、困難を伴う場合がある。これに対して、2006年には、喉頭鏡に小型カメラを設置して口腔内の様子をモニター画面で確認しながら気管挿管を行う、エアウェイスコープ® が発売されている。気管挿管を、より確実に実現するための、医療機器の開発が進められている。

25 カプノメーターで患者の呼気二酸化炭素を常時、モニター画面にグラフ表示する。その波形がカプノグラムと呼ばれる。日本では1981年に臨床使用が開始された。
26 “Survey of patients whose lungs could not be ventilated and whose trachea could not be intubated in university hospitals in Japan”T. Nagaro et al(Journal of Anesthesia(2003), 17:232-240)より。質問票を83医療機関に出したところ、60医療機関から回答が得られた。151,900件の全身麻酔中、26件でCVCIが発生していた。
27 輪状甲状膜は、甲状軟骨と輪状軟骨の間にある靭帯。輪状甲状膜の穿刺や切開は、気管切開より侵襲度が低い。


(3) 薬剤の導入方法は、特性を踏まえて、選択される
全身麻酔の薬剤の導入には、いくつかの方法がある。通常は、急速導入法または緩徐導入法が用いられる。特殊な方法として、意識下(覚醒)挿管法や、迅速導入法がとられる場合もある。

急速導入法は、これまでに述べたような、静脈麻酔薬を用いて意識を消失させ、筋弛緩薬により筋弛緩の状態になった後に、気管挿管を行う方法である。

緩徐導入法は、吸入麻酔薬の濃度を徐々に上げて、麻酔深度を深くしていく方法。患者が入眠後に、静脈ルート確保を行う。この方法では、筋弛緩薬を用いないという利点があるが、麻酔導入に比較的時間がかかる点が難点となる。

意識下(覚醒)挿管法は、通常の導入では気道確保や気管挿管が困難な場合や、飲食から短時間後のフルストマック(胃に内容物があること)28の状態で緊急手術となる場合などに、用いられる。この方法は、医師の熟練を要する点や、患者に苦痛が生じる点が、難点となる。

迅速導入法は、フルストマックの場合に行われる。輪状軟骨部を圧迫して、食道を閉鎖して、胃内容物の逆流を抑えた上で、誤嚥のリスクを避けるために、マスク換気をせずに、筋弛緩後に、ただちに気管挿管する方法。この方法では、CVCIの発生の可能性があるとされる。
図表20. 薬剤の導入法の長所・短所
 
28 次のような場合に、フルストマックとなる。消化管の病的状態。経口摂取短時間後に緊急手術となった場合。経口摂取時間が経っていても摂取直後に外傷を受けた場合。食道疾患あるいは食道・胃括約筋機能の障害。その他(胃十二指腸潰瘍で胃酸分泌が亢進している場合や、胃出血を起こしている場合など)。これらの場合、胃内容物が逆流しやすく、気管や肺内に誤嚥されて、誤嚥性肺炎を引き起こす恐れがある。
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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