2017年08月28日

EU離脱協議本格化へ-広がり始めた英国経済への影響

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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広がり始めたEU離脱の影響

6月19日に始まった英国と欧州連合(EU)との離脱協議の本格化し、19年3月のEU離脱が現実味を帯びてきた。

英国がEU離脱に動き出した影響は統計でも確認できるようになってきた。

8月24日公表の17年4~6月期の実質GDP(二次改定値)は前期比0.3%と1~3月期の同0.2%に続き低調な内容だった。最大の需要項目である個人消費の伸びが、1~3月期の同0.4%から4~6月期は同0.1%にさらに低下したことが響いた(図表1)。失業率は4~6月もも4.4%と低下基調にあり、雇用面では離脱の悪影響は確認できない。しかし、先進国で広く観察されるように、雇用のタイト化にも関わらず、賃金の伸びは高まらない。他方、英国の場合は、離脱ショックによるポンド安でインフレが高進、実質所得がマイナスに転じたことが、個人消費の伸びを抑えている。

設備投資やICT投資などのビジネス投資の不振も続く。固定資本投資は1~3月の同1.0%に続き、4~6月期も同0.7%と高めの伸びとなったが、全体を押し上げたのは公共投資だ。ビジネス投資は、15年7~9月期がピークで、その後は一進一退。企業業績の好調にも関わらず、4~6月期も前期比横ばいだった(図表2)。
図表1 英国の実質GDP/図表2 英国のビジネス投資

ヒトの動きにも変化

ヒトの動きにも変化

ヒトの動きにもEU離脱に動き出した影響が明確になってきた。

8月24日公表の四半期報告によれば、17年3月までの1年間の移民の純流入は前年同期の32.7万人から24.6万人に減少した(図表3)。

特に顕著に減少しているのはEU市民。EU域外からの移民の19.3万人から17.9万人に対して、EU市民は17.8万人から12.7万人とより大幅に減少した。

EU市民の中でも、2004年5月に新たにEUに加盟したポーランドなど中東欧8カ国(EU8)は16年3月までの1年間の3万9000人にから直近1年間は7000人に激減した(図表4)。新規の流入も減少しているが、英国からの流出も加速している。世界金融危機後の移民の流出は英国内の雇用情勢の悪化で説明できたが、足もとでは雇用情勢自体はタイト。英国とEUとの離脱交渉では英国におけるEU市民の権利を保護する方向で協議が進められているが、在英EU市民、とりわけ国民投票における離脱選択に影響したとされる中東欧からの移民には、国民投票後の英国社会の雰囲気や将来にわたる権利の不確かさが、流出圧力として働いているようだ。
図表3 英国への移民の純流入/図表4 英国へのEU移民の純流出入

離脱協議の進展を待たずに進むEU離脱への準備

離脱協議の進展を待たずに進むEU離脱への準備

EU離脱に伴うヒトの動きの変化は今後一層顕著になる見通しだ。

特に、金融機関は、後述のとおり英国の金融監督当局からも、金融システムの安定と業務の継続性が損なわれないよう、あらゆるシナリオを想定した計画の策定と準備が求められており、単一市場からの離脱に備えて、EU圏内への新たな拠点の新設や増強の動きが加速している。

EU離脱によって、英国に所在するEU機関である医薬品の承認や監督を行なう欧州医薬品庁(EMA)やEUの銀行規則の策定とその実行を監視する欧州銀行監督庁(EBA)も英国外に移転する。移転先の立候補は7月末に締め切られ、EMAには19都市、EBAに8都市が応募した。欧州委員会による適格性審査と審査結果の協議を経て11月のEU27総務理事会の投票で移転先が決まる。職員数は、EMAが890人、EBAが189人だが、移転に伴い、関連する領域の専門家会合などの開催場所も移るため、波及効果は大きいとされる。

離脱協議の進展を待たずにEU離脱に向けた準備は進む。英国民の不安・不満の高まりと潜在成長率の低下が懸念される。
 

第3回協議を前に英国は交渉加速への意欲と一定の柔軟性を示す

第3回協議を前に英国は交渉加速への意欲と一定の柔軟性を示す

6月19日に始まった英国とEUの離脱協議は、8月28日から31日までの4日間、第3回協議が予定されている(表紙図表参照)。

英国は、7月の第2回協議でEU側から「戦略の不明確さ」を指摘されたが、8月15日からの10日間で関税協定、アイルランド問題を皮切りに、離脱後の個人情報の取扱いや、紛争処理、民事司法協力など合計7本の文書を公開、協議への意欲を示した。

一連の文書からは、単一市場からも関税同盟からも去る「ハードな離脱」の立場は変えないものの、「秩序だった離脱」のための姿勢の柔軟化が見られる。例えば、関税協定については、将来的には「可能な限り自由で摩擦のない関税協定」の締結を目指し、離脱からEUとの新たな関税協定が発効するまでの移行期間は関税同盟に留まることを望む姿勢を示した。紛争処理では、EU司法裁判所の「直接」の管轄は終るとしつつ、欧州自由貿易連合(EFTA)裁判所のような枠組みを構築することで間接的な影響が及ぶことは認める方針を示唆した。

第1段階の協議の進展を評価する10月のEU首脳会議を前に協議のペースを加速、19年3月に迫る離脱への不安を少しでも早く緩和したいとの英国政府の思いが伺われる。
 

清算金を棚上げしたままでEUが「十分な進展」を認めることは考え辛い

清算金を棚上げしたままでEUが「十分な進展」を認めることは考え辛い

EU側は、英国の交渉加速への意欲自体は評価しつつ、提言の内容は実体を欠くと評価している。関税協定の文書で英国が掲げた「可能な限り自由で摩擦のない関税協定」を、欧州議会の交渉担当者であるヒー・フェルホフスタット・ベルギー 元首相は「ファンタジー」と切り捨てた。移行期間に関税同盟に残留する間、第3国との通商交渉を求める方針を示していることもネックとなりそうだ。

最大の問題は、第1回の協議で、市民の権利、アイルランド問題とともに第1段階の協議の優先課題とすることで合意したはずの清算金の方針を表明していないことだ(図表5)。
図表5 離脱協議及び将来の関係について英国政府が示した方針
デービット・デービス離脱担当相は、清算金については慎重に協議する方針を表明している。こうした「戦略的遅延」の背景には、国民投票のキャンペーンで離脱のベネフィットを強調した「いいとこどり」の主張との整合性を保たなければならないことがあると思われる。

しかし、EU側は、EUの制度を守るために英国に「いいとこどり」を認めるつもりはないし、EU予算に生じる空白の穴埋めなど、英国の離脱への対応を協議しなければない。

EUが、清算金を棚上げしたまま10月の首脳会議で「十分な進展」を認め、第2段階の離脱後の協議入りを認めることは考え難い。第2段階の協議への道が拓かれるのは、12月13~14日の次の定例首脳会議に先送りされる可能性がある。そうなれば、先行き不透明な状態が長引き、離脱後に関する協議の時間は減る。

英国が精算金問題の「戦略的遅延」の方針を転換しなければ、無秩序な離脱への不安は高まり続けるだろう。
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伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

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