2017年03月28日

韓国における公的扶助制度の現状と課題(後編)-国民基礎生活保障制度の改革と概要、そして残された課題-

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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1――国民基礎生活保障制度の改革(2015年7月1日改正)

近年の経済のグローバル化、産業構造の変化、そして労働力の非正規化の進行などにより所得分配の格差が進み、韓国社会には貧困層が増加することになった。そこで、所得認定額が最低生活費を下回れば、医療や住居などの他の給付も受給できる一方で、所得認定額が最低生活費の基準を少しでも超えた場合、すべての給付が中止される「All or Nothing」をベースにしていた従来(2000年10月から2015年6月まで)のパッケージ給付方式では広がる貧困を防ぐことには限界があった。特に「次上位階層」1と言われている勤労貧困層は、国民基礎生活保障制度のような公的扶助制度や老齢、疾病、失業等の際に利用できる公的社会保険制度の適用から除外されているケースが多く、貧困から抜け出せない状況に置かれていた。そこで、韓国政府は、増加する貧困層に対する経済的支援の拡大や勤労貧困層に対する自立を助長することを目的に、国民基礎生活保障制度の給付方式を「パッケージ給付」から「個別給付」に変更し、2015年7月1日から施行している。

国民基礎生活保障法の給付方式の改正に大きな影響を与えたのは「松坡(ソンパ)母娘3人の自殺事件」だと言える。「松坡(ソンパ)母娘3人の自殺事件」とは、ソウル市松坡区のある半地下の部屋で生活に苦しんでいた母親が「本当に申し訳ありません」というメモと全財産である現金70万ウォンを家賃と公共料金として残して、2人の娘と共に着火炭を焚いて自殺した事件である。母娘3人は2002年にお父さんが癌で亡くなってから、滞納された病院費等の返済に追われ生活に困窮していた。2人の娘は債務不履行2や健康悪化によって継続的に働くことができず、その上に生計の責任を負ったお母さんも突然、腕に怪我をして働けなくなった。それ以降母娘3人は更なる生計困難に追いやられており、結局、2014年2月26日、一緒に自殺するという選択をすることになった。母娘3 人は自殺する3年前に国民基礎生活保障制度の対象者になるための申請をしたものの、母親の所得認定額が最低生活費をわずかに超えていたので、受給対象になれなかった。その後は再申請をせずにお母さんの収入だけでぎりぎりの生活をしていた。この事件を契機に福祉死角地帯の問題の深刻性が社会的に大きく浮き彫りになり、韓国政府は「国民基礎生活保障法」を改正する方向に舵を切ったのである。

2000年から約15年間施行されていた国民基礎生活保障制度は、貧困層が増加する中で受給者の選定基準を厳しく維持していたので貧困の死角地帯の解消に対する対策として適切ではなかった。国民基礎生活保障制度の予算は増加傾向にあるものの、増加した予算は既存の受給者の給付額を増やす方向に働いていたので、その結果死角地帯の貧困層はそのまま放置されるケースが多かった(3節の図表8を参照すると、予算額は毎年増加しているのに、受給者数はむしろ減少(2010年~2014年)していることが分かる)。

今回の法改正では、(1)受給者の選定及び給付の支給基準を最低生活費から基準中位所得に変更、(2)パッケージ給付方式から給付ごとに対象者の選定基準及び最低保障水準を決定する個別給付に変更、(3)扶養義務者基準を緩和し、扶養義務者基準により福祉の死角地帯におかれていた人々に対する受給を拡大、(4)貧困対策に対する政府の義務強化、(5)所管中央行政機関の長による基礎生活保障基本計画の策定等の措置を行っている。

ここで、基準中位所得とは国民基礎生活保障制度の受給者選定の基準となる世帯所得の中位値である(図表1)。既存の最低生活費方式では、国が健康で文化的な生活を営むために必要な最低限度の金額を決め、世帯の所得認定額と比較して受給権を認めることに比べて、基準中位所得方式では、世帯の中位所得と所得認定額を比較して受給権を認める。つまり、受給基準を決定する方式が絶対的基準から相対的基準に変わったといえる。
図表1  基準中位所得(月額、世帯人員別)
 
1 所得が最低生計費の120%以下かつ公的扶助制度である国民基礎生活保障制度の給付対象から除外された所得階層。
2 債務不履行者でも就職することは可能であるものの、給料等が個人名義の通帳に振り込まれないか、給料の差し押さえ等の通知が会社に届くケースもあるので、上司の機嫌を伺うこともあり、普通の人に比べると継続的な勤務が難しいと言えるだろう。
 

2――国民基礎生活保障制度の概要

2――国民基礎生活保障制度の概要

国民基礎生活保障制度の給付は、(1)国家責任による最低生活保障、(2)保護の補足性、(3)自立支援、(4)個別性、(5)他の給付を優先、(6)家族扶養を優先、(7)普遍性を原則に支給されている。また、国民基礎生活保障制度は、受給者の権利を強化する目的で支援金の名称を「保護」から「給与」に変更し、7つの給付(生計(日本の生活扶助、緊急を含む)、住居(日本の住宅扶助)、医療、自活(日本の生業扶助)、教育、出産、葬祭)を提供している3。国民基礎生活保障制度の給付における原則と給付の詳細は次の通りである。
 
1|国民基礎生活保障制度の原則
(1)国家責任による最低生活保障の原則:生活に困窮するすべての国民に国の責任によって最低生活を保障する。

(2)保護の補足性の原則:国民基礎生活保障制度による給付の支給はあくまで補足として適用されるものであり、生活困難者は自分でできることは全て行い、それでも自律が難しい場合に初めて保護を適用する。

(3)自立支援の原則:働く能力のある受給対象者に対しては自活事業に参加することを条件に給付を支給する。

(4)個別性の原則:国民基礎生活保障法が給付水準を定める時に受給者の年齢、世帯規模、居住地域など個別世帯の状況を最大限反映すべきである。

(5)他の給付を優先とする原則:給付を申請した者が、他の制度により給付が受給できる場合には、国民基礎生活保障制度より優先的にそちらの給付を利用すべきである。

(6)家族扶養を優先とする原則:給付を申請した者が扶養義務者により扶養されることが可能な場合、国民基礎生活保障制度より優先的に扶養義務者の保護が行われるべきである。

(7)普遍性の原則:経済的に困窮な者は誰でも国家の保護が受けられる。
 
3 日本との違いは介護扶助が実施されていない代わりに、緊急給付が実施されていることである。
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生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
労働経済学、社会保障論、日・韓における社会政策や経済の比較分析

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