2016年03月15日

韓国における給付付き税額控除制度の現状と日本へのインプリケーション―軽減税率より給付付き税額控除?―

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

文字サイズ

5――日本へのインプリケーション

本章で紹介した韓国の勤労奨励税制は、従来のセーフティーネット機能の改善を検討し、打開策の模索をしている日本にとっても、導入の検討の意義はあるだろう。実際、日本でも勤労奨励税制に対する関心は学識者を中心として以前から持たれており、導入の意義やそれに伴う問題点などが熟議されてきた。森信(2008)は、勤労奨励税制を導入する場合の課題として、以下の4点を挙げている。

(1)政策目標としてどのようなことを掲げ、ターゲットをどの層にするのかを明確にすること。
(2)制度や政策を十分に議論・検討し、ばらまき型の政策にならないようにすること。
(3)制度の悪用による不正受給をどのように防止するかの策を講じること。
(4)税務署が管理や給付を行うので、所得情報を明確に把握できる体制を構築する必要があること。
 
この課題に関して、韓国のケースと照らし合わせて考えてみると、まず、(1)に関しては、日本でも韓国と同様に労働力の非正規化の進行により女性労働者や若年世帯の勤労貧困層が急増しているので、働く女性や若年世帯を政策の主なターゲットとして、韓国と同じ政策目標を掲げて制度を構築することに意義があると考えられる。さらに、韓国政府が最近取り入れた「子どもの数による勤労奨励金の差別政策」は、同様に少子化問題を抱えている日本においても十分得策といえるであろう。
(2)に関しては、両国ともにばらまき型の政策を実施するよりは一人でも長く安定的に働ける雇用を創出する政策に力を入れるべきであり、それこそ、政府の財政を安定させる近道であるだろう。お金をばらまくことが安定的な雇用の場を創出するより簡単だということで、財源を無駄使いしてはならないだろう。
(3)や(4)に関しては、日本では2006年1月からスタートしたマイナンバー制度を十分に活用することで対応すべきである。但し、日本より先に全国民に住民登録番号制度を導入し、個人の資産や預貯金等を把握することが可能であった韓国でも不正受給が発生しており、自営業者の所得捕捉は未だに政府の課題として残されている。このような韓国の事例を参考し、日本ではより効果のある制度の構築を願うところである。
また、一部ではあるものの、軽減税率の代替案として給付付き税額控除を導入すべきだという主張も出ている。安倍政権は公明党の提案を受け入れ、2017年4月に消費税率を10%に引き上げると同時に軽減税率を導入する方向に舵を切っている。しかしながら経済学者を中心として反対の声も少なくない。軽減税率を反対する理由としては、「軽減税率の適用を巡っての政治的ロビー活動が増加する」、「価格体系が歪むことにより資源配分を歪める」、「消費水準が高い高所得者の減税額が多く、結果的に高所得者に有利な政策になる」、「すでに海外で失敗を経験している」などが挙げられる。
2015年12月10日、自民、公明両党は、軽減税率の対象となる品目を酒と外食をのぞく「生鮮食品と加工食品すべて」とすることで合意しており、このまま軽減税率が導入されると消費税率を8%から10%に引き上げた際の税収は約1兆円減ることになる。このうち、4千億円は、消費増税に伴って低所得者向けに使う予定であった財源を利用することで対応可能であるが、残りの6千億円に対してはその財源を確保する方法が全く決まっていない。財源が確保されないと社会保障費の削減も検討されるだろう。
実は、軽減税率の導入費用1兆円は白石が2010年に推計した給付付き税額控除制度の導入費用約1.3兆円にほぼ匹敵する金額といって良い。川口(2015)は、白石の推計結果に基づき、軽減税率の実施と給付付き税額控除制度の導入費用に大きな差がないと説明しながら、給付付き税額控除制度は日本で十分実行できる制度であり、今後その導入に向けて活発な議論が行われるべきであると主張している。
軽減税率の基本的趣旨は消費税率の引き上げに対する「低所得者対策」である。しかしながら、低所得者対策は軽減税率だけではなく他にもある。本文で紹介した給付付き税額控除制度もそのよい例であるだろう。さらに、給付付き税額控除制度は低所得層の労働市場への参加率を高めるという効果も出ている。日本政府が軽減税率の導入だけに偏らず、アメリカや韓国などで先立って実施され、一定の成果を挙げている給付付き税額控除制度の導入も同時に検討しながら、より効果の高い政策を実施することを願うところである。
 
参考文献
韓国語
  • イビョンヒ・その他(2009)『雇用安全網と活性化戦略研究』韓国労働研究院
  • イビョンヒ・その他(2010)『勤労貧困の実態と支援政策』韓国労働研究院
  • イデウン・ゴンギホン・ムンサンホ(2015)「勤労奨励税制の政策効果に関する研究」『韓国政策学会報』第24巻2号
  •  企画財政部(2011)「2011年税法改正(案)」
  • 国会立法調査処(2011)「勤労奨励税制運営実態及び改善方案」
  • キムヨンミ「零細事業所の従事労働者の実態と移動」
  • ゴヨンソン(2011)「勤労年齢層の貧困増加に対応するための政策課題」
  • ジョソンジュ・その他(2009)『勤労奨励税制(EITC)が女性の労働供給に与えた効果分析』『労働政策研究』第9巻3号
  • ジョンヨンジュン(2010)「勤労奨励税制と最低賃金制度の雇用及び厚生増進効果」『労働レビュー』2010年6月号
  • ジョンチャンミ・キムゼジン(2015)「勤労奨励税制の支給基準変更と子ども奨励税制の導入が片働き世帯や共稼ぎ世帯の所得再分配に与える効果」『社会保障研究』第31巻第1号
  • ノデミョン・その他(2009)『勤労貧困層支援政策改編方案研究』韓国保健社会研究院
  • ソンホンゼ・バンホンギ(2014)「韓国の勤労奨励税制の雇用創出効果分析」『経済学研究』第62集第4号
 
日本語
  • 鎌倉治子(2010)「諸外国の給付付き税額控除の概要」調査と情報-ISSUE BRIEF- No.678
  • 川口大司(2015)「給付付き税額控除の導入に向けて」RIETI新春特別コラム:2016年の日本経済を読む
  • 金明中(2004)「IMF体制以降の韓国の社会経済の変化と公的・私的社会支出の動向」-特集:IMF体制後の韓国の社会政策-『海外社会保障研究』No.146
  • 金明中(2011)「韓国における勤労奨励税制(EITC)の現況」『ニッセイ基礎研REPORT』2011/10/24
  • 金今男「韓国の給付つき勤労税額控除制度の概要」森信茂樹編著(2008)『給付つき税額控除』中央経済社
  • 鶴 光太郎「税・社会保障一体改革における給付付き税額控除制度導入意義」森信茂樹編著(2008) 『給付つき税額控除』中央経済社
  • 森信 茂樹(2015)「消費税逆進性対策 ― なぜ軽減税率ではなく給付付き税額控除なのか」
 
 
英語
  • Browning, Edgar K. “Effects of the Earned Income Tax Credit on Income and Welfare,”National Tax Journal, Vol. 48, No.1, 1995, pp.23-43.
  • Dickert, Stacy, Scott Houser and John Karl Scholz, “The Earned Income Tax Credit and Transfer Programs: A Study of Labor Market and Program Participation,” Tax Policy and the Economy,James M. Poterba (ed.), National Bureau of Economic Research and the MIT  Press,  Vol.  9,  1995,pp.1-50,
  • Eissa, Nada and Hilary W. Hoynes, “Taxes and the Labor Market Participation of Married Couples:The Earned Income Tax Credit,” Journal of Public Economics, Vol. 88, 2004,pp.1931-1958.
  • Hoffman, Saul D. and Laurence S. Seidman, “The Earned Income Tax Credit: Antipoverty Effectiveness and Labor Market Effects,” W. E. Upjohn Institute for Employment Research, 1990.
  • Keane, Michael P., “A New Idea for Welfare Reform,” Federal Reserve Bank of Minneapolis Quarterly Review, Vol. 19, No. 2, 1995, pp.2-28.
  • Keane, Michael and Robert Moffitt, “A Structural Model of Multiple Welfare Program Participation and Labor Supply,”International Economic Review, Vol. 39, No. 3, 1998,pp.553-589.
  • OECD(2009a),“Is Work the Best Antidote to Poverty?”,EmploymentOutlook, Geneva: OECD.
  • OECD(2009b),“The Jobs Crisis: What Are the Implications for Employment and Social Policy”, Employment Outlook, Geneva: OECD.
  • V.Joseph Hotz & John Karl Scholz (2001)“The  Earned  Income  TaxCredit” National  Bureau  of  Economic  Research Working Paper 8078.
Xでシェアする Facebookでシェアする

生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
労働経済学、社会保障論、日・韓における社会政策や経済の比較分析

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~  日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

(2016年03月15日「基礎研レポート」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【韓国における給付付き税額控除制度の現状と日本へのインプリケーション―軽減税率より給付付き税額控除?―】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

韓国における給付付き税額控除制度の現状と日本へのインプリケーション―軽減税率より給付付き税額控除?―のレポート Topへ