2016年02月08日

フランスにおける少子化社会脱却への道程の段階的考察-出生率2.0を早期達成したフランスの少子化対策を日本に活かすことは出来るのか-

生活研究部 准主任研究員   天野 馨南子

QE速報・予測 雇用・人事管理 などの記事に関心のあるあなたへ

btn-mag-b.png
基礎研 Report Head Lineではそんなあなたにおすすめのメルマガ配信中!
各種レポート配信をメールでお知らせするので読み逃しを防ぎます!

ご登録はこちら

52161_ext_03_0.jpg
twitter Facebook g+ このエントリーをはてなブックマークに追加 Pocketで後で読む

文字サイズ

図表7 第3フェーズの日本とフランスの出生率の推移 4|フランスの子育て支援策– 第3フェーズ(フランス出生率回復・日本超少子化移行期 : 1993年~現在)

第1フェーズ、第2フェーズのフランスにおける子育て支援施策は、少子化ストップというよりは、むしろ女性活躍推進施策として奏功したことはここまでに述べたとおりである。
第2フェーズにおける子育て支援策「家族給付・育児等手当の見直し政策」は、出生率の低下の度合いを低める働きはあったが、出生率上昇までには奏功せず、フランスの出生率は低下を続けた。
つまり、低下する出生率を反転させる、という意味では金銭的な政策は成功したとはいえないであろう。
先述の通り、それでもフランスの出生率は第2フェーズ中も下がり続け、1993年出生率1.66という出生率の底を経験する。
しかし、つづく第3フェーズでフランスは一気に出生率を回復してゆく(図表7)。

日本はこの第3フェーズの前年の1992年に育児休業法が施行され、育児休業にかかる事業者の義務、労働者の権利が法制化されている。これは日本での第2フェーズにおける急速な出生率の低下(図表5)に対応するものであった。しかし、その後も出生率は急速に下がり続け、2005年には出生率1.26という出生率の底を経験する。日本は現在も含め、第3フェーズは出生率が1.5を下回る超少子化状態を継続中である。
 
この第3フェーズのフランスにおける脱少子化施策を知ることは、ある程度女性活躍が進んでいた(M字カーブが解消し、女性が出産か就業継続か、の二者択一を迫られていない)フランスにおいて、という前提条件はあるものの、少子化対策を考える上で、大きく寄与する政策であると見ることが出来るだろう。
 
 
(1)フランスの出生率が日本の目指す1.8に到達するまでの政策(~2000年)
―「生物時計」周知の奏功 ―

第3フェーズの始まりである1993年はまさにフランスの政権交代の時期であり、左派政権から保革共存内閣がスタートした。1994年7月25日法律(通称シモーヌ・ベイユ法)が成立し、フランスの現金給付中心の家族政策が大きく方向転換することになる。同法は「国家の未来は家族にかかっている。ゆえに家族政策は総合的でなければならない。」(1条)とし、これに基づいて次々と現物給付的な政策の見直しが行われた。
 
現在日本が標榜している出生率1.8にフランスの出生率が回復したのは2000年の1.87である7
この2000年までに行われた金銭的な政策は、
 
 ・「育児親手当APE)」を第3子以降から第2子以降、パート労働にも支給に拡大
 ・家族給付の対象となる子どもを18歳から20歳に延長(大きな子ども政策)
 
という従来からの政策を拡大させたものにとどまっている。
 
この第3フェーズに、「家族政策は総合的でなければならない」という言葉を象徴するかのような、斬新な施策が開始された。少子化をストップさせるための啓蒙キャンペーンが国家を挙げてフランスで開始されたのである。
 
フランスは第1フェーズで述べたとおり、女性が避妊や中絶を選択することが70年代まで法律によって禁止されていた。日本に比べても女性の妊娠出産の自由が長く奪われていた国である。
そのような社会への反発として、70年代にフェミニズム運動(Mouvement de Liberation des Femmes:通称MLF)が発生したのは第1フェーズで述べたとおりである。そのフェミニズム運動の中心人物となった二人の女性思想家によって発表され、MLFのキャッチフレーズとなったのが、”Un enfant, si je veux, quand je veux!” 「子どもは私が欲しいときに産む!」であった。
このキャッチフレーズは、フランスの女性のフェミニズム運動ならびに社会進出のシンボルとなる言葉として、フランスでは広く知られている。しかし、この70年代の女性による生物学的な選択の自由を意味する言葉は、第3フレーズの1990年代に入ったフランスでは、脱少子化の観点ではネックともなっていた。
 
世界銀行のデータによれば、女性の社会進出とともに、日本に同じくフランスでも出産年齢の上昇がおこっていた。70年代は26歳であった出産年齢が90年代には28歳へと着々と上昇する。このことをフランス政府はさらなる出生率低下につながる、看過できない状況であると危惧した。第2フェーズで折角「出産か就業継続か」の二者択一とならない社会に変化を遂げたにもかかわらず、「就業しつつ出産できるなら、とりあえず出産は先延ばしで」という選択がおこなわれつつあることを、平均出産年齢上昇データが示していた。
 
そこで、今から20年前の1990年代、政府はメディア・医療機関・大学等教育機関と連携して「生物時計(horloge biologique)」を社会全体に周知させるキャンペーンを開始したのである。キャンペーンの内容はいたってシンプルである。女性のフェミニズム運動の成果としての”Un bebe, quand je veux!”(欲しい時に子どもは産むのよ!)の意識を、”Un bebe, quand je peux!”(できるうちにに子どもは産むのよ!)に官民一体となって変えてゆく、というものであった。
第3フェーズの1990年代において、メジャーな女性誌や新聞等で年齢的な不妊についての特集が組まれるなど、「生物時計」は社会に迅速に伝わる形で啓蒙が行われた。現在のフランスにおいてはこの「生物時計」の概念は当たり前の知識として周知されている8
 
この取り組みに関して日本では、昨年2015年に公布された平成27年少子化社会対策大綱において初めて妊娠出産適齢期教育が記載されたばかりであり、20年の遅れをフランスにとったことになる。
この「生物時計」に関する官民一体の啓蒙は、その後も現在に至るまで、フランスの重要な人口政策の一つとなっている。
 
 
(2)フランスの出生率が1.8から2.0に到達するまでの諸政策(2000年~2006年)
-もう一押しの政策として-
 
ここからは現在の日本が目指す出生率1.8をフランスが凌駕してからの政策であるので、喫緊の課題として優先的に必ずしも日本がとりくまなければならない政策、というわけではない。しかし、この2000年からのフランスの政策は、現在の日本では見られないものが多く、いずれも先進的な政策であるといえる。そこで、第3フェーズの後半となる2000年以降2006年まで、すなわち、フランスの出生率を1.8から2.0に上昇した期間の新規の主な家族政策について以下、簡単に概観する。
 
事実婚カップルの法的権利付与 
フランスの出生率が1.8を超えた2000年の丁度前年である1999年、フランスでは、婚姻関係にない異性または同性カップルに対して一定の法的保護を保証する「民事連帯契約:PACS」に関する法律が成立した。
フランスの出生率に関する議論として、このような結婚形態の多様性への社会の認容性の高さが挙げられることがある。しかし、事実婚によるカップルの権利が法的に認められたのは、すでに出生率が1.79まで上昇していた1999年であることを指摘しておきたい。
 
日本にみない制度の強化
 
この時期、まだ日本では制度化していない家族政策が次々と強化された。
 1.アシスタント・マテルネル増員(2000年8月1日政令)
 「幼稚園か保育園か」といった施設思考の保育政策が中心となってきた日本に対し、フランスはあくまでも在宅保育を中心に考える特徴がある。そのことが如実に現れている改革といえる。
大幅増員された「アシスタント・マテルネル」とは、日本の制度に引きなおして簡単に言うと、幼稚園教育資格をも持っている保育士であり、保育士の家で、一定数の子どもを預かり保育する。
在宅保育、というとシッターが自宅に訪れることを思い浮かべがちな日本人にはなれない感覚であるが、「幼児教育の資格を持った人が近所の子どもを数人まとめて預かる制度」と考えるとわかりやすい。日本においても保育ママという制度はあるが、このような幼稚園にかわる預け先となる資格は保有していない。
 
 2.親看護手当(allocation de presence parentale)2001年創設
 日本では国の制度として障害児童福祉手当という制度があるが、あくまで障害者にたいして支給されるものとなっている。フランスのこの手当は就労支援手当として支給される面が強調されていることは興味深い。育児や介護によって就労が中断・減少することはあっても「働かない」という選択がなるべくなされない誘導的な政策の面も持ち合わせている。
 
 3.父親休暇(conge de paternite)2002年創設
  -社会保障財政法によって創設。子どもの出産・養子迎え入れの場合、
   父親が11日を上限として休暇を取得可能
 日本では育児・介護休業法により両親平等に休業取得の権利があるとしているため、どうしても歴史的な社会背景から女性が休業取得するパターンとなっている。厚生労働省平成26年度雇用機会均等調査によれば、男性の育児休業取得率は女性の86.6%に対し2.30%にとどまっている。フランスのこの父親休暇は父親のみ取得可能な制度であり、開始初年度には利用者が6割にのぼっている。
 
 
●「生物時計」強化政策として
「生物医学庁(Agence de la Biomédecine)」2004年創設
 
ヒトに関する最先端医療を専門に扱う機関。不妊治療を専門的に管轄する。フランスの全不妊治療機関の許認可を行い、全治療データの収集権限をもち、その解析結果による成果の低い医療機関の指導も行う。フェーズ3の前半で述べた「生物時計」の啓蒙の理念に基づき、不妊治療の開始年齢の早期化による成功率の引き上げを実現させている。
 
フランスの出生率引き上げに関する政策の「最後の追込み時期」といえる第3フェーズ後半。この時期には、徹底した不妊治療の管理が国によって行われるための専門機関が設立された。登録制であるわが国の不妊治療クリニックと異なり、フランスは国の許可制であり、そのパフォーマンスも国によって管理・改善指導が行われている。
 
7 小数点以下第2位を四捨五入するならば、1998年に出生率が1.76となり1.8に到達している。
8 天野馨南子. “「女性活用・女性活躍」で女性が苦しまないために - 女性が真に幸せなキャリアデザインを描くため、私たちが本当に知らなくてはならないこと。”.研究員の眼,2014 、
NHK取材班.産みたいのに産めない―卵子老化の衝撃―.文藝春秋,2013 参照。
twitter Facebook g+ このエントリーをはてなブックマークに追加 Pocketで後で読む
39_ext_01_0.jpeg

生活研究部   准主任研究員

天野 馨南子 (あまの かなこ)

研究・専門分野
少子化対策・女性活躍推進

レポート

アクセスランキング

【フランスにおける少子化社会脱却への道程の段階的考察-出生率2.0を早期達成したフランスの少子化対策を日本に活かすことは出来るのか-】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

フランスにおける少子化社会脱却への道程の段階的考察-出生率2.0を早期達成したフランスの少子化対策を日本に活かすことは出来るのか-のレポート Topへ