2015年11月24日

日本の生命保険業績動向 ざっくり30年史(1) 生命保険会社数の変遷-バブル前夜から現在までに生まれた会社、消えた会社

保険研究部 主任研究員 年金総合リサーチセンター・気候変動リサーチセンター兼任 安井 義浩

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生命保険会社では、毎年5月に年度末決算の発表を行なっている。筆者は現在、それを見て各年度の生命保険業界の業績関係の動きを振り返る作業をしている。(毎年の「基礎研レポート 20xx年 生保決算の概要」をご参照。最近は「生保」というと、「生活保護」のほうを想像する人のほうが多いかもしれないが。)

しかし当然のことながら、毎年の業績を見ていても、変化は少しずつしか感じられず、それが一時的なものなのか、大きな流れの中にあるのかということは、なかなかわからない。

そこでもう少し長い期間を、一挙に眺めてみたらどうだろうか。

「長期間」というのもいろいろ考え方はあろうが、例えば戦前までさかのぼって業績をみても、特殊な話題でない限りは、今日への影響はなさそうである。今日までにつながる変化が始まった頃から、となると、日本経済がバブル期に向かう頃から、という見方があるのではなかろうか。

というわけで、1985年頃からの約30年の動きを、今後何回かで追ってみることにしたい。特に業績や収支動向を中心に見ていくつもりだが、保険業法の改正や会計基準の変更などもその背景にあったりするので、同時にそういった動きにも触れることになりそうだ。また当然、生命保険会社のディスクロージャー項目は充実してきているので、昔のデータはない、という困った事象もありそうだ。
 
業績や収支状況に入るまえに、今回は生命保険会社の数の変遷を、ざっとみてみる。
生命保険会社の数といっても、年度途中での破綻もあれば、合併もあるので、初っ端から、その定義には少々悩むのであるが、今後決算情報をみていくことを考慮して、ここでは各年度末決算発表時の会社の数とした。今後収支状況や資産構成の変遷をみるつもりでいるが、そうした場合はますます混乱する場面もでてきそうだが、30年程度の長期のトレンドに着目する主旨から、細かいことは気にしないことにする。
 
生命保険会社数(年度末)


年度末の生命保険会社・・・28社
日本、第一、住友、明治、朝日、
三井、安田、太陽、千代田、東邦、
協栄、第百、富国、大同、日本団体、
東京、日産、平和、大和、大正、
西武オールステート、INA、ソニープルデンシャル、
アリコジャパン、アフラック、コンバインド、ユナイテッドオブオマハ、ナショナルライフ
 
1985年前後は、会社数の変化はない。国内社23社、支店形態で日本に進出している外国社5社の計28社という状況が、しばらく続いている時代があった。その後エクイタブル、プルデンシャル、アクサといった、外国生命保険会社が参入してくる。

1996年には、抜本的に改正された新保険業法が4月から施行され、生損保の相互参入が実現した。損保系の生保子会社11社が一気に加わり、同時に欧州系2社も新規参入したこともあって、会社数は大幅に増加した。

しかし、1997年から2000年にかけて、資産運用環境の悪化を主要因として、従来よりあった国内会社数社が破綻したため、国内勢は減少したが、一方で外資系も加わってきて、「形式上」生命保険会社の数がもっとも多かったのは2000年度の49社ということのようだ。形式上といったのは破綻した会社であっても、新契約業績など、年度途中まではなんらかの業績がある、ということだ。

その後、損保再編のあおりで生保子会社の合併などによる減少、引き続き外資系の参入により、増減はあるものの、40社程度で推移して現在に至る。もっとも、会社数でなく会社規模でいえば、2007年度に、郵政民営化の流れの中で、かんぽ生命が生命保険協会に加盟して、統計上民間生命保険会社として載ってきたのが大きい。
 
2014年度末の生命保険会社・・・42社
かんぽ、日本、第一、明治安田、住友、
ジブラルタ、アフラック、メットライフ、三井、ソニー、
太陽、東京海上日動あんしん、アクサ、富国、大同、
朝日、第一フロンティア、三井住友海上プライマリー、プルデンシャル、アイエヌジー、
三井住友海上あいおい、損保ジャパン日本興亜ひまわり、マスミューチュアル、マニュライフ、フコクしんらい、
ハートフォード、T&Dフィナンシャル、オリックス、AIG富士、ソニーライフ・エイゴン、
プルデンシャルジブラルタファイナンシャル、アリアンツ、クレディ・アグリコル、ピーシーエー、メディケア、
カーディフ、楽天、みどり、ライフネット、チューリヒ、
アクサダイレクト、ネオファースト
 
以下、会社数の変遷に関して気になることをいくつか挙げておく。

○名前が消滅した国内生保の行方

名前が消滅した、とはあいまいな表現だが、2000年前後に一般的には破綻した会社のことを書きたいのだが、ことがことだけに、神経質になる関係者も多くいることであろうし、破綻だの吸収合併だの名称変更後どうした、だの区別するのがここでの主目的ではないので、お許しいただくこととしたい。

1985年には存在したが、現在では名前の見られない会社は、
協栄、千代田、東邦がジブラルタへ、  日産がプルデンシャルへ、
大正、大和がプルデンシャルジブラルタファイナンシャルへ
それぞれ吸収されていることになっている。これらはすべてプルデンシャルホールディング傘下の会社であるから、6社が同じグループに収められたことになっている。
その他、第百はマニュライフへ、平和はマスミューチュアルに「なっている」。
東京はT&Dフィナンシャルとして、T&Dグループ内で再生している。
日本団体生命は、アクサになっている。
 

○損保系子会社の再編

損保の子会社としての生保は、1996年に一気に11社増加した。主として「損保名+ひらがな」の名称が特徴的な名前だった。その後、親である損害保険会社のほうが、合併などでほぼ3つのグループ(東京海上ホールディング、損保ジャパン日本興亜、MS&ADホールディング)に集約されてきたことで、子会社たる生保のほうも再編が進み、ほぼ落ち着いたようにみえる。

ちなみに、逆に生命保険会社のほうも、損害保険子会社を作って損保業界に参入したわけだが、その名残はほとんど残っていない。
 

○相互会社と株式会社

全体の増減とは関係ないが、相互会社と株式会社の割合についてみる。1985年度の28社のうち、内国生保は23社(支店形態で営業を行なう外国社が5社)で、そのうち株式会社は7社と、少数派であり、相互会社が16社と多数派であった。

その後、外資系・損保系の参入はすべて株式会社であり、また、一部相互会社から株式会社への転換があって、現在では、43社中、相互会社が5社のみと、逆に少数派となっている。
 

○グループへの再編

ここ数年では、生命保険会社といっても、医療保険あるいは銀行窓販、あるいはネット販売といった分野を、別の生命保険子会社を作って専門に取り扱う動きがでてきた。すると、従来のように単一の保険会社の業績だけでは、経営実態を表せない。さらには日本国内の限られた市場をとびだして、国外からの利益をあげるため、海外保険会社を買収するなどして、グループ全体での収益力向上またはリスク管理を行なうことになってきている。

すると当然、単体業績だけではなく、連結決算やホールディング決算もみておく必要がでてきたし、もはや日本国内の動きだけでは、事業の出来の評価が難しくなってくるかもしれない。
 
今後、何回かに分けて、約30年の業績、収支関係の動きを追ってみたい。
 
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保険研究部   主任研究員 年金総合リサーチセンター・気候変動リサーチセンター兼任

安井 義浩 (やすい よしひろ)

研究・専門分野
保険会計・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1987年 日本生命保険相互会社入社
     ・主計部、財務企画部、調査部、ニッセイ同和損害保険(現 あいおいニッセイ同和損害保険)(2007年‐2010年)を経て
     2012年 ニッセイ基礎研究所

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員

(2015年11月24日「基礎研レター」)

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