1994年03月01日

新しい革袋を

細見 卓

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将軍は過去の戦いを戦うという諺があるが、これは成功した将軍がその成功体験から卒業することなく古い知見に拘泥して新たな戦いを失うことを戒めたものである。

もう一つの事例をあげれば、日本軍が惨憺たる敗北を喫したノモンハン事件時にソ連の将軍が語ったという次のことばである。「日本の軍人は、兵隊は勇猛果敢であり、下士官は実に的確な指示をする。しかしながら、将校といわれる人に戦術の閃きがなかった。」これは、いみじくも日本の軍隊、ひいては日本の社会の弱点を言い当てている。つまり、組織の下位に属するものは大変勤勉であり、中間の部課長も的確な指示で事務処理をこなすが、その上に立って臨機に戦略を改める有能な指揮官が育ちにくい社会であるということである。こうした日本社会の欠陥は、今次大戦の敗北にもかかわらず治っていないようである。

戦後の日本経済は廃墟から脱して追いつけ追い越せ型の経営を貫き、一般社員の献身的な会社貢献と中堅幹部の適切な指導も相まって世界でも稀な経済的成功を作り上げてきた。しかし、その間世界情勢の変化や技術革新等を見据え、目前の成功を超えた将来に備える展望を持った経営者が多くは育たなかった。あたかも日本海軍の大艦巨砲主義に倣うがごとく、大企業が大量生産を続けていれば世界市場の制覇は可能であるという錯覚に陥っていたようである。コンピューターを作れば巨大な処理能力を追い求め、半導体はロジックを忘れて記憶能力の巨大化を、自動車は運転性能や居住性の極致を、家電製品では完壁なまでの利便性を求める、というように与えられた技術の枠組みの中でより効率の良い製品作りを求めてまっしぐらに進んできた。そして一時はアメリカやヨーロッパ等先達の工業国にとっては大変な脅威と目され、日本の世界市場制覇もあり得るものと考えられてきた。

残念ながら、日本の多くの企業が技術のパラダイムや生産のシステムといったような、いわゆるソフト分野での大きな変化に対してこれまで低い関心しか示さず、与えられたシステムの中で最大最強を狙ってシステムそのものが大きく変わらざるを得ない事態の発生に対して余りにも鈍感であった。その咎が現在の打ち続く企業収益の圧迫、製品販路の行き詰まりとして顕れており、今回の不況に呻吟する結果となった。

確かに日本は研究開発費への支出は大きく、誇るべき技術改良も多くあり、企業の優位性は今なお誇るに足るものがあろう。ただ、その研究開発は主として適応技術や生産技術の改良であり、技術・システムの根幹を変えるようなブレークスルーの発想からは縁遠いものであった。このように新しいシステムに対する積極的な研究開発をおろそかにして在来のシステムや技術体系が未来永劫存続できるものであると考え、巨大な設備投資を続けた結果、いわゆるバブルとその崩壊を引き起こしたのは周知のことである。円高の進行によって実力以上に切り上がった人件費や過大な設備のために製品原価は高くなり、販売の困難さから価格は低迷し、流通経路の見直しや更には価格破壊と呼ばれる局面に遭遇している。一方で、アジアの国々は目ざましい経済発展を遂げており、かつて日本が辿った道を急ピッチで追い上げている。日本にとっては、こうした新興工業国にいかに対抗すべきかをもっと早い段階から考えておくべきであったと今更ながら悔やまれる。こうした事態に対して多くの日本企業は、超過勤務の削減やベース・アップの抑制、更には広告費その他の経費を削ってこの不況に何とか耐えようと努力しているが、これは全く在来のシステムに乗っかった小手先の対応であり、これでは新たな展望は見えてこない。こうした徒に消極的な対応にこのまま終始すれば、日本経済は縮小均衡を招き、経済停滞の悪循環を繰り返すことにもなろう。

規制緩和や公共投資等政府の採るべき施策も残されているのは確かであるが、現在の日本にとって最も大切なことは世界を取り巻く経済環境の大変化の中で、新しい生産システムと新しい技術・製品をもって、もう一度世界市場に出て行く気概と行動であり、これ以外に日本経済復活の活路はあるまい。今こそ新しい革袋を用意して新しい酒を盛る時であろう。

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