コラム
2014年06月16日

“レリゴー社会”つくれるか-「少子化」めぐる社会意識の寛容性

土堤内 昭雄

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政府の有識者会議「選択する未来」委員会は、今年5月に『50年後に1億人程度の安定した人口構造を保持することを目指す』という中間報告をまとめた。その実現に向けた抜本的少子化対策として、若者が安心して結婚できる環境を整え、子どもを持つことによる新たな経済的負担を最小限に止め、出生率を2程度まで回復する必要があるとし、6月下旬の「骨太の方針2014」にも盛込まれる予定だ。

結婚や出産が個人的な事象とはいえ、日本の将来を考えると、急速に進展する少子化に対して人口目標の設定や実現方策の提示は必要だ。しかし、出生率の回復が、年金などの社会保障制度の維持や日本経済の成長のためと強調されると違和感を覚える人もいるだろう。少子化には様々な社会的課題があるが、まずは子育てする喜びを個人的にも社会全体でも実感できることが何よりも大切だ。

少子化をめぐる社会意識として、ふたつ気になることがある。ひとつは、子どもを産み・育てることが社会的に求められる時代でありながら、子育てに向けられる社会の目が冷たいような気がする点だ。小さな子ども連れが電車に乗っていても優先席は譲られず、迷惑そうな視線が注がれることが多い。そんな雰囲気が、子どもを育てる人に社会に迷惑かけているような意識を植え付けていないだろうか。

先日、自宅前の小学校で運動会があった。朝から子どもの歓声が響き渡り、賑やかな一日だった。この小学校に子どもを通わせる保護者(母親)に出会い『今日は賑やかな一日ですね』と声をかけると、『ご迷惑かけて申し訳ありません』という返事が返ってきた。私は、時折聞こえる子どもの歓声は、地域の活力を感じる嬉しいことだと思っていただけに、この返事に意外な印象を受けたのである。

もうひとつ気になることは、少子化対策として出生率向上があまりに強調されることで、子どもを持たない人たちが肩身の狭い思いをしていないかという点だ。子どもが欲しくても持てない人もいる。子どもを持たないことが社会の一員としての居場所を狭めてはならない。自ら出産しなくても、養子縁組や里親制度などにより子育てに関わる人たちを社会が支援することも重要だ。その結果、年間20万件に上る人工妊娠中絶を減らし、いくつかの小さな命を救うことができるかもしれない。

少子化をめぐる固定的な社会意識が個人の生き方を束縛してはならないと思う。子どもを持つ人も持たない人も、ともに“息苦しい”社会意識の中に暮らしている。少子化に歯止めをかけると同時に、子どもの有無に関わらず一人ひとりが自分らしく生きること“Let It Go”*が可能な「レリゴー社会」をつくれるのか、そんな社会意識の寛容性が、いま求められているのではないだろうか。




 
 ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の挿入歌で、主人公のひとりエルサが自分らしく「ありのまま」生きることを歌っている。
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(2014年06月16日「研究員の眼」)

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