コラム
2018年04月27日

ロックフェラーが支えるもう一つの日米関係-ジャパン・ソサエティーの110年

吉本 光宏

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先週、フロリダで日米首脳会談が開催された4月18日、東京では皇太子殿下、雅子妃殿下のご臨席のもと、ジャパン・ソサエティー創立110周年の記念レセプションが開催された。

ジャパン・ソサエティーは、日米の相互理解の推進を目的に掲げる米国の民間非営利団体である。1907年(明治40年)、日露戦争の後、太平洋を挟んだ両国の友好を促進する必要があると考えた実業家や篤志家たちによって設立された。以来、1世紀以上にわたって芸術文化や知的交流、教育、政治・経済などの分野で様々なプログラムを展開してきた。

1971年には、ニューヨークの国連ビルにほど近いところに本部ビルを開設。劇場やギャラリー、図書館、会議室などが設けられ、芸術文化の紹介、日本語や書道教室など、日本文化に触れ、学ぶ機会を提供する他、日米の政財界のリーダーを招いた講演会やパネルディスカッションを開催してきた。設立時の「日本の思想、芸術、科学、産業、経済環境に対する米国人の理解を促進する」という使命に基づいて、現在では、年間200件以上のプログラムを実施している。

筆者も1997年夏から1年間、セゾン文化財団の助成でニューヨークに留学する機会があったが、その間、ジャパン・ソサエティーの数々の事業を楽しませて頂いた。日本では触れることの少なかった古典芸能について学んだり、日本を代表する現代演劇や現代美術の公演や展覧会にも訪れた。98年1月には映画「HANA-BI」の上映にあわせて北野たけしが登壇し、彼のトークを聞いたことを鮮明に覚えている。

2011年に東日本大震災が発生した際には、3月11日夕刻(現地時間)に日本震災救済基金(Japan Earthquake Relief Fund)を立ち上げ、わずか1週間で100万ドルを調達。4月4日にはオノ・ヨーコ、坂本龍一、ジョン・ゾーンなどの出演するチャリティ・コンサートも開催され、被災地に支援金が提供された1
レセプションで挨拶するジャスティン・ロックフェラー氏© Japan Society / Hotel Okura Tokyo 110年の歴史を振り返ると、第二次世界大戦で活動が凍結された不幸な時期があったが、戦後、ジャパン・ソサエティーの財政基盤を立て直し、現在まで続く運営方針を確立させたのが、1952年に理事長に選任されたジョン・D・ロックフェラー三世である。現在でも彼の孫に当たるジャスティン・ロックフェラー氏が理事を務めており、レセプションでは興味深いエピソードを紹介してくれた。

戦後間もない1950年代初頭、短期滞在の予定で来日したロックフェラー三世は、日本の素晴らしさに魅せられ、以降、数年間にわたって日本を訪れるようになったというのだ。今では、ジャパンソサイエティーの運営財源は、日米の企業や財団、個人などによって幅広く支えられているが、ロックフェラー三世が戦後直ぐに、運営を立て直さなければ、その後の活動は停滞していたかもしれない。

ご存じのようにロックフェラー家は19世紀末から20世紀にかけて石油業で財をなし、フィランソロピーの精神に基づいて、ロックフェラー財団(1913年設立)などを通じ、数々の社会貢献活動を展開してきた。ロックフェラー家の中でも芸術文化を通じた国際相互理解の促進に力を注いだのがロックフェラー三世である。彼は、1956年にはアジア・ソサエティも創設している。ジャパン・ソサエティーと同様、芸術文化、教育、政治経済などの領域で、アジアと米国の相互理解を促進することを目的にした民間非営利団体だ。ニューヨークの他、香港、ヒューストンに拠点を構え、事務所は東京、ソウル、上海、マニラ、ムンバイ、シドニーなどアジア各国にも設置されている。

さらに、美術と舞台芸術の分野で米国とアジアの国際文化交流を支援するアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)も、ロックフェラー三世基金のアジア文化交流プログラムを起源としている。ACCは日本を含むアジア各国のアーティストに対して、米国に一定期間滞在し、研修や創作、作品発表の機会を提供してきた。

1983年には堤清二の尽力によってACCの東京オフィスと日米芸術交流プログラムが設立されている。これまでACCの招きで米国に滞在した日本のアーティストは、1963年から2017年までに341名にのぼり、中村紘子、武満徹、横尾忠則、寺山修司、唐十郎、隈研吾、川俣正、村上隆、蔡國強、会田誠、名和晃平など、日本を代表する国際的なアーティストの名前が並ぶ。

実は、日本で民間非営利の立場から、文化交流や知的協力をとおして、国際相互理解を推進している国際文化会館の設立(1952年)にも、ロックフェラー三世は多大な貢献を行っている。

このように考えると、ロックフェラーが日米の民間文化交流に果たしてきた役割は、極めて大きい。重要なのは、民間、非営利の立場から、政治や経済ではなく、文化を主軸とした相互理解の促進を図ろうとしている点である。両国が政治的、あるいは経済的に緊張関係にあったとしても、民間文化交流を通じて相互理解を図ることは可能であり、その継続と蓄積が政治的な対立や経済摩擦を超えて両国の友好関係に寄与すると思うからである。

自国の利益を優先し、各国との経済摩擦をも辞さないトランプ政権。彼も不動産で莫大な冨を築いた資産家であることを考えると、ロックフェラーの思想や志との違いに愕然とする。だとすれば、政治や経済の枠組みとは別次元で、文化を介した日米関係を継続、発展させることがますます重要になるのではないか。ジャパン・ソサエティーの創立110周年は、そのことに気づかせてくれる貴重な機会であった。

ジャスティン・ロックフェラー氏は、挨拶の最後を、これから90年間ジャパン・ソサエティーによって日米の友好関係が継続し、200周年を迎えたいと締めくくった。
 
※本稿の執筆に際しては、それぞれの団体の以下のHPに掲載された情報を参照した。
https://www.japansociety.org/
https://asiasociety.org/
http://www.asianculturalcouncil.org/japan/
https://www.i-house.or.jp/index.html

 
 
 
1 この基金の一部は、企業メセナ協議会の「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド(GBFund)」を通じて、被災地の伝統芸能の復興やアーティストの活動に助成された。2016年4月には熊本地震も支援の対象に加えられ、寄付件数は約25,000件、寄付総額は約1,440万ドル(約160億円)に達している(2017年6月末)。
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吉本 光宏 (よしもと みつひろ)

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(2018年04月27日「研究員の眼」)

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