2018年03月09日

欧州経済見通し-裾野広がるユーロ圏の景気拡大/英国EU離脱まで1年-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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( 続く低インフレ、弱い賃金上昇圧力。ECBは緩和縮小への慎重姿勢を維持 )
成長、雇用の拡大にも関わらず、インフレ率はECBが物価安定の目安とする「2%以下でその近辺」を大きく下回ったままだ。

2月のCPIは前年同月比1.2%と1月の同1.3%から低下した(図表13)。低下の主因は生鮮食品の値下りだが、エネルギーと食品を除くコアCPIは同1.0%で目標圏に向けた収斂の動きはまだ弱い。低インフレの主因は、基調を決める賃金の伸びにある。ECBが、圏内の賃金動向の把握のために活用している労働コスト指数、1人当たり雇用者報酬、協定賃金指標などの伸びは、直近で前年同期比1.6%から1.7%。2000年~2000年代半ばのCPIが概ね目標圏で推移していた時期の平均2.4~2.5%を大きく下回っている(図表14)。

今後も雇用の拡大は続き、労働市場の緩みの縮小も進むが、圏内全体では解消には至らない。

圏内での労働移動や、労働市場改革の進展といった固有の要因を考えると、賃金の伸びは高まるが、そのペースは穏やかだろう。
図表13  ユーロ圏のインフレ率/図表14 ユーロ圏コアCPIと賃金指標
( 18年経済見通し:消費と投資を両輪とする自律的な成長と低インフレ続く )
ユーロ圏では、概ね良好な外部環境の下、個人消費と投資を両輪とする自律的な景気の拡大が続く見通しだ。世界的な景気の拡大で輸出の伸びも見込まれることから、実質GDPは前年比2.2%と17年に続いて2%超のペースを保つだろう。

雇用改善とともに、賃金の伸びも上回くが、そのペースは穏やかであり、ユーロ高による物価抑制効果も働くことから、インフレ率は年間で前年比1.5%とECBの目標圏内に届かない見通しだ。
( ECBの金融政策:緩和バイアス解除。18年末に資産買い入れ停止、19年に利上げ開始 )
ECBは3月8日開催の政策理事会で、月300億ユーロの資産買い入れの9月末までの継続と政策金利の据え置きを決めた。

金融政策の先行きを示すフォワード・ガイダンスでは、資産買い入れについての「見通し悪化や金融環境がインフレの軌道の持続的な調整と整合的でなくなった場合は、規模と期間の両面で拡大する用意がある」との一文が削除、「緩和バイアス」を解除した。

しかし、(1)資産買い入れは「18年9月末まで継続し、必要ならばそれを超える期間、政策理事会が物価目標に整合的な軌道への調整の進展を確認するまで継続する」、(2)政策金利は、「純資産買い入れの期間を十分超える長期にわたり現在の水準に留まる」というガイダンスに変更はない。

3月理事会の修正は、非常時モードの解除であり、先行きの緩和縮小のペースを変えるものではない。

景気拡大の裾野が広がっても、内生的なインフレ圧力の高まりが見られないことが、ECBが緩和縮小に慎重姿勢を継続する最大の理由である。

ECBは、物価・賃金の動きと市場環境を注視しつつ、フォワード・ガイダンス修正に動き、緩和拡大ペースの縮小の段階から、緩和拡大の停止、緩和縮小に進む見通しだ。具体的には、資産買い入れは、18年10月から買い入れ額を減らし、12月末に停止する。利上げは、19年4~6月期の開始を見込むが、当初は、現在0.4%の預金金利のマイナス幅の縮小のみを実施、現在ゼロの市場介入金利(図表15)の引き上げは10~12月期と予測する。

緩和縮小が進むとは言え、今回の予測の期間(~19年末)に著しく緩和的な金融環境が大きく変わることはない。資産買い入れ残高は18年3月初の時点ですでに2.4兆ユーロまで積みあがっており(図表16)、18年内は月間平均で償還期限を迎えた124億ユーロの再投資が実施される。フォワード・ガイダンスでは純資産買い入れ停止後も長期にわたる元本の再投資の継続も約束しており、固定金利と金額無制限のオペも少なくとも19年末までは継続することが既に決まっている。
図表15 ECBの政策金利とEONIA/図表16 資産買い入れ残高
( リスクは外部環境悪化、急激な通貨高、金利上昇 )
ユーロ圏の経済見通しのリスクは、外部環境の悪化、急激な通貨高、金利上昇である。

足もとでは米国のトランプ政権の保護主義的政策が、報復措置を惹起するなど、貿易摩擦によって、世界同時的な景気の拡大と貿易数量の回復(図表17)というユーロ圏の回復持続シナリオの前提が崩れるリスクが浮かんでいる。報復関税や輸入制限等の措置は米国との直接の貿易への影響だけでなく、米国と貿易をする新興国等の景気にも影響を及ぼすおそれがあり、注視を必要としよう。

ユーロ相場と長期金利の基調は、ユーロ圏の要因ばかりでなく、米国の政策によって影響を受ける度合いも高い(図表18)。米国発の金融環境の変化にも注意が必要だ。
( ユーロ制度改革の必要は引き続き高いが、政治・世論の変化で困難さ増す )
ユーロ圏は、債務危機対応を迫られた結果、財政や銀行の危機の未然防止と危機管理の仕組みを備えるようになった。しかし、いずれ必ず起こるであろう、新たな危機への備えという面では不安がある。世界金融危機以降、ECBが、大きな役割を果たしたが、新たな危機に対応した追加緩和の余地は狭いことを考えると、なおのこと改革を急がなければならない。この点は、筆者が、2月下旬に訪れたブリュッセルで耳にした政策当局者や専門家らの一致した見解だった。

しかし、問題意識は共有されていても、具体策の段階になると、利害対立や見解の相違があり、なかなか前に進めない。主要国の政治・世論の変化もユーロ制度改革を難しくする。EU全体の改革の重心は、EUとしてこれまで手薄になっていたが、市民の関心が高い治安対策、難民危機対応に移っている。議会の多数派も掌握するフランスのマクロン政権は、公約でもあるユーロ制度改革に意欲的だが、5カ月にわたる政治空白の末に大連立政権の発足に漕ぎ着けたドイツのメルケル政権は弱体化、イタリアでは総選挙で、反エスタブリッシュメントの「五つ星運動」と反移民の「同盟」というEU懐疑主義政党が半数の支持を得た。市場の反応は冷静で、ジェンティローニ政権が暫定政権として機能することから、政権協議の難航が、景気に急ブレーキをかけることはない。仮にEU懐疑色の強い政権が誕生したとしても、ユーロ離脱やEU離脱といった極端な政策に動くことは考え難いが、EUやユーロ圏の意思決定の困難さは増すだろう。

銀行同盟や財政同盟の前進は、圏内でのリスクの共有化の度合いを高めることを意味する。共有化に先立ってリスクを減らすべきと主張するドイツと、リスクの共有化によってリスクの削減が可能になるという立場のイタリアには、そもそも溝があった。ドイツの連立政権の合意文書には、投資や社会政策に活用するためのユーロ圏予算を支持する方針が盛り込まれたが、実現にはなお紆余曲折を経るだろう。
図表17 世界貿易数量/図表18 ユーロの名目実効為替相場
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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