2017年11月17日

ECBの緩和縮小-景気拡大でも慎重姿勢の3つの理由-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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緩和縮小に慎重な3つの理由

成長加速でもECBが緩和縮小に慎重な姿勢をとる理由は3つある。(1)低インフレの持続が見込まれ、(2)ユーロ高リスクへの配慮が必要で、(3)過剰債務と不良債権処理が道半ばであることだ。
(1)低インフレ持続の見通し
物価の安定はECBの金融政策の一義的な目的だ。しかし、インフレ率は、景気拡大が続きGDPギャップの解消が視野に入っても、ECBが安定的水準と見なす「2%以下でその近辺」に近づく目処が立たない。10月のインフレ率は前年同月比1.4%と9月から0.1ポイント低下した。エネルギー、食品、酒類・煙草を除くコアCPIは1.1%から0.9%に低下している。19年にかけて2%近辺の成長持続を予測する欧州委員会も、インフレ率については、19年年間で1.6%と「2%以下でその近辺」に届かないとしている(図表10)。

ユーロ圏の失業率は最新の9月時点で8.9%と日本や米国に比べて高水準だが、低下傾向は定着しており、そのペースも速まっているが(図表11)、賃金の伸びはまだ世界金融危機前に比べて低調な伸びに留まっている(図表12)。
図表9 ユーロ圏のインフレ率/図表10 欧州委員会秋季経済予測 
(インフレ率)
図表11 インフレ・賃金指標/図表12 インフレ賃金指標
欧州委員会・経済財政総局の推計ではユーロ圏のNAWRU(インフレを加速させない失業率)は17年で8.6%であり、その差は縮小している。失業の解消が遅れるイタリアは10.3%のNAWRUに対して、9月の実績が11.1%、フランスは9.2%に対して9.7%と、NAWRUを上回る。他方で、ドイツは3.7%の推計値を9月実績の3.6%が下回り、スペインは16.6%の推計値に、9月実績の16.7%が大きく近づいている。

失業率が低下しても賃金の伸びに反映され難い理由としては、賃金形成にタイムラグがあることや、公式の統計には現れない広義の失業者の存在、労働市場改革が進展したことで、賃金決定方式が変化したことなどが指摘されている。

さらにグローバルな競争の激化や、財・サービス市場におけるデジタル化の進展などは、ユーロ圏においても、賃金・価格の伸びを抑える要因になっていると考えられる。
(2)ユーロ高リスク
ECBの緩和縮小はユーロ高圧力となり、ユーロ高は物価目標への調整の進展を阻む要因となり得る。

とりわけ、7月20日、9月7日の理事会では緩和縮小を決めた場合のユーロ高が強く懸念されていた。フランス大統領選挙後の政治リスクへの懸念や、米国のトランプ政権の政策への期待の後退といった要因も押上げ圧力となり、ユーロ高が加速していたからだ(図表13)。7月理事会の議事要旨には、ユーロ相場の動きについて「相対的なファンダメンタルズの変化を反映した価格調整の反映」としつつ、「先行きのオーバーシュートのリスク」への懸念が明記されている。対応として、金融緩和の度合いの調整の余地と柔軟性を確保することと、手堅いコミュニケーション戦略の重要性確認している。9月の理事会は、為替相場がメインテーマの1つとし、ドラギ総裁は、「為替相場のボラティリティーは不確実性の源泉」であることを強調した。
図表13 ユーロの名目実効為替相場/図表14 ユーロの対ドル、対円相場
10月理事会の段階ではユーロ高圧力は沈静化し、緩和縮小と同時に著しく緩和的な金融環境の維持を約束したECBの政策決定に市場はユーロ安で反応した。ECBの緩和縮小に関する行過ぎた期待と共に、9月のドイツの連邦議会選挙での極右・ポピュリスト政党への予想以上の支持の広がりやスペイン・カタルーニャの独立を巡る混乱などで、政治面でも過度な楽観が修正されたことが影響したものと理解される。

10月理事会は、とりあず無難に乗り切ったものの、ECBにとっては、この先も「為替相場のボラティリティーは不確実性の源泉」であり続けるだろう。ユーロ相場の基調は、FRBの金融政策やトランプ政権の政策への期待の変化によって、変化する傾向が強い(図表13)。ユーロの対ドル相場は今月14日~15日の2日間で1ユーロ=1.16ドル台から1.18ドル台へとユーロ高が進み、10月理事会後の下げが打ち消されてしまった。
(3)道半ばの過剰債務と不良債権処理
過剰債務と不良債権の問題の解決が道半ばにあることも、著しく緩和的な金融環境の継続が求められる理由だ。

ユーロ圏の銀行の不良債権は、そもそも統一的な基準によって把握されていない問題があったが、ECBによる一元的な銀行監督体制が始動してから3年が経過し、単一のルール・ブックに基づくユーロ圏の銀行の健全化が進められている。自己資本の増強は進み、不良債権比率も着実に低下している(図表15)。しかし、イタリアなど6カ国で不良債権比率は10%を超えるなど、一部の国の銀行の不良債権比率はなお高い(図表16)。不良債権に対する引当金によるカバー率は44.7%(17年7~9月期)で担保を含めるとカバー率はおよそ80%という状況だ。ECBは、不良債権をバランス・シートの問題ではなく、銀行収益と貸出の伸びを抑制する問題と位置づけ、17年3月に公表したガイドラインに沿った「野心的だが現実的で信頼に足る」不良債権の処理を求めている。10月4日には、新たな不良債権について引当金計上のルールの厳格化についての文書を公開、12月8日を期限とするパブリック・コンサルテーションを行っている。

不良債権問題への取り組みは、銀行同盟を完成させ、より安定的な単一通貨圏となるために超えなければならないハードルであり、ユーロ圏の銀行監督機関としてのECBにとっての最優先課題だ。
図表15 ユーロ圏銀行の不良債権比率/図表16 ユーロ圏銀行の不良債権比率(2017年4~6月期)
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2017年11月17日「Weekly エコノミスト・レター」)

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