2017年11月16日

麻酔医療の現状-これからの麻酔医療は、誰に担ってもらうか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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5――局所麻酔

局所麻酔は、意識消失を伴わない部分的な麻酔である。局所麻酔には、いくつかの種類がある。手術での局所麻酔のうち、代表的なものとして、脊髄くも膜下麻酔、硬膜外麻酔が挙げられる。

1|脊髄くも膜下麻酔は、帝王切開などで行われる
脊髄くも膜下麻酔は、くも膜下腔に局所麻酔薬を注入する。脊髄の損傷を避けるため、脊髄の最下端より更に下部の、第3-第4腰椎間から穿刺することが一般的である。背骨の間を広げるため、患者は、手術寝台の上で、横向きに寝た状態で、頸部を曲げて、膝を抱えて前屈する姿勢をとる。通常、患者が覚醒した状態で、穿刺部位を十分消毒の上で、穿刺する。

脊髄くも膜下麻酔は、少量の局所麻酔薬で済むため、身体への負荷が小さいが、1回の注入で麻酔の効果発現時間には限りがある。このため、通常は、2~3時間以内に終わる手術で、外陰部、痔核、膝、股関節、鼠径ヘルニアなど、下半身の手術に用いられる。

脊髄くも膜下麻酔は、帝王切開で行われることも多い。母体の脊髄のみに作用するため、新生児が麻酔薬が効いていない状態で娩出(べんしゅつ)される、という利点がある。全身麻酔では、薬剤が新生児に届いて、呼吸抑制が生じ、呼吸補助が必要となる場合があるため、とされる。

近年、分娩全体に占める帝王切開の割合は上昇しており、2014年には、4件に1件程度となっている。これに伴い、脊髄くも膜下麻酔の重要性は、高まっていると言える。
図表26. 帝王切開の推移 (9月の1ヵ月間の実施)
2|硬膜外麻酔は、他の麻酔と併用されることが多い
硬膜外麻酔は、第2-第3腰椎間などから、脊髄の周囲の硬膜外腔に、専用の針で穿刺して、カテーテルを挿入し、長時間作用する麻酔薬を投与する34。脊髄くも膜下麻酔と同様に、患者は、頸部を曲げて、膝を抱えて前屈する姿勢をとり、穿刺部位を十分消毒の上で、穿刺する。カテーテル留置による麻酔薬投与のため、麻酔薬の効果発現時間に制限がなく、長時間の手術や、術後鎮痛として利用できる。ただし、麻酔薬の総量が多くなってしまい、多弁、興奮、痙攣などの神経症状を呈する、局所麻酔薬中毒になる可能性がある。このため、患者状態の管理に、注意が必要とされる。

硬膜外麻酔は、注入する局所麻酔薬の種類や量を調節することにより、運動機能を損なわずに鎮痛効果を得ることが可能となる。これは、分離麻酔と呼ばれる。

ただし、硬膜外麻酔は、十分な筋弛緩効果や、鎮痛作用がないため、単独で開腹手術の麻酔として用いることは、困難とされる。このため、全身麻酔などと、併用されることが多い。
図表27. 脊髄くも膜下麻酔と硬膜外麻酔の比較
近年、脊髄くも膜下麻酔と、硬膜外麻酔を併用した、脊髄くも膜下硬膜外麻酔を行う、医療施設が増えている。これは、脊髄くも膜下麻酔により、手術中の鎮痛効果を得る一方、手術が延長した場合の術中鎮痛や、術後鎮痛を、硬膜外麻酔によって行う、というものである。脊髄くも膜下硬膜外麻酔は、帝王切開でも、よく行われている。
 
34 カテーテルを硬膜外腔にスムーズに挿入するために、先端が曲がったTuohy (トゥーイ) 針という、太い針が用いられる。
 

6――麻酔に用いられる薬剤と、手術・麻酔の医療安全

6――麻酔に用いられる薬剤と、手術・麻酔の医療安全

麻酔には、数多くの薬剤が用いられる。その代表的なものの変遷を紹介する。また、それを含めて、手術や麻酔における、医療安全について、見ていくこととしたい。

1|麻酔の薬剤は、進化を続けている
現在、全身麻酔は、鎮痛薬、鎮静薬、筋弛緩薬を併用して行うことが一般的である。これは、バランス麻酔と呼ばれている35。麻酔の歴史36を見ると、草創期には、エーテルという吸入麻酔薬(鎮静薬)のみを用いて、全身麻酔が行われていた。

麻酔に用いられる薬剤は、新製品の投入により、進化を続けてきた。現在、一般に見られるものは、鎮痛薬をレミフェンタニル。鎮静薬を、麻酔導入時に、静脈麻酔薬のプロポフォール。麻酔維持には、セボフルランやデスフルランといった吸入麻酔薬。筋弛緩薬を、ロクロニウム(筋弛緩拮抗薬37を、スガマデクス)とする方法である。
図表28. 麻酔の薬剤の変遷 (主なもの)
鎮痛薬は、血中濃度半減期が3分程度と短いレミフェンタニルを、シリンジポンプを用いて、持続投与することが一般的である。術中に強い鎮痛が得られる一方、術後に作用が残らない点が、有用とされる。術後鎮痛には、半減期が数十分と長い、フェンタニルが1回投与で用いられることが多い。

鎮静薬は、吸入麻酔薬と静脈麻酔薬に分けられる。吸入麻酔薬は、戦後長らく、笑気38(亜酸化窒素)が用いられていたが、現在は、セボフルランや、デスフルランを用いることが一般的である。笑気は、セボフルランや、デスフルランと一緒に吸入して、それらの麻酔作用を強めることを目的に使用されている39。ただし、笑気には、薬物乱用40や、大気汚染41の問題がある。近年、笑気の使用は減少傾向にあり、出荷数量は徐々に減少している。

静脈麻酔薬は、1995年に発売されたプロポフォールを用いることが一般的である42。その出荷数量は、増加しつつある。プロポフォールは、投与速度をコンピュータにより自動調節しながら自動投与する(TCI(Target Control Infusion)機能という)、ディプリフューザーと呼ばれる機器の使用が可能である。この機器のTCIポンプには麻酔の予測濃度が表示される。このため、この機器の使用時には、麻酔効果の確認のために、BISモニターなどの脳波モニターを併用することが望ましいとされている。

なお、近年、吸入麻酔薬を用いずに、静脈麻酔薬の投与(プロポフォールの持続投与)で行う、完全静脈麻酔(Total Intravenous Anesthesia, TIVA)が行われるようになっている。一方、導入と維持を吸入麻酔薬(セボフルラン)で行う、揮発性麻酔薬による導入・維持麻酔(Volatile Induction and Maintenance of Anesthesia, VIMA)が行われることもある。これらは、麻酔の薬剤の進化を受けて、用いられるようになった、比較的新しい麻酔法と言える。TIVAやVIMAは、麻酔の調節が自在で覚醒が速い。このため、今後、短時間手術や、日帰り手術の麻酔に適応が拡大するものと考えられている43

筋弛緩薬は、速く効果が現れるロクロニウムの有用性が高い。その筋弛緩拮抗薬として開発されたスガマデクスとの併用により、筋弛緩を自在にコントロールできるようになった、とされている。
図表29-1. 笑気(亜酸化窒素)の出荷数量/図表29-2. プロポフォールの出荷数量
 
35 バランス麻酔は、1926年に、アメリカの麻酔科医John Lundy医師によって、紹介された。
36 世界で初めて全身麻酔による手術を成功したのは、華岡青洲とされる。彼は、1804年に、チョウセンアサガオやトリカブトを主成分とした「通仙散」(彼が書いた「乳巌治験録」の中では「麻沸散(まふつさん)」)という麻酔薬を用いて、乳がん患者の手術に成功した。(「華岡青洲の妻」有吉佐和子(新潮社, 1967年)等より)
37 筋弛緩薬の作用を打ち消して、筋力を回復させる薬剤。リバースと呼ばれる。
38 吸入すると、顔の筋肉が痙攣して笑っているように見えるため、この名前が付けられているようである。笑気は無色無臭のガスで、高濃度での吸入が可能。1950年の朝鮮戦争時に、負傷した米兵の手術麻酔に用いられたため、国内で製造が開始された。また、1957年に、当時一般的であったエーテル麻酔中に、電気メスがスパークして爆発し、患者が死亡する事故が発生した。これを機に、エーテルに代わって、笑気が普及した、とされる。
39 二次ガス効果、と呼ばれる。高濃度と低濃度のガスをともに吸入した場合、高濃度ガスが先に血液中に溶ける。この効果を利用して、笑気を血液中に溶かし、一緒に用いた吸入麻酔薬の肺胞内の割合を高めることで、麻酔導入の促進を図る。
40 陶酔感を得るために、亜酸化窒素の乱用が進んだ。これに対して、2016年2月に医薬品医療機器等法に基づき、亜酸化窒素が指定薬物に指定され、医療などの目的以外に、製造・販売・所持・使用することなどが禁止された。
41 笑気は、成層圏で、酸素原子と反応して一酸化窒素に変わる。この一酸化窒素は、オゾンの分解反応を触媒して、オゾン層を破壊する。1997年に採択された京都議定書では、二酸化炭素やメタンなどと並んで、温室効果ガスの1つと位置づけられており、排出量削減対象となっている。2016年5月に政府が閣議決定した地球温暖化対策計画では、亜酸化窒素の2030年度の排出量の目標を2,110万トンCO2(2013年度実績(2,250万トン CO2)から-6.2%の削減)としている。
42 ただし、過敏症の既往歴がある場合や、妊産婦・小児への投与は、禁忌とされている。
43 TIVAは、吸入麻酔薬を用いないので、手術室内のガス汚染の心配や、笑気による大気汚染の問題がない。一方、VIMAは、マスクがフィットせずに麻酔ガスが漏れた場合、手術室内がガス汚染となる可能性がある。


2|医療安全に対する関心が高まっている
医療安全とは、間違いは必ず起こるという前提のもと、医療ミス発生の防止と、医療ミスが生じたときの被害の最小化を図ること、とされる。世界保健機関(WHO)は、安全な手術のためのガイドラインを策定し、その中で、10個の目標、手術安全チェックリスト、同リストの実施マニュアルを定めて、手術に関する医療関係者への注意を促している。

図表30. 安全な手術に必要な目標

医療ミスを報告する仕組みとして、インシデント・レポート・システムがある。これは、医療におけるミスを、同様のミスや重大な事故につながらないよう、病院内の医療安全管理室に報告するシステムを指す44。このシステムの目的は、インシデントの原因となった医療関係者の評価や罰則のためのものではない。ハインリッヒの法則45にあるように、重大事故の背景にある多くのインシデント、即ち、事故などの危難が発生する恐れのある事態に着目して、その把握を通じて、重大事故を未然に防止することを目標としたものである。
 
44 2002年に、厚生労働省により、医療安全を確保する体制の整備の義務化が図られ、その中の1項目として、安全管理委員会の設置や、院内報告制度の整備が始められた。
45 1件の重大事故の背後には、29件の軽度事故があり、更にその背後には300件のインシデントがあるとされる。アメリカの損保会社に勤めていたハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ氏が、1929年に著した論文の中で提唱した、工場での労働災害の発生に基づく経験則。
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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