2017年10月31日

アセアンにおける華人・華人企業経営(2)-アセアンにおける華人企業グループの形成・発展-

平賀 富一

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アジア地域の経済発展の中、プレゼンスを高めている域内の華人・華人企業 の活動の活発化・多様化や、経営の近代化傾向が見られており、前回(2017年7月4日公表)は「アセアンにおける華人・華人企業のプレゼンス、華人社会の形成と特徴点」をテーマで述べた。

今回は、「アセアンにおける華人企業グループの形成・発展」をテーマとして、華人企業グループの典型例と思われるケースを挙げて考察する。具体的には、マレーシアで最大、アセアンでも有数の富豪であり、その財富のみならず、謙虚な人柄、消費者志向の姿勢といった点で多くの人々から尊敬される華人企業家の代表としてタイクーン(大君)とも呼ばれるロバート・クオック氏(Robert Kuok Hock Nien:中国名は郭鶴年、94歳、以下、一族の別の人物との区別を明確にする等の場合を除いて、「クォック氏」と表記する)と、同氏が築き、今やマレーシア・香港・シンガポールに三大地域拠点を置く国際的な大手コングロマリットであるクォック・グループを取り上げる。なお、当該企業グループをより深く理解するために、その重要点の分析・考察に当たっては、経営戦略論における有力な理論体系(スクール)として知られる資源ベース論(Resource Based View: RBV)の考え方も援用することとしたい。
 

1――クオック・グループの現況と全体像

1――クオック・グループの現況と全体像

先ず、クオック・グループの概況を俯瞰してみたい。

下図のように、3つの主たる持株会社である、(1)ケリー・ホールディングス(ケリーグループ:本拠地は香港)、(2)クォック・ブラザーズ(マレーシア)、(3)クォック・シンガポール(シンガポール)があり、グループの大きな拠点が、香港、マレーシア、シンガポールにあることが分かる。上記の各持ち株会社の傘下に、パーム油や農産品の取引・加工、不動産・ホテル事業、海運、輸送、倉庫、金融、鋼材、木材、映画館、メディア、等の幅広い事業領域を扱う多数の企業群を有し、巨大で複合的なコングロマリットを形成している(同グループも、他の多くの華人系企業グループと同様、非上場の企業が多いため、グループとしての全体像を把握することは難しいが、ここでは、各社のホームページでの公表資料、報道、桂木(2015)などの資料を参考としている)。
クォック・グループ(概要)
以下、各持株会社ごとにクォック・グループの主要企業のプロフィールをみる。
 
(1) ケリー・ホールディングス(ケリーグループ:香港)の傘下企業
・ケリー・プロパティーズ:本拠を香港に置く不動産・物流事業等
シャングリ・アジア:ホテル事業等を展開する。シャングリ・ラ、トレーダーズ、ケリー、ジエンの4つのホテルブランドを持ち、アジアを中心に約100か所で展開するが、その中核は、高級ブランドであるシャングリ・ラホテルである。シャングリ・ラの名は、英国人作家ジェームス・ヒルトンの小説「Lost Horizon」(失われた地平線)に登場する理想郷から取ったものである。
 
(2) クォック・ブラザーズ(マレーシア)の傘下企業
・PPBグループ:マレーシアで小麦精製、映画館、海運、不動産開発、環境事業等
・ウィルマー・インターナショナル:シンガポールに本拠を置く、パーム油で世界最大手であるなど食用油製造や農業関連事業を展開。
 
(3) クォック・シンガポール(シンガポール)の傘下企業
・オールグリーン・プロパティーズ:シンガポールの不動産開発会社。
・PACCオフショアサービス:オフショア支援船サービス等
 
クォック・グループの経営の特徴は、(1)香港・マレーシア・シンガポールというアジアを代表する3つの地域に大拠点を有し、(2)幅広い事業領域でビジネスを展開していること、(3)クオック氏は創業者として依然影響を持つが、(4)経営面では、次男のクオック・クー・チェン(ケリーグループ)、三男のクオック・クー・アン(クオック・シンガポール)、令嬢のクオック・フイ・クオン(シャングリ・ラ・アジア)、甥のクオック・クー・ホン(ウィルマーインターナショナル)など子女・親族が中心となっており、各社の業務執行の任は多国籍で経験豊富な多くの専門経営者が担っている。
 

2――創業者ロバート・クオック氏の略歴とクオック・グループの形成プロセス

2――創業者ロバート・クオック氏の略歴とクオック・グループの形成プロセス

先ず。国際的な大手企業グループを築いたクオック氏の経歴と事業・企業経営や人生観などについての主要点を振り返ってみよう。そこには、他の有力華人企業家とも共通するファクターが多い(岩崎(2003)、Tan Yen Fong (2015)、Forbes(2017)などを参考にしている)。
 
 (1) ロバート・クオック氏は、マレーシア最大の富豪(米Forbes誌のThe World's Billionairesランキング(2017年)によれば、資産114億ドル(約1兆2,500億円)を所有し、世界115位であり、マレーシアでは12年連続首位となっている。またアセアンでは、タイのCharoen Sirivadhanabhakdi氏(TCCグループ、世界62位、資産158億ドル)、フィリピンのHenry Sy氏(SMグループ、世界94位、資産127億ドル)に続いて第3位にランクされている。

クオック氏の生い立ちを振り返ると、1923年10月、マレーシアのジョホール・バルで、中国・福建省福州市からの移民の子(次男)として生まれた。父のクオック・ケンカン氏(Kuok Keng Kang:郭欽鑑)は、商店の店員から勤勉・倹約に励み、コーヒー店の開業などを経て、兄弟(クオック氏の伯父)と共に、米、大豆、砂糖、小麦粉の取引を行うトンセン商店(Tong Seng Co.:東昇公司)の経営に参画した。クオック氏は父や伯父から、事業の基本として「正直、信頼、消費者の利益の重視」を学んだという。また父の口癖は「約束を守ることが事業の倫理」であったとのことである。さらに父は幅広い人脈を政財界などに築き事業を拡大した。
 
(2)自らは貧しい出自で満足な教育機会を得られなかった父親の熱意と方針により、マレーシアのエリート中等学校であるジョホール・バル英語学院、その後、現在のシンガポール国立大学の前身であるシンガポールの名門校ラッフルズ・カレッジで学んだが、その学友には、後のシンガポール首相となるリー・クワンユーやマレーシア首相となるラザクとフセイン・オンなどの有力政治家、マレーシア王族関係者(ジョホール州のスルタン)などがおり、その人脈は、彼の人生において重要なものとなった。また、英語で中等・高等教育を受けたことも国際的に活躍するベースになっている。加えて、中国語(福建語・北京語)、マレー語も話すとの事であり、アジア・グローバルなビジネスマンとしての有力な語学力を有している。また、第二次世界大戦中の日本による占領時代には、三菱商事の食料部門で勤務した経験もある。
 
(3)当初はトンセン商店で働いていたが、1948年の父の死後、母の示唆により、1949年、一族が協力して経営を行うクォツク・ブラザーズ社を設立した。当初は長兄のフィリップがその代表者であったが、同氏が外交官に転進(後に、オランダ・西ドイツ大使等を歴任)した後、クオック氏がトップとなり企業経営の中心を担った。クオック氏は1950年代初期の英国滞在時に、近代的な国家の在り方や・企業経営の手法、国際ビジネスの進展に感銘を受け、砂糖等商品先物取引に大きな興味を持った。帰国後、砂糖等の現物取引に加え、先物取引も開始した。さらに、1959年には、マラヤン・シュガー・マニュファクチュアリング社を設立し、砂糖の精製事業に自ら乗り出し、砂糖キビの栽培も開始した。その結果、砂糖事業は拡大し、砂糖の取引において、マレーシア国内で約80%、世界の約10%ものシェアを保有する「アジアの砂糖王」と呼ばれるに至った(2009年にマラヤン・シュガー社は売却されているが、その後グループ企業であるウィルマー・インターナショナルを通じてオーストラリアの製糖大手企業を買収するなど、依然として、砂糖業界で大きな影響力を有している)。
 
(4)砂糖等農産品を中心とする事業に次いで様々な事業分野に拡大していくが、ここでは、現在、重要な位置づけを占めるまでに大きく成長したホテル等観光事業分野について述べよう。

クオック氏は、欧米の先進事例などから、アジアでリゾート・ホテル、航空会社など観光関連ビジネスが大きく発展する可能性を予期していた。その事業分野との接点として、第一は、マレーシアとシンガポール両政府の依頼を受け、1969年に、マレーシア・シンガポール航空(現在のマレーシア航空とシンガポール航空の前身企業)の会長職を引き受けたことが挙げられる。さらにマレーシア観光開発公社の会長職も引き受けている。その後、1971年に初めて高級ホテルブランドであるシャングリ・ラホテルをシンガポールでスタートし、1977年、香港のカオルーン・シャングリ・ラホテルを開業、1984年、中国本土初のシャングリ・ラホテルを杭州で開業した。その後アジア各地や欧米へと、上記の4つのブランドで約100のホテルを展開しており、クオック氏は「ホテル王」と呼ばれるようになった。
 
(5)次いで、中国本土への展開を見る。クオック氏は、1977年に香港に進出し住居地も移し、1971年カオルーン・シャングリ・ラホテルを開業するなど香港での事業基盤を拡大・強化している。その理由として、香港の有する、マレーシアに比べて、よりビジネスの自由度が高く、税率が低いなどの事業環境面の魅力と共に、将来、大きく発展する可能性を予見していた中国本土市場へのゲートウェイの役割も考慮していたとされる。中国本土との関係は、毛沢東時代の中国の砂糖不足への支援や、杭州を嚆矢とするシャングリ・ラホテルの展開、欧米等が中国への投資に躊躇した天安門事件後の局面(鄧小平氏がリーダー)における、中国の一大政府系プロジェクトであった北京の国際貿易センター建設事業への大規模投資の継続、両親の出身地である福建省向けも含めた数多くの社会貢献活動等が挙げられる。このような取り組みにより、クオック氏は、中国で信頼され、優れた経済人としての表彰も受けており、現政権も含め中国の政財界のリーダーに幅広い人脈を有している。

また母国である、マレーシアにおいては、上記に述べた事項に加えて、砂糖など必需品の供給(砂糖についてはマレーシア政府が輸入からの脱却を希望していた砂糖の精製事業の開始も含む)、人気ブランドのパンの販売、観光戦略を推進する同国の「Visit Malaysia Yearキャンペーン」への世界各地のシャングリ・ラ ホテルを通じた協力、今後の同国の発展の大きなベースたる国家事業たる「イスカンダル計画」への大規模投資など様々な貢献を行っている。
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平賀 富一

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