2017年07月18日

近づく英国の国民投票-経済的コストへの警鐘が相次いでも落ちないEU離脱支持率

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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5――国民投票とEU

1|しばしばNOを突きつけられてきた欧州統合
EU加盟国の国民投票ではEUにしばしば「NO」が突きつけられてきた。記憶に新しいのは、15年7月5日のギリシャの国民投票だろう。「EUの支援条件」の是非を問う国民投票で反対が61%、賛成が39%という結果だった。最近では、16年4月6日にオランダで行われた国民投票も、問いかけられたのは「EU・ウクライナ連合協定15」の批准決議への賛否だったが、EUに批判的な市民団体の呼びかけにより、EUへの信認投票という性格を帯び、結果は、反対64%、賛成36%に終わった。

より直接的に、EUの統合深化に「NO」が投じられたケースは、EUの基本条約の批准の是非を問う国民投票での否決だ。1992年のマーストリヒト条約ではデンマーク、2001年のニース条約ではアイルランド、2005年の欧州憲法条約ではフランスとオランダが否決したケースがある。ノルウェーがEU未加盟国であるのも、スイスがEEAに未参加であるのも、それぞれの国民投票の結果だ。

しかし、これまでの国民投票は、欧州の統合に重大な結果をもたらすことにはならなかった。デンマーク、アイルランドは、再投票によって、マーストリヒト条約、ニース条約をそれぞれ批准、欧州憲法条約はフランス、オランダの否決後、「憲法」という名称など抵抗の大きい文言などを修正してリスボン条約として全加盟国の批准、発効している。ギリシャは、国民投票の直後に、EUの条件を受け入れ、支援プログラムに戻った。オランダの「EU・ウクライナ連合協定」は諮問的意味合いのもので、民意を反映すべく、何らかの修正が行われる見通しだが、暫定発効している協定の自由貿易協定などの重要部分の妨げにはならない見通しだ。
 
15 幅広い分野で欧州の基準に近づくように改革をEUが支援する協定。貿易面では高度で包括的な自由貿易圏の構築を目指す。過去のEUが締結した連合協定はEU加盟を前提とするもの(中東欧が対象)とそうでないもの(地中海諸国が対象)があり、ウクライナとの協定は将来の関係についての明確な目標は決められていない。
2|英国の選択-残留が合理的だが、離脱を選択する確率も決して低くない
今回の英国の国民投票が、これらの国民投票と異なる点は、EUの統合の深化と拡大、あるいは一層の緊縮策など「前進すべきか」を問うのではなく、EUから離れて「後退すべきか」を問う点にある。「前進すべきか」を問う国民投票ではベネフィットとコストが明確でないという理由から拒否する結果が出やすい。「現状より悪くはならない」という判断が働くからだ。

しかし、英国の国民投票の場合は、残留であれば「少なくとも当面は、現状から大きく変わらない」が、離脱という形で「後退」すれば、離脱派が主張するように「現状の問題の解決策となる」かもしれないが、残留派が主張するとおり「現状より悪くなる」リスクを伴う。特に、短期的に多少の混乱が生じる覚悟は必要だし、離脱がなければ、他の政策に割り当てることができた行政コストを、EUや域外国との交渉に優先的に配分しなければならなくなるだろう。

英国は、1973年のEC(当時)加盟後、1975年6月に残留の是非を問う国民投票を行なっているが、当時とは、英国の開放度もEU市場との結び付きも、法規制の複雑さも比較にならない。

現状への不満が強ければ離脱を選択すると考えた場合、今の英国はあてはまらない。世界金融危機前に比べると、成長率は低く、賃金の伸びも鈍化しているが、主要先進国と比較した場合のパフォーマンスは、米国に次いで良好だ。

だが、離脱のコストが大きく、しかも、現在のパフォーマンスが概ね堅調でありながら、離脱支持多数となる確率も低くはない。政府や研究機関、国際機関からの経済的コストへの警鐘、主要国の首脳らの残留支持発言にも関わらず、世論調査では離脱支持の勢いが衰えない(図表15)。

その原因の1つとして、オンラインを通じた世論調査は電話調査よりも、より強い思いを抱く離脱派の支持が高く出やすいという点が指摘される。

しかし、世論調査の特性だけが、離脱支持率が落ちない原因とは考え難く、やはり「コストを払うことになっても軌道修正すべき」と考える現状への不満や不安を抱く有権者が少なくないと見る必要がある。

英国民は、そもそもEUの官僚主義や法規制に批判的だが、近年の移民の増大がEUへの不満や不安を増幅しているように感じられる。OECDの調べによれば16、英国の総人口に占める外国生まれ人口の比率は、主要国の平均的な水準だ(図表14)。しかし、(図表9)で見たとおり、政府が移民流入抑制方針を掲げても、ここ2年は30万人超の純流入と過去最高の更新が続く。さらに、EUには、シリアなど中東・北アフリカからの難民が危機的水準で流入している。トルコや旧ユーゴスラビア諸国など現在のEUの加盟国の平均よりも所得水準が低い国々が潜在的加盟国として控えている。将来のEUの拠出金への負担やEUからの移民の増大などを連想しやすい状況になっている。

世界金融危機以降、英国では財政緊縮が続いていることも(図表15)、移民の増大と相互に影響を及ぼし合う形で、現状の変更を求める機運につながっているように思われる。実証研究では、EUからの移民は就労を目的としており、移民はむしろ財政や社会保障制度の支え手となっているという結果が得られている。それでも、一般の国民の間には、手厚い社会保障を目的に移民が流入し、むしろ負担になっているという疑念も根強い。
図表13 国民投票に関する世論調査/図表14 G7と豪州の外国生まれ人口/図表15 英国の財政収支と政府債務残高/図表16 欧州8カ国のEU離脱に関わる国民投票に関する世論調査
 
16 OECD(2015)
 

6――EUへの影響

6――EUへの影響

1|経済的な影響-景気にはマイナス、世界経済におけるプレゼンスは低下
英国外でBREXITの影響を最も強く受けるのはEUだ。

4-2で紹介したOECDの試算では、2020年までの短期では英国のGDPは3.3%押し下げられるのに対して、EUのGDPは0.9%押し下げられる。ポンド安、英国経済の下振れが、貿易を通じて影響を及ぼすと見る。

BREXITは、直接的にEUの世界におけるシェアの低下をもたらす。(図表2)で示したとおり、EUの世界に占めるシェアは名目ドル換算の名目GDPベースで2割強であり、2014年時点で米国とほぼ同程度だった。ここから英国が抜ければ、EUのシェアは2割を下回り米国との差は拡大する。IMFの16年4月の「世界経済見通し」のデータを元にすれば、2020年には中国が英国離脱後のEUを上回る。

英国は28のEU加盟国の中でも、特別な存在だ。G7、G20の一角を占める大国である。EU加盟国のうち、国連の常任理事国は英国とフランスの2カ国だけ。世界への影響力低下にもつながる。
2|政治的な影響-直ちに離脱のドミノを引き起こすことは考え難い
英国経済の減速による影響や、世界経済におけるプレゼンス低下などの経済面以上に、深化と拡大という第二次世界大戦後から続く欧州統合が初めて直面する有力国の離脱という政治的な意味が重い。今年2月のEU首脳会議で、英国政府の要求に大筋で沿う「新条件」で合意したのも、EUにとってBREXITの回避が望ましいという判断で一致したからだろう。

EU加盟各国では、反EUや反移民、反緊縮などEUが推進する政策に反対する政治勢力が広がっている。BREXITをきっかけに、離脱国が次々と現れる「ドミノ」が起きるリスクも懸念されている。英国の世論調査会社「Ipsos MORI」が英国と英国以外のEU加盟国8カ国、域外の5カ国(米国、カナダ、インド、南アフリカ、豪州)で実施したBREXITに関わる世論調査17では、「英国がEUを離脱した場合、他にも離脱をする国が出てくる」との問いに同意した割合はEU加盟国では48%、域外の5カ国で42%であった。EU加盟国では、BREXITの影響について、「EUに悪影響を及ぼす」と見る割合が51%に対して、「英国に悪影響を及ぼす」と見る割合は36%と低い。さらに、フランスとイタリアでは「英国の国民投票は離脱多数になる」との見方と、「自国もEUへの残留か離脱かを問う国民投票を行なうべき」という意見が多数を占めた。国民投票の実施を支持する割合は、ドイツ、スウェーデン、ベルギー、スペイン、ポーランド、ハンガリーという他の調査国でも4割前後に達している。但し、「今、国民投票が実施された場合、離脱支持に票を投じる」と答えた割合は、最も高いイタリアでも48%、それに続くフランスが41%、スウェーデンが39%で、過半を超えた国はなかった(図表16)。

BREXITは各国における反EUの機運を勢いづかせるリスクはある。特に、ユーロ参加国の場合、政策面での自由度は英国のようなユーロ未導入のEU加盟国以上に狭い。EUが、高失業や難民危機、テロ対策などに有効な対策を打てない中で、別の選択肢を求める機運が高まることは自然な流れではある。

しかし、BREXITが直ちに離脱のドミノを引き起こすことは考え難い。EUの政策や単一市場から得ているベネフィットも大きいからだ。例えば、FREXITが取り沙汰されるフランスは、17年春に大統領選挙を予定しているが、長期にわたる景気の低迷、移民問題、テロの脅威などを背景に反EUを掲げるマリーヌ・ルペン氏が率いる国民戦線(FN)への支持が広がる。しかし、EUの政策の根幹である共通農業政策(CAP)の最大の受益者でもあり、離脱という選択のコストは大きい。オランダのNEXITも、同国がEUのモノやヒトの結節点としての機能し、単一市場から得ているベネフィットの大きさを考えると現実的ではない。

ハンガリーやチェコ、ポーランドなど中東欧のユーロ未導入国の場合も、EUに不満を募らせたとしても、離脱という選択肢のコストの大きさを考えると、一気に離脱へと突き進むことは考え難い。中東欧の銀行システムは西欧や北欧の銀行の子会社による寡占構造であり、銀行監督面での密接な連携は欠かせない。英国の離脱派が、EU加盟のコストとして奪還を望むEU財政への拠出金も、中東欧の国々はネットの受益者である。地理的に隣接する大国ロシアの脅威もある。英国とは事情が異なる。

いずれにせよ、英国が初の離脱国となって初めて現実の離脱のコストとベネフィットが明確になることが、加盟各国の将来の選択に関わってくるだろう。BREXITが、離脱ドミノを引き起こすのか、逆に安易なEU離脱の動きを抑止することになるのかは、英国がどれだけ巧みに離脱プロセスを乗り越えられるか次第という面がある。
 
17 Ipsos Brexit poll, May 2016より。同調査は16年3月25日~4月8日の間に1万1030名を対象にオンライン調査で実施された。
3|新条件での英国のEU残留の影響-火種は残る
残留支持多数となった場合、不透明感が払拭されるため、経済面での影響は軽微にとどまり、市場の混乱なども回避されるだろう。離脱支持多数となるリスクを意識して進んだポンド安が反発、銀行や自動車などBREXITのマイナスの影響を受けやすい業界の株価も反発しそうだ。

しかし、英国内、EU内ともに火種は残る。英国内では離脱支持派のEUへの不満はくすぶり続けるだろう。新条件で残留する英国は、ユーロ圏の銀行同盟などEUの中核プロジェクトからは距離を置くため、EUで中心的な役割を果たすことができない。離脱派は、EUに国家主権が侵害されているという思いを抱き続けるだろう。海外子女への児童給付の水準の調整や、EU移民に対する在職給付を制限する緊急ブレーキ制の発動基準など、EUに残留した場合の新条件の運営には不透明な部分があり、移民抑制に十分な効果を発揮できないかもしれない。

競争力向上のためのEU規制の見直しなどが、英国が満足できるスピードで進むか、EU法案へのレッドカード制導入で、英国の意に反する法規制の導入を阻止できるかは、他の加盟国の連携次第という面がある。離脱派が一層不満を強め、国民投票の再実施に向けた圧力を強める可能性がある。

EUにとっても、新条件で残留する英国の存在はEUレベルの政策のブレーキとなり、加盟国間の足並みの乱れを増幅するおそれがある。他の加盟国で、EU残留か離脱かを問う国民投票と引き換えに、EUから譲歩を引き出そうという動きが広がる可能性もある。ユーロ圏と非ユーロ圏の溝は一層深まるおそれがある。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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