2017年07月05日

ますます巨大化する米国の大手医療保険会社-国民に医療保障を届ける唯一無二の存在へ-オバマケアの帰趨に左右されない強さ

松岡 博司

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2|民間が大きな役割を果たす米国の医療保障制度
グラフ2は、米国民の各種医療保険への加入率の状況である。
グラフ 2 米国民の各医療保険への加入率(%)
(1)米国の医療保障体系
米国には、65 歳以上の高齢者と障害者を対象とするメディケア(Medicare)、低所得層を対象とするメディケイド(Medicaid)という公的医療保険があるが、65歳未満で一定以上の所得がある一般の人々向けの公的医療保険は存在しない。そのため、ほとんどの米国民にとっては民間の医療保険会社が提供する医療保険が唯一の医療保障獲得手段となっている。

メディケア、メディケイドは、公的な医療保険であるが強制加入ではない。

【メディケア】
メディケアは高齢者用の公的医療保険である。65歳以上の米国市民もしくは永住者が対象となる。運営主体は連邦政府である。

メディケアはパートAからパートD までの4つのパートで構成される。

パートAは医療施設への入院費用を保障するもの。本人または配偶者がメディケア税を納め終わると、65歳で自動的にパートAに加入できる。この場合、保険料は無料である。ただし税の支払い期間が少ないなど要件未達の場合には、月々の保険料を支払う必要がある。

パートBは診療費を保障するもの。加入者は収入に応じた保険料を支払う。パートA加入者の大多数がパートBにも加入している。

パートAとパートBに加入することにより総医療費の70%~80%が保障される。ちなみに残る自己負担分を保障する民間保険商品はメディギャップまたはサプリメンタルと呼ばれる。

パートCは、認可を受けた民間医療保険会社がメディケアの保障を代替するプランである。メディケアアドバンテージという商品名で呼ばれる。メディケアアドバンテージに加入すれば、保険会社が契約を結ぶ医療ネットワーク内でパートAとパートB相当の保障を受けることができる。また次のパートD相当の処方箋薬の保障も含むものが多い。

パートDは処方箋薬を保障するもの。これも民間医療保険会社の商品に加入する形をとる。保険料は平均月20~50 ドル程度である。
 
【メディケイド】
メディケイドは低所得者対象の公的医療保険である。一定収入以下の米国市民、永住者を対象とする。保険料の支払いは不要で、全額公費で賄われる。運営主体は州政府であるが、その財政は州の予算だけでは足りず連邦からの補助が前提となっている。連邦政府は州が補助を受けるために満たさなければならないガイドラインを定めている。各州がこれを遵守することによって、メディケイドのレベルが全米で担保される。ただし実態的には州ごとに制度の格差が大きい。

受給資格者の要件等も州ごとに異なるが、加入資格を得るには世帯収入や保有資産等の厳しい条件を満たさなければならない。
 
(2)各医療保険への米国民の加入状況
前ページグラフ2の下段にある通り、2015年の民間医療保険への加入率は67.2%である。民間医療保険の内訳を見ると(重複加入はあるが)、勤務先で提供される団体医療保険(グラフ中の雇用主提供団体保険)に加入している人が55.7%、個人で購入した医療保険に加入している人が16.3%いる。民間医療保険会社は医療機関と契約を結んでネットワークを形成しており、それぞれの保険商品ごとにネットワーク内で利用できる病院、医師、薬局などが定められている。

米国には、努力したものが報われる一方で努力なきものは救済されないとする「自由と自助の精神」を尊ぶ風潮がある。医療保障も例外ではなく、連邦、州の介入は出来る限り排除されてきた。しかし現実問題として医療保障は必要である。そこで妥協的に、政府と個人の中間にある勤務先企業が保険会社と団体医療保険を締結して従業員およびその家族に医療保障を提供するようになり、米国の人々の医療保障獲得方法として中心的な役割を担うようになった。

メディケイド、メディケアの対象要件を満たさない人のうち、従業員に医療保障を提供する体力のない中小企業の従業員・家族、自営業者、65歳未満の早期退職者、無職者等は自力で個人契約の民間医療保険を手当てしなければならない。しかし、勤務先からの補助のない個人契約の医療保険に加入するには相応の資力が必要である。

その結果、メディケイドに加入するほどには困窮していないが、所得が少ない人々は無保険者として医療保障の体系からはじき出されることとなる。これが米国における深刻な社会問題となった。

無保険者問題を解決するため実施されたオバマケアで、オンライン医療保険加入サイトであるエクスチェンジが開設され(後述)、従来の無保険者がエクスチェンジで販売されている個人医療保険に加入するようになって、個人医療保険の加入率が高まって来ている。

高齢化の進展によりメディケア加入者が増加し、経済情勢の悪化とオバマケアによる加入要件の緩和(後述)によりメディケイドの加入者が増加したことを受けて、公的医療保険への加入率は2000年代を通じて上昇し、2015年には37.1%に達した。

それらを受け、オバマケアの目的の1つであった無保険者率の縮小は一定の成果を挙げた。2015年末の無保険者率は9.1%である。

既に見たようにメディケアには民間保険のプランを利用する制度もある。また、州政府がメディケイドの運営を民間医療保険会社に委託することも多い。このような形で、米国においては民間医療保険会社がさまざまな場面で国民の医療保障を支えるようになっており、近年、その役割はますます大きなものになってきている。
 

2――オバマケアの制度概要

2――オバマケアの制度概要

1|オバマケアの根拠法
2010年3月、Patient Protection and Affordable Care Act(患者保護並びに医療費負担適正化法、PPACA)、通称Affordable Care Act(ACA)が成立し、オバマケアが発足した。

オバマケアは、「増加する無保険者」と「高騰する医療費」に歯止めをかけることを主な目的とする。

ACAに則り、2014年よりオバマケアの中核部分が本格実施された。
2|オバマケアの制度概要  民間医療保険会社との関係を中心に5
(1) メディケイドの加入対象者を拡大
連邦貧困ガイドライン所得の100%までとされていた対象者の所得範囲を133%未満にまで引き上げ、メディケイドの対象者を大幅に拡大した。これにより低所得層の無保険者に保障を提供することが所期された。

ただしメディケイドの加入対象者の拡大については、共和党系知事の26州で訴訟が提起され、「州の自治権を侵害する」との判決が出されたため、実施するかどうか等は州の選択によることとなった。その結果、メディケイドの対象者が拡大された州と拡大されなかった州に分かれた。

(2) 個人に医療保険への加入を義務付け
何らかの医療保険に加入することを個人に義務付けた。

義務に反して医療保険に加入しない場合には所得税の申告時に罰金(2016年は1人695ドルまたは年収の2.5%のいずれか高い方)を科す一方で、所定の条件の下、医療保険に加入した場合には補助金が支給されることになった(「(5)医療保険取引所(エクスチェンジ)の設置」を参照)。

(3) 雇用主(企業)に従業員への医療保険提供を義務付け
従業員およびその家族に医療保険を提供することを従業員数200名以上の雇用主(企業)に義務づけた。

また従業員に医療保険を提供していない従業員数50人以上の雇用主(企業)は、従業員がエクスチェンジ経由で医療保険に加入して補助金を受けた場合に罰金を科されることとなった。

一方、従業員の平均年収が5万ドル以下で、従業員に提供している医療保険の保険料の50%以上を負担している従業員数25名以下の雇用主(企業)には、助成金が与えられることになった。

(4) 民間保険会社に対する規制
民間の医療保険会社に対して、より多くの人々を受け入れる観点、きちんとした商品の質を保証する観点等からさまざまな規制が課された。主な規制を並べると以下の通りである。詳細については、前ページおよび本ページの下段に掲載してある各参考資料をご覧いただきたい。

a)被扶養者としての子供の加入年齢の上限が26歳に引き上げられた。

b)医療保険会社は、保険加入の申し込み、保険契約更新の申し込みを受ければ、必ず応じなければならないこととされ、加入者個々の健康状態、病歴等に応じた差別的な取り扱いを行ってはならないとされた。既往症を理由とする免責を設けることも禁止された。

c)保険料に関し、個人医療保険および小企業向け団体医療保険においては、年齢、居住地域、家族構成、喫煙有無に応じて保険料に差を設けることだけが認められ、それ以外の性別、健康状態等に応じた差を設けることは禁止された。
なお小企業以外の企業向けの団体医療保険についてはこのような規定が設けられていないが、通例は規模の大きい企業の団体医療保険の方が従業員に有利な取扱いが行われていることから、実態的には全医療保険領域において、健康状態等を根拠とする差別的な保険料設定は行えなくなったと考えてもよさそうである。

d)個人医療保険および小企業向け団体医療保険において、医療保険商品が最低限備えているべき保障対象項目が定められた。その内容は以下の10項目である。
1) 外来医療、2) 緊急医療、3) 入院医療、4) 妊娠および新生児医療、5) 精神医療とアルコール依存、薬物依存・乱用などの物質使用障害関係の医療サービス、6) 処方箋調剤薬、7) リハビリテーション、8) 臨床検査サービス、9) 疾病予防・ウェルネスサービスおよび慢性疾患管理、10) 小児医療(歯科・眼科を含む)
この最低保障要件も、小企業以外の企業向けの団体医療保険が対象とされていないが、規模の大きい企業の団体医療保険の方が従業員に有利な商品設計となっていることが通例であるため、実態的には本最低保障要件が全医療保険領域共通の最低要件ということになるだろう。

e)加入者が負担する医療保険料の年間自己負担額に上限が定められた。

f)加入者が受ける給付額の生涯および年間の上限が撤廃された。

g)医療保険会社は、「保障の給付と品質向上」に費やされた金額が収入保険料の額に占める割合(医療費支払い率=Medical Loss Ratio(MLR))が、大企業向けの団体医療保険で85%、その他企業向けの団体医療保険および個人医療保険で80%よりも小さい場合、その基準に不足する差額部分の保険料を加入者に返還しなければならないこととされた。
 
5 山下由夏「米国医療保険制度改革と医療保険業界へのインパクト」生命保険経営第78巻第5号(2010年)
http://www.seihokeiei.jp/pdf/SK/SK7805/SK7805-02-H22.pdf

馬場邦年「米国医療保険改革の主な内容と課題」生命保険経営第82巻第5号(2014年)
http://www.seihokeiei.jp/pdf/SK/SK8205/SK8205-03-H26.pdf

田中健司「米国におけるヘルスケア改革をめぐる健康保険業界の動き」損保ジャパン総研クォータリーVol.58(2011年3月31日)
http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt58-2.pdf

小林篤「米国における 2010 年ヘルスケア改革後の健康保険の新動向~ヘルスケア改革法は何を変えたか、健康保険市場はどう変化するか~」損保ジャパン総研レポートVol.59(2011年9月30日)http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt59-2.pdf

小林篤「社会保険志向の米国ヘルスケア改革と保険加入インターネットサイト“Exchange”導入の意義―保険加入システム・雇用主提供システムの変革とイノベーションへの期待―」損保ジャパン日本興亜総研レポートVol.65(2014年9月30日)
http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt65-1.pdf

小林篤「米国ヘルスケア改革におけるイノベーションと健康保険者-ヘルスケア提供システムのイノベーションとしてのACOモデルへの期待-」損保ジャパン日本興亜総研レポートVol.66(2015年3月31日)
http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt66-2.pdf

小林篤「米国ヘルスケア改革の進展と健康保険者の役割―問題解決の取組、イノベーションおよび新しい事業モデルの構築―」損保ジャパン日本興亜総研レポートVol.68(2016年3月31日)http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt68-1.pdf

小林篤「米国ヘルスケア改革本格実施後の新しいヘルスケアサービス提供システムと健康保険者 ―健康保険者の事業モデル改革とヘルスケアサービス提供組織のマネジメント―」損保ジャパン日本興亜総研レポートVol.69(2016年9月30日)
http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt69-1.pdf

上野まな美「米国の歴史的医療保険制度改革、オバマケア 成果が出始めているものの、撤廃を求める声は消えていない」大和総研リサーチ(2015年5月14日)http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/usa/20150514_009714.pdf

石橋 未来「財政依存度が高まる米国医療保険制度 高齢化や高額の処方薬が影響する大統領選後のオバマケア」
大和総研リサーチ(2016年11月1日)
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