2017年03月31日

国際比較で浮かび上がる日本の財政悪化の原因とは?

神戸 雄堂

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1――はじめに

政府債務対名目GDP比の変動は、分母の名目GDPの変化、分子の財政収支(さらには基礎的財政収支と利払費)の変化と調整勘定(資産の実物取引あるいは金融取引以外の要因による資産・負債額の変動分)による変化に要因分解することができる(図表1)。名目GDPについて、日本は1990年代以降、不況やデフレに陥り、低成長であったため、他国より政府債務対名目GDP比が上昇した要因となっている。しかし、日本も低成長ながら1990年以降名目GDPは増加傾向にあり、日本の政府債務対名目GDP比が上昇したのは分母の名目GDP成長率以上に分子の政府債務の増加率が大きかったためである。
(図表1) 政府債務対名目GDP比の変動要因 当レポートでは、分子の政府債務がなぜ大きく増加したのかに焦点を当てる。また、政府債務の増加において、調整勘定による影響は、長期的にみれば限定的と考えられ、財政収支の構造を分析することによって日本の政府債務が急速かつ大幅に増加した原因を検証する。
 

2――日本の政府債務は、先進国の中でも相対的に低い水準であったが、1990年代以降は恒常的な財政赤字に伴い、一貫して上昇

2――日本の政府債務は、先進国の中でも相対的に低い水準であったが、1990年代以降は恒常的な財政赤字に伴い、一貫して上昇

図表2は、日本の政府債務の推移1である。グロス、ネットの政府債務残高およびそれぞれの名目GDP比は共通して1980年代まで増加(上昇)傾向にあり、80年代後半から90年代にかけて減少(下落)に転じた後、90年代前半からほぼ一貫して増加(上昇)している。
(図表2) 日本の政府債務残高の推移
図表3は日本の財政運営と財政収支の推移を表したものである。1964年までは高度経済成長期の最中、均衡財政主義のもと国債は発行されず、財政収支は黒字基調であった。その後、1965年に初めて国債が発行されるも、74年まで黒字基調は続いている。しかし、石油ショックの影響を受け、74年には戦後初のマイナス成長となり、高度経済成長期は終焉を迎えた。1975年に財政赤字に転じ、10年ぶりに赤字国債が発行されると、79年まで国債が大量に発行されることとなった。1980年代には、財政再建が強く意識され、概算要求におけるゼロシーリングやマイナスシーリングの導入、民営化、消費税の導入等が行われた結果、財政収支は改善基調となり、88年から91年にかけて黒字となった。92年以降はバブル崩壊に伴う歳入減と景気対策としての減税・公共事業の拡大による歳出増に伴い、恒常的な財政赤字となった。2002年からは改善基調に転じるも、世界金融危機や東日本大震災の影響で再度悪化し、今日に至っている。このように、特に1992年以降の恒常的な財政赤字が政府債務の増加をもたらしている。
(図表3) 日本の財政運営と財政収支対名目GDP比の推移
次に、主要先進国(日本、フランス、ドイツ、イタリア、英国、米国)の政府総債務対名目GDP比について比較すると(図表4)、日本は、戦後から1970年代にかけては、先進国の中でも相対的に低い水準であったが、1970年代以降に他国を次々と追い越している。特に、1990年代以降は、他国と比較して大きく上昇し、90年代後半にはイタリアを追い越し、主要先進国の中でワーストとなり、現在では200%も上回っている。一方で、他の先進国においては、この期間の上昇幅は大きくない。
(図表4) 主要先進国の政府総債務対名目GDP比の推移
では、1990年代以降、日本の政府総債務対名目GDP比が他国と比べて大きく上昇した要因は何であろうか。その要因について探るべく、1992年2から2015年までにおける政府総債務対名目GDP比の変化幅について、政府債務変動(分子)要因と名目GDP成長 (分母) 要因がどれだけ寄与しているのかを日本、フランス、ドイツ、イタリア、英国、米国の6ヵ国で比較したものが図表5である。日本は1992年からの20年余りで政府総債務対名目GDP比が170.1%ポイント上昇しており、その要因として政府債務変動(分子)要因が182.9%ポイント押し上げ、名目GDP成長 (分母) 要因が12.8%ポイント押し下げている。他国と比較すると、日本は政府債務変動(分子)要因の押し上げが6ヵ国最大かつ名目GDP成長 (分母) 要因の押し下げが6ヵ国最小であり、財政の悪化と低い経済成長の双方が政府総債務対名目GDP比を相対的に上昇させる要因となっている。このように、主因は政府債務変動(分子)要因にあることから、以後は政府債務変動要因に焦点を当てて分析を行う。
(図表5) 政府総債務残高対名目GDP比の変化幅と変動要因(1992-2015年)
ここまではストックベースの変化を見てきたが、その変化をもたらしたフローベースの変化を見るため、政府債務変動(分子)要因である財政収支の推移を国際比較したものが図表6である。他国の傾向としては、92年から2000年頃まで収支が改善した後、2000年代前半のITバブル崩壊により悪化、その後改善するも世界金融危機後に大きく悪化している。一方で、日本は2005年以降の期間に限れば、英米両国とほぼ同水準で推移しているが、他国とは対照的に92年から収支が悪化し、2005年頃まで他国より財政収支の悪い時期が長期にわたって続いている。

この間、欧州では1993 年に欧州連合条約(マーストリヒト条約)が発効し、ユーロ圏参加の要件である財政赤字対GDP比3%未満に向けて、財政改善に取り組んだ一方で、日本はバブル崩壊後の景気対策によって財政が悪化し、マーストリヒト基準の3%を満たしたのも1992年、93年を除けば2006年、07年の2年のみとなっている。このように92年以降、日本は財政規律が働かず、他国より財政赤字の期間が長いこと、赤字水準が大きいことが、政府債務の相対的な増加につながっている。
(図表6) 主要先進国の財政収支対名目GDP比の推移
 
1  以後、日本のデータは年度ベース
2 以後長期にわたって続く恒常的な財政赤字が生じた初年度であることから、以後1992年を基準年とする
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神戸 雄堂

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