2016年12月15日

2040年代の東京の都市像~オリンピック・パラリンピックと都市 1/3

【ポスト2020、魅力ある世界都市へ 訪日客数4000万人時代への挑戦】

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2016年10月18日開催

2016年10月18日「ポスト2020、魅力ある世界都市へ - 訪日客数4000万人時代への挑戦 -」をテーマにニッセイ基礎研シンポジウムを開催しました。

基調講演では明治大学公共政策大学院 ガバナンス研究科 教授の青山 佾氏をお招きして「オリンピック・パラリンピックと都市」をテーマに講演頂きました。

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講師:青山 佾 氏
明治大学公共政策大学院 ガバナンス研究科 教授
お待たせいたしました。ただ今より、「2016年ニッセイ基礎研究所シンポジウム」を開催いたします。
 
当シンポジウムは今回で29回目を迎え、今年のテーマは「ポスト2020、魅力ある世界都市へ 訪日客数4000万人時代への挑戦」です。前半は基調講演「オリンピック・パラリンピックと都市」、後半はパネルディスカッション「魅力ある世界都市へのプロセスと課題」で構成しております。
 
今回は、4年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京はどのように変化していくのか、さらにその先を見据えたときに世界都市として魅力ある都市であり続けるには何が課題となるか、焦点を当てたいと思います。
 
それでは早速、基調講演に移りたいと思います。本日は明治大学公共政策大学院教授の青山佾先生をお招きし、「オリンピック・パラリンピックと都市」と題してご講演を頂きます。
 
お手元のリーフレットにもございますように、青山先生は東京都庁に入庁され、東京の都市計画に長く取り組まれ、当時の石原慎太郎知事の下、副知事として危機管理、都市構造、財政等を担当されました。
 
2004年からは明治大学公共政策大学院の教授に就任され、2008~2009年には、米コロンビア大学の客員研究員も務められました。現在も世界中の都市を訪問され、都市の在り方について活発な執筆活動をされています。それでは青山先生、よろしくお願いいたします(拍手)。
 
■青山 どうも皆さん、こんにちは。青山でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 
今日はニッセイ基礎研究所の講演でお話をさせていただくということで、大変光栄でございます。
 
この後、専門家の皆さまとパネルディスカッションが予定されておりますので、私はその前座のつもりで、このテーマについてやや勝手なお話を申し上げたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
写真(1)
私に頂いたテーマは「オリンピック・パラリンピックと都市」というテーマです。
 
ご紹介いただいたように、私は長く都庁に勤務いたしました。36年勤務した中で、随分前のことですが、今話題の中央卸売市場の施設整備係長といった仕事もしたことがあります。
 
その頃は築地市場の皆さんに「大田市場に移転してください」とお願いしていたのですが断られまして、神田の市場だけが大田市場に移りました。神田市場は現在、秋葉原のビルが建っている所にありました。
 
その後十数年、鈴木都政時代に築地の再整備を試みたのですがうまくいかなくて豊洲移転になりました。
 
今日はその話はしませんが、都市計画では常に賛否両論あります。鈴木俊一さんが都知事のときでしたが、大江戸線を造ったときは、環状線部分で28kmあり、今どきこんな長大な地下鉄を造るのかと、随分批判を受けた覚えがあります。
 
その後、石原慎太郎さんが知事になってから大江戸線は完成したわけですけれども、大江戸線は2000年のオープン時点で1兆円の債務を抱えておりましたが、今は3000億円台に減少しております。大変多くのお客さまにお使いいただいたからだと思います。
 
山手トンネルについては、石原さんが知事になられた1999年、最初の予算査定で、山手トンネルを掘りたいという予算の説明を私たちが知事にいたしました。
 
そしたら石原さんから、「俺が生きている間にできないものに、俺は予算は付けないぞ」と言われました。誠に石原さんらしい率直なお話だったと思います。
 
私どもは、「いえ、山手トンネルは石原さんが生きている間に造ります」と言いました。「調子のいいことばかり言いやがって」と言われましたけれども、予算は認めていただきました。
 
山手トンネルは2015年に完成いたしました。16年かかったわけです。石原さんはまだお元気です。ですから、私どもは約束を守ったということになると思うのです。ある意味、石原さんは選挙で1票にもならない山手トンネルに、知事をお務めになった13年半の間、一貫して予算を付け続けていただきました。
 
自分の代には完成しないけれども、次の世代が活用して事業活動を営めるものにいかに取り組めるかが、知事の真価の一つだと私は思いますので、現在の小池百合子知事にもそういったことを期待しているわけです。今日はそういった視点からの当事者のお話というふうに受け取っていただけるとありがたいです。

1.オリンピックのレガシー

早速、本論に入りたいと思います。オリンピックをめぐっては、ここに書いてあるような白紙撤回など、あまり前向きでない話題がいろいろありました。
 
もちろん当面は、特に経費の掛かる都立3施設の見直しが焦点になっているわけですが、これらの見直しは1カ月以内に終えると小池知事が発言しておりますので、これからはなるべく、スポーツや文化や夢、都市など、まさにこれからの経済をけん引していくテーマについての話題が盛んになることを期待しているところです。
 
オリンピックのレガシーが話題になり始めたのは、大体2004年のアテネ五輪の頃からです。
 
それまでは、オリンピックを招致する都市にとって求められる理念はサステナビリティであったわけですけれども、アテネの施設が必ずしもその後使われてないこともありまして、そういったところから、サステナビリティと並んでレガシーも、オリンピック招致の理念の1~2ページ目に書くのが普通になりました。
 
この場合のレガシーというのは、もちろん競技施設がその後、市民にどう使われてきたかが中心となりますが、関連施設、インフラ、それから特に注目すべきは、オリンピックを行ったことによってその都市あるいは国の社会がどう変化したかということも議論される傾向に今日はあるということです。
 
そういう意味では1964年の東京五輪は、駒沢のオリンピック競技場が今日でもまだ50年以上を経て市民がスポーツに親しむ場になっている点で、競技施設の面では一つのオリンピックのモデルということで、議論の対象となっているわけです。
 
同時に、駒沢のオリンピック公園の競技場で、1964年に日本の女子バレーボールチームが当時のソ連を相手に大活躍しました。その後、日本中でママさんバレーがブームになりました。
 
それまでの日本の長い歴史の中でも、女性が仕事のために家事を誰かに託して出掛けるのは普通のことでしたが、ママさんバレーをきっかけに女性が自分たちの楽しみのために家事を誰かに任せて外出するのが当たり前になりました。
 
数年前に亡くなってしまいましたが、そのときのキャプテンだった河西昌枝選手は、私との雑誌の座談会でそのことを語っていて、大変誇りにしているとおっしゃっていたのが印象的でした。
 
この種のことは、国際的に私たちが外国人とオリンピックの議論をするときに、説得力のある話になります。レガシーというのはそういう非常に広いものだとお受け取りいただきたいと思います。
 
特に、レガシーについて、2012年に開催したロンドン五輪ではかなり早い時期から取り組み、ここに書いてあるのは開催5年前にイギリスの文化・メディア・スポーツ省が出した「レガシーの約束」ですけれども、そういったものをやってまいりました。
 
東京の場合は今、東京都と、IOCと、東京都の管理団体でやるべきだといった議論をしておりますが、東京都が組織としての実態があるものですから、そういった議論になるわけです。
 
ロンドンの場合は、サッチャー政権の時代にロンドン市役所を廃止しまして、その後労働党が政権を取ったときに回復したけれども、職員数約500人のいわゆる政策官庁であって、そういう巨大な組織ではないことから、文化・メディア・スポーツ省がスタート時点からかなりいろいろなことを負ったことがあって、こういうレガシーの約束をいたしました。
 
結果、どうなったか。これが現在のオリンピック記念公園です。彼らは「エリザベス記念公園」と言っております。つい最近の写真ですけれども、とてもきれいに整備されております。
 
ただ残念ながら、人影はあまりなく、この写真に写っているのは私です。私たちが行っても自由に遊べるということで、彼らはこれが最大のレガシーだと言っているのですが、人々が親しむまでにはまだ至っていないという現状だと思います。
 
これがオリンピック会場に至るストラットフォード駅の開催前の様子でございます。ロンドンで地下鉄に乗りますと、東側に行くとこのストラットフォードで地上に出て終わり、ここから郊外電車やバスに乗り換えます。乗換駅になるのですけれども、こんな感じでした。
 
それが今日ではこんな感じになりまして、確かにストラットフォード駅はとても良くなったと思います。
 
それから、ここがメーンスタジアムができた場所で、オリンピック開催前はこんな感じでした。地図で調べて、ナビを使っても、どこがメーンスタジアムの予定地かなかなか分からない状況でした。
 
川も汚れておりました。草むらは自然の草むらではなくて、産業革命後の汚染された土壌でございましたけれども、これらも浄化して川もこのようにきれいにしたというのは、一つのレガシーということになろうかと思います。
 
ザハ・ハディドが設計した水泳競技場は、このように仮設のスタンドが張り出しておりましたが、現在はこのような仮設を取っ払いまして、ザハ・ハディドらしい非常に流線型のいいデザインのプールができて、わずかな人数ですけれども市民がお金を払って泳いでいる姿を私たちは見ることができました。
 
この向こうにできたオービットタワーも、オリンピックのシンボルタワーとして残ったわけですが、これまた人影が少なく、高いお金を取られますけれど、ここに上ると辺りの景色は非常によく見え、すいているからとても快適といえると思います。
 
それよりも何よりも、私はロンドンの人に、最大のレガシーはこれだったのではないかと言うのですが、ストラットフォード駅に降りると、デッキを通ってこのウエストフィールドショッピングセンターというモールに行きます。約300店舗が入っていて、オーストラリア資本です。
 
従来はロンドンの西側にしかなかったのですが、ストラットフォード駅に隣接してウエストフィールドショッピングセンターを通り抜けると、オリンピック会場に行くというあしらいになっています。その結果、ここで数千人の雇用が生じたということがあります。
 
ここで買い物をしている人たちを見ても、ロンドンに多く住む移民の人たちはこの頃は3割近くになっていたと思いますけれども、自分の代に移民してきた人たちに雇用と買い物を楽しむ場ができたことは、大変なレガシーだったのではないかと思います。
 
オリンピックのやり方というのは、いろいろあります。例えば2008年の北京五輪の閉会式です。これは私が撮った写真ですが、ここで当時のロンドン市長であるボリス・ジョンソンさんが北京市長から例の大きなオリンピックの旗をもらいました。次の2012年の開催地はロンドンということになります。
 
私はその後、ロンドン市役所に行くたびに「あの大きい旗はどこにあるの?」と聞いたのですが、ロンドン市役所の人は「誰も知らない」と言っていました。ある日、私は自分で見つけたのですが、ロンドン市役所の地下の職員食堂の横にある物置に、こうやって置いてありました。
 
ここら辺は旗の扱いが誠に違うと思いますが、それぞれ国民性で、「あんなところにこんなふうにして置いておいていいの?」と私がロンドン市役所に対して言うと、その人たちは「実際の本番のときにはアイロンをかけてきれいにして出すから大丈夫」と言っていました。
 
私たちはこれをもらってきたのではなくて、これがリオに行ってリオから小池知事がもらってきたことになりますけれど、誠にこの種の考え方は違うのだと思います。
 
私は、ロンドンの第2のレガシーはこれではないかと思います。エミレーツ・エア・ラインはテムズ川を渡るロープウエーで、オリンピック会場を結ぶために造りました。
 
誠に簡易、簡素で便利な乗り物で、オリンピックが終わってもエミレーツ航空とロンドン市役所が協力して運行しております。
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【2040年代の東京の都市像~オリンピック・パラリンピックと都市 1/3】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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