2016年10月20日

社会保険料の帰着に関する先行研究や非正規雇用労働者の増加に関する考察

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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しかしながら、パネルデータを通常の最小二乗法で推定した場合、推定値にバイアスが発生する恐れがある。つまり、通常の最小二乗法では企業や個人の持っている固有効果を誤差項に含めて推定を行っているが、その結果、固有効果により誤差項に自己相関が発生したり、誤差項が説明変数と相関するために、BLUE(Best Linear Unbiased Estimator、最良線形不偏推定量)を得るための誤差項の仮定が満たされなくなるケースが多い。そこで、パネル分析を行ったのが図表9である。
図表9 非正規職比率の決定要因(パネル分析)
パネル分析ではハウスマン検定の結果、すべて固定効果モデルが採択された。固定効果モデル(fixed-effect model)とは、固有効果が説明変数と独立ではない、つまり相関があることを仮定したモデルである。固定効果モデルでは、経済主体ごとのダミー変数を用いて推定を行うことも可能であるが、この方法は大量のダミー変数を発生させるので実際にはあまり使われていない。従って、一般的には経済主体ごとに期間平均値からの乖離をとった推定式を想定することで、時間により変化しない固有効果を除去する方法がよく使われている。この方法を使うと、経済主体が持っている固有効果が除去され、誤差項は説明変数と独立となり、一致性8のある推定値が得られることになる。

パネル分析の結果を見ると、回帰分析の結果と同様に女性雇用率が高い企業で非正規職の割合が高いという結果が出ており、統計的に有意であった。製造業ダミーと労働組合ダミーの場合は、企業の固有要因を除去した固定効果モデルでは有意な結果は得られなかった。一方、企業規模が大きいほど、そして正規労働者の平均最終学歴が高い企業ほど非正規労働者を使う傾向が強く現れた。
 
8 標本の大きさを大きくしていくと、それに従って推定量の値が母数に近づくという性質。
 

5――おわりに

5――おわりに

本稿では社会保険料の事業主負担が非正規雇用増加に与える影響について、既存のデータや先行研究を中心に紹介した。そして、韓国労働研究院の「事業体パネル調査」(Workplace Panel Survey)を用いて、企業における非正規労働者の決定要因に関する簡単な分析を行った。

日本では現在5つの公的社会保険制度が実施されているが、急速な少子高齢化の影響で事業主や労働者が負担する保険料率が引き上げられており、事業主や労働者の負担も継続的に増加している。企業に対するアンケート調査などによると、企業の社会保障制度・社会保険料に対する不満は高く、多くの企業が社会保険料に対する負担を抱えていると答えている。

企業は増え続ける社会保険料に対する負担を回避する目的で、社会保険料に対する事業主負担分の労働者の賃金への転嫁、社会保険が適用されない非正規雇用労働者の雇用、既存の正規労働者に更なる労働時間の付与や正規社員の新規採用の縮小、パート社員の一週間の労働時間の短縮などの対策を実施している。その影響なのか日本における非正規労働者の割合は止まることを知らず増え続けている。本文で行われたシフト・シェア分析でも非正規労働者の増加は、過去に比べて供給要因(特にパート)のシェアが大きくなったものの、まだ供給要因より需要要因が強いという結果が出ている。パネル分析からは企業規模が大きいほど、そして正規労働者の平均最終学歴が高いほど非正規労働者の割合が高いという結果が出た。最近の大学進学率の上昇は就職先に対する卒業生の目線を引き上げて、ミスマッチや不安定雇用が広がる恐れがある。また、労働組合がある企業は、労働組合がない企業に比べて非正規労働者の割合が低いという結果が出た。これは労働組合の発言により、ある程度労働者の権益が保護されていることを意味するだろう。しかしながら、2015年現在日本の労働組合の推定組織率は17.4%で、ピーク時である1949年(55.8%)の3分の1水準まで低下している。さらに2015年におけるパートタイム労働者の推定組織率は7.0%にすぎない。つまり、現在の労働組合はすべての労働者の権益を保護する役割は出来なくなったのである。そこで、今後労働組合の組織率が低下すると非正規労働者の割合がさらに増加する可能性も少なくないだろう。

日本では2015年4月に施行された短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律により、2016年10月から短時間労働者に対する厚生年金や健康保険の適用が拡大された。短時間労働者に社会保険を適用拡大する目的は、非正規雇用労働者のセーフティネットを強化することで、社会保険における「格差」を是正することや社会保険制度における、働かない方が有利になるような仕組みを除去することで、特に女性の就業意欲を促進し、今後の人口減少社会に備えることである。しかしながら、このような政府の動きが、社会保険料に対する負担を回避しようとする企業の行動にどのような影響を与えるか注視する必要がある。つまり、企業に対する社会保険料に対する負担増加は本文でも説明したように労働者の賃金や雇用量に帰着される可能性が高い。最近、社会保険料が適用されない短時間労働者などの非正規労働者が増加することもその要因の一つかも知れない。政府は保険料の適用対象者を拡大することだけではなく、保険料の帰着問題も考慮し、労働者がより安心な生活ができるように注意を払う必要がある。
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金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
労働経済学、社会保障論、日・韓における社会政策や経済の比較分析

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