2016年09月20日

サービス・グローバル企業のアジアにおける事業展開の研究(3):シンガポール航空―常に世界で最高水準の評価を受ける有力航空会社の戦略・特徴点は何か?

平賀 富一

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5――競争優位の分析(資源ベース論の観点からのアプローチ)

上記の要素を踏まえて、シンガポール航空の競争優位の源泉、特に模倣が難しい優位について、経営戦略論における資源ベース論(リソース・ベースト・ビュー)の観点から考察する。

資源ベース論は、経営戦略論においてポジショニング・スクールに対する有力な理論であり、ウエルナーフェルト(Wernerfelt)やコリス=モンゴメリー(Collis and Montgomery)、バーニー(Barney)らがその代表的な論者である。同理論では企業を資源と能力の束であるとみなしている。彼らによれば、それ以前の戦略論においては同一業界内の企業間の異なる成果を説明するうえで、戦略の実行過程の重要性への視点が十分ではなかった旨を指摘し、経営資源のうち、環境適用にとって、(1)価値のある、(2)他の企業にはない独自性を持ち、(3)代替不可能な、(4)他からは模倣することが難しい経営資源(物的・人的・組織的な資源のみならずブランドや知的財産等の無形資産を含む)と組織能力を重視している。バーニーは、戦略上有効な資源とは、経済価値(Value)の創出につながり、希少性(Rarity)、模倣困難性(In-imitability)や代替移転の不可能性、資源を有効活用する組織構造(Organization)を特徴とするとしている(それぞれの頭文字をとってVRIOと呼ばれる)。バーニーは過去の研究を踏まえたうえで経営資源(組織能力を含む)を、 (1)財務資本(戦略を構想し実行する上で企業が利用できるさまざまな資金でその源泉には企業家自身、出資者(投資家)、債権者、銀行などがある)、 (2)物的資本(企業内で用いられる技術、企業が有する工場や設備、企業の地理的な位置、原材料へのアクセスなど)、 (3)人的資本(役職員に蓄積された訓練や経験、それらが保有する判断力、知性、人間関係、洞察力など)、 (4)組織資本(企業内部の公式な報告ルートを含む組織構造、公式と非公式の計画・管理・調整のシステム、企業内部のグループ(集団)間の関係、自社と他企業の関係など)の4つに分類している3

ここで、上記のバーニーの経営資源の4分類を切り口にして、シンガポール航空の、他とは差別化し、模倣困難で、持続的な競争優位を生み出す資源を、財務資本、物的資本、人的資本、組織資本の4つに分類して分析する。

・財務資本:危機時にも耐久力のある安定的な資金力(厳しい経営・競争環境の中で着実にキャッシュを積み上げている)、新たな機材や諸設備の積極的投入、人材育成への大きな資金の投入、新規投資(M&Aを含む)の源泉となる。

・物的資本:機齢の若い高性能な飛行機材、優れた機内設備や整備メンテナンス設備・人材研修センター等業界におけるイノベーションを先導している(同社の所有物ではないが、そのベースである、世界的に評価の高いシンガポール・チャンギ国際空港も重要であると考えられる)。

・人的資本:豊富で多様な経験を積んだ経営陣、厳しい選抜を経て採用され、訓練を受けた乗務員・従業員(特に著名な「シンガポールガール」)、単なるマニュアル的対応ではなく各ケースに併せた乗務員の工夫・裁量による対応の評価も高い。
     
・組織資本:グローバルな運航・拠点のネットワーク、政府に頼らず自力で道を切り開こうとする姿勢、危機時に一時的に減給しても皆で苦労を分かち合う一体感(全員参加型経営)、市場・顧客のニーズやその変化に速やかに対応できる体制、高いモチベーションと誇りを持った役職員の効率化・生産性への高い意識、優れたチームワーク(機内のクルーが比較的長期間同じメンバーで乗務することによる高いチーム力はその典型例)、理念・基本を共通に理解した上での各自の裁量による高い現場対応能力、経験・知識を組織的に蓄積し活かす仕組み(組織学習による組織能力の向上)、以上の諸点は同社の企業文化にまで昇華しているといえよう。

以上に加えて、シンガポール航空が本拠としているシンガポールという国も、同社の大きな競争優位の源泉であるといえよう。今や国際ビジネス・国際金融の中心地である同国は、アジア・世界のハブであり、IT活用での先進性、英語の通用度、優れたビジネス環境、高度な教育など多くの点で国際的に高い評価を受けており、多数の政治家・ビジネスマン・投資家・観光客・学生等が訪れ、また、シンガポールから別の都市へ向かう重要な中継地点ともなっている。さらに民族も華人系、マレー系、インド系を中心とした多国籍の人々が集まっている。

シンガポールの建国の父であり総理大臣を長く務めたリー・クアンユー氏は、かつて、「シンガポール航空はシンガポールそのものである」と評したと聞くが、まさにシンガポール航空の有する国際性・多様性・先進性、優れたサービス・おもてなしは同国の象徴といえるだろう。

上記に述べたような優れた競争優位を生み出す重要な資源、組織能力とそれらのシナジー、企業文化は、競合他社には容易に追随・模倣できない同社の大きな強みになっているといえよう。他方、豪華な設備やサービスに注力する中東系の航空各社やLCCの増加など航空業界を巡る経営・競争環境が大きく変化する中、現在、同社が取り組んでいる、上記の二つの軸による4つのセグメント別の対応やマルチハブ戦略などの進展や有効性については今後の大きな注目点であろう。

最後に本邦企業によるサービスのあり方に関し、筆者が重要と感じているポイントを問題提起させていただき本稿を終えることとしたい。

近年、わが国では、観光立国としての推進や東京オリンピックを控えて「おもてなし」の重要性が大いに話題になっている。世界の数多くの顧客を迎え本当に満足いただくには、日本流の「おもてなし」を大切にしつつも、押し付け(「おもてなしのガラパゴス化」)になってはならないと思う。確かに日本流のきめ細かな「おもてなし」には優れた点が多いが、同時に、世界の顧客の嗜好やニーズが多様であることも認識すべき重要な視点であろう。その意味で、顧客による選択の自由度や、ほどよい距離感、顧客との接点(真実の瞬間)を担う人材に裁量・工夫のモチベーションや余地を一層与えること、等にはさらに考慮・配慮すべき点があると考える。

この点において、シンガポール航空の洗練されたサービスは、日本流とはやや異なる面もあるが、グローバルな顧客に満足され高く評価される優れたサービスの代表例であり、航空会社のみならず日本の多くのサービス企業にとっての貴重な参考事例になると思われる。
 
3 他方、資源ベース論に類する考え方としてプラハラード=ハメル (Prahalad and Hamel)によるコア・コンピタンス(Core Competence)の概念がある。それは組織の能力について言及したものであり、コア・コンピタンスは、将来的な顧客の便益を提供するための自社ならではの中核的企業力であり、競合他社を圧倒的に上回るレベルの真似ができない核となる能力や技術やスキルの集合体であるとしている。Heracleous, L, J. Wirts & N. Pangarkar (2006)では、かかる観点からの分析を行っており、シンガポール航空のコア・コンピタンスを「コスト効果を有する卓越したサービス(Cost effective service excellence)」と表現している。


(主要参考文献)
・秋本俊二「シンガポール航空が立ち上げた新しいLCC、スクートを丸ごと体験」『秋本俊二の“飛行機
   と空と旅”の話』ITmedia ビジネスオンライン 
   (http://bizmakoto.jp/style/articles/1308/30/news023.html 2016年9月16日アクセス)
・秋本俊二「“最強”の呼び声も高いシンガポール航空のビジネスクラス」『秋本俊二の“飛行機と空と旅”
   の話』ITmedia ビジネスオンライン(http://bizmakoto.jp/style/articles/1303/15/news015.html 
   2016年9月16日アクセス)
・グローバル経営委員会(2009)『こだわり、超えるアジアのグローバル企業』生産性出版。
・橋本絵里子(2007)『シンガポール航空で見つけた―「思いやり」という世界で一番のサービス』
   ナナコーポレートコミュニケーション。
・平賀富一(2016)『生命保険企業のグローバル経営戦略』文眞堂。
・Loizos Heracleous, Jochen Wirts and Nitin Pangarkar (2006), Flying High in a Competitive Industry,
       McGraw-Hill Education (Asia).
・シンガポール航空ホームページ(http://www.singaporeair.com 2016年9月16日
      アクセス)および同社による提供資料。
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平賀 富一

研究・専門分野

(2016年09月20日「基礎研レポート」)

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