コラム
2016年05月17日

「リベラルアーツ」なぜ必要か-自由に生きるための“おとなの教養”

社会研究部 主任研究員   土堤内 昭雄

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近ごろ、「リベラルアーツ」という言葉をよく耳にする。一般教養と解されることが多い。社会全体のグローバル化が進むなかで、リベラルアーツ学部や国際教養学部などを設ける大学も増えている。もともと「リベラルアーツ」は、中世ヨーロッパの大学で学ぶべき基本的な学問である文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の「自由七科」を意味したそうである。

私が大学生だった70年代の大学には、入学後の2年間は主に一般教養課程があり、後半の2年間が専門課程だった。大学入学後は早く専門科目を学びたくて、一般教養科目はややおざなりにしていた気もする。その後、企業側から学生の「即戦力化」の要請などもあり、大学は専門教育に重点を移し、多くの大学から教養部が姿を消していったのではないだろうか。

連休中に、池上彰著『おとなの教養~私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』(NHK出版新書、2014年4月)を読んだ。池上さんは現在、東京工業大学リベラルアーツセンター教授を務めており、同書で『リベラルアーツの「リベラル(liberal)」は自由、「アーツ(arts)」は技術、学問、芸術を意味し、リベラルアーツとは「人を自由にする学問」ということだ』と述べている。

また、『教養を身につけていれば、人間はさまざまな偏見から、あるいは束縛から逃れ、自由な発想や思考を展開していくことができる』とした上で、現代社会の“教養”となる「現代自由七科」として、宗教、宇宙、人類の旅路、人間と病気、経済学、歴史、日本と日本人を挙げている。そこには副題の『私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』を読み解くヒントがたくさんあるように思える。

特に、「歴史」や「宗教」の章を読むと、私の世代が学んだ世界史はヨーロッパ中心で、キリスト教的歴史観に偏っていたよう思えてならない。現在、イスラム教やその圏域における歴史を知らずして、世界の政治経済を理解することは不可能だろう。同書には『歴史とは常に勝者によって描かれてきた勝者の物語なのではないか』とも書かれており、複眼的な歴史観が重要だと改めて強く感じた。

若い学生にとって広い視野を涵養するリベラルアーツは極めて重要だが、同時に私のような還暦を過ぎた世代にも同様のことが言える。何故なら、多くの経験と知識を獲得してきた人間は、それらに縛られ息苦しくなったり、人生の方向性を見失ったりしていることが多いからだ。“おとなの教養”を深めることが、自らのアイデンティティと立ち位置を明らかにし、自由に生きるための針路を示してくれる、それが今日のグローバル化時代にリベラルアーツが注目される理由ではないだろうか。
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社会研究部   主任研究員

土堤内 昭雄 (どてうち あきお)

研究・専門分野
少子高齢化・家族、市民社会・NPO、都市・地域計画

(2016年05月17日「研究員の眼」)

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