2016年04月15日

円高で日本経済はどうなる~懸念される企業収益、物価への悪影響

経済研究部 経済調査部長 斎藤 太郎

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● 円高で日本経済はどうなる

図1 円/ドルレートの推移 ドル円レートは2015年末には1ドル=120円程度だったが、中国経済の減速懸念、世界的な金融資本市場の混乱に伴うリスク回避姿勢の高まり、米国の追加利上げ観測の後退などから2016年に入って円高ドル安が大きく進行した。1月末の日銀によるマイナス金利導入決定直後にはいったん120円台に戻したものの、その後は再び円高基調となり、FRBの利上げに対する慎重なスタンスが改めて確認されたこと、安倍首相の為替介入に否定的な発言が報じられたことなどから4月に入って円高が加速し、足もとでは109円台で推移している(図1)。
(円安が押し上げた企業収益、物価)
アベノミクス始動後の3年間、ほぼ一貫して円安基調が続いてきたため、急激な円高は日本経済を大きく変える可能性がある。特に懸念されるのが企業収益、物価への悪影響である。法人企業統計の経常利益(季節調整値)は2012年10-12月期から2015年10-12月期までの3年間で39.2%の大幅増加となり、過去最高益を更新する企業が相次いだ。また、消費者物価は2013年4月に導入した異次元緩和、その後の円安、消費税率引き上げの影響などから3年間で約4%上昇し、消費税率引き上げの影響を除いても上昇率は2%を超えている。2015年度入り後はゼロ近傍の伸びとなり2%の物価目標は達成されていないが、少なくとも15年以上続いたデフレ状況からは脱しつつある。アベノミクスの評価については賛否が分かれているが、企業収益、物価に関しては明らかに改善したとみることができる。
 
企業収益の改善と物価上昇を支えた大きな要因は円安だ。安倍政権発足時のドル円レートは80円台だったが、2013年4月の日銀の異次元緩和の導入、2014年10月の追加緩和をきっかけに円安が大きく進行し、2015年中は概ね120円台での推移が続いた。
円安が製造業に大きな恩恵をもたらすことは言うまでもないが、通常は非製造業にとって円安は輸入コストの増加を通じて収益の圧迫要因となる。しかし、最近はコストの増加分を国内の販売価格に転嫁できるようになっているため、円安下でも非製造業の収益は堅調だった。対外資産からの利子・配当の受取額が円安によって膨らんだことも企業収益の押し上げに寄与した。
2013年度から2014年度にかけての消費者物価は筆者を含めたほとんどのエコノミストの予想を上回るペースで上昇したが、その一因は異次元緩和後の円安の勢いを読みきれなかったことだ。製造業の海外生産シフトや国際競争力の低下に伴いスマートフォン、テレビ、パソコンなどの国内消費財に占める輸入品の割合が上昇し、為替変動による消費者物価への影響が従来よりも大きくなっていることも物価上昇を後押しした。
ニッセイ基礎研究所のマクロモデルを用いて、アベノミクス始動後の円安が経常利益、消費者物価の押し上げにどれだけ寄与してきたかを試算すると、3年間の累積で経常利益が14.8%、消費者物価が1.5%となった。過去3年間の上昇分のうち、経常利益の4割弱、消費者物価の7割弱が円安によるものだったということになる(図2)。
図2 円安による消費者物価、経常利益の押し上げ幅
(円安一巡で企業収益の改善に陰り)
円安の一巡はすでに企業収益に悪影響を及ぼしている。2015年10-12月期の法人企業統計の経常利益は前年比▲1.7%と4年ぶりの減少となった。非製造業は増益を確保したが、製造業が2015年7-9月期の前年比▲0.7%から同▲21.2%へと減益幅が急拡大したことが響いた。ドル円レートは2014年10-12月期から2015年7-9月期まで前年比で10%を超える円安となっていたが、2015年10-12月期は5四半期ぶりに一桁の円安にとどまった後、2016年1-3月期は15四半期ぶりに前年よりも円高水準となった(図3)。
また、日銀短観2016年3月調査では、事業計画の前提となっている2016年度の想定為替レートが大企業・製造業で117.46円/ドルとなり、アベノミクスが始まってから初めて足もとのレートよりも円安水準となった(図4)。これまでは、現状が企業の想定レートよりも円安となっていたため、収益計画が上振れる傾向が続いてきた。2016年度の経常利益の当初計画は前年度比▲1.9%の減益計画(大企業・製造業)となっているが、現状程度のドル円レートが続いた場合、収益はさらに下振れる可能性が高いことになる。
図3 円/ドルレートと経常利益/図4 想定為替レートと現実の為替レートの関係
図5 減少に転じた訪日外国人の一人当たり消費額 円高による悪影響は製造業のほうが大きいが、円安を追い風とした訪日外国人急増の恩恵を受けてきた旅行業、宿泊業、小売業などの非製造業も大きな打撃を受ける可能性がある。もちろん、訪日外国人増加の背景には円安に加えて、アジアの中間所得者層の増加、ビザの発給要件緩和、LCC就航の増加などがあるため、円高に振れたからといって即座に訪日外国人数の減少につながるとは限らない。しかし、少なくとも一人当たりの消費額は為替レート変動の影響を強く受けるため、円高によって減少することは避けられないだろう。実際、国際収支統計の旅行収支の受取額を訪日外国人数で割ることにより一人当たりの消費額を試算すると、最近は前年比でマイナスとなる月が多くなっている(図5)。
(物価の下押し圧力強まる)
消費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)は、エネルギー価格の大幅下落が続く中でも今のところゼロ近傍で踏みとどまっている。消費者物価指数の調査対象品目を前年に比べて上昇している品目と下落している品目に分けてみると、上昇品目数の割合が7 割近くなっており、引き続きエネルギー以外の物価上昇圧力は強い。政府が消費税率引き上げ時に価格転嫁を促す政策をとったこともあり、企業の値上げに対する抵抗感はかつてに比べて小さくなっており、原材料価格の上昇に対応した価格転嫁は比較的スムーズに行われるようになった。しかし、足もとでは原油価格の大幅下落や円高の進展を受けて輸入物価は大幅に下落しており、川上から川下への価格転嫁が進むことにより、消費者物価の下押し圧力が強まる可能性がある。
また、消費者物価は為替レートだけでなく、需給バランス、予想物価上昇率、賃金動向などによっても左右されるが、景気の低迷が長期化していること、現実の物価上昇率の低下を受けて家計、企業の予想物価上昇率も低下傾向にあること(図6、7)、春闘賃上げ率が前年を下回ることが確実となったことなど、物価を押し下げる材料ばかりが目立つようになっている。
図6 消費者物価と家計の予想物価上昇率/図7 企業の物価見通し
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経済研究部   経済調査部長

斎藤 太郎 (さいとう たろう)

研究・専門分野
日本経済、雇用

経歴
  • ・ 1992年:日本生命保険相互会社
    ・ 1996年:ニッセイ基礎研究所へ
    ・ 2019年8月より現職

    ・ 2010年 拓殖大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2012年~ 神奈川大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2018年~ 統計委員会専門委員

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