2016年04月05日

マイナス金利下での退職給付債務の割引率について-ASBJが議事概要を公表したが、今後の議論が重要-

中村 亮一

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3―マイナス金利の場合の割引率の取扱いについて

1|問題の所在
さて、日銀によるマイナス金利の導入により、その後のイールドカーブにおいて、広範囲の期間にわたって、マイナス金利が発生することになった。これに伴い、こうした状況下で割引率をどのように設定するのかが問題になってきた。
現在の企業会計基準等に基づけば、「安全性の高い債券の利回り」に基づいて決定する、と規定されていることから、利回りがプラスであるかマイナスであるかで区別していない。これに基づけば、利回りがマイナスであっても、そのまま適用するのが、現行の規定に従った考え方ということになる。
ところが、そもそも、「割引率」については、その言葉が表すように、利回りがプラスであることを暗黙の前提としているとの考え方が一般的であったと考えられる。即ち、マイナスの利回りを適用して、「割増」になることも十分に想定した上で、現在の規定が策定されているとの幅広いコンセンサスはないものと考えられる。
従って、平成28年3月期年度末決算(以下、「平成28年3月決算」)における取扱いについて、一定の方針を確認しておく必要があった。これを受けて、ASBJでの議論が行われている。

2|ASBJにおける「議事概要別紙」の概要
公表されたASBJの「議事概要別紙」には、「マイナス金利をそのまま用いる論拠」と「ゼロを下限とした利回りを用いる根拠」が紹介されている。
 そして、「割引率としてマイナスとなった利回りをそのまま用いるか、ゼロを下限とすべきかについては様々な見解があるが、『退職給付債務の計算における割引率について国債の利回りを用いる場合に、マイナスの利回りをそのまま用いる論拠』の方が、現行の会計基準に関する過去の検討における趣旨とより整合的であると考えられる。」としている。「ただし、本論点に対して当委員会としての見解を示すためには相応の審議が必要と考えられるほか、国際的にも退職給付会計において金利がマイナスになった場合の取扱いが示されていないことを踏まえると、現時点では、退職給付会計において金利がマイナスになった場合の取扱いについて当委員会の見解を示すことは難しいものと考えられる。」としている。
 そして、システム対応等実務上の要請も考慮して、先に述べた「平成28年3月決算においては、割引率として用いる利回りについて、マイナスとなっている利回りをそのまま使用する方法とゼロを下限とする方法のいずれかの方法を用いても、現時点では妨げられないものと考えられる。」との結論となっている。

3|マイナス金利下における割引率に関する論点について
以上、結論的には、「マイナスをそのまま使用することもゼロを下限とすることも共に認められる」形になっており、両者の考え方に優劣をつける形にはなっていないが、「議事概要別紙」の内容からは、個人的には「マイナス金利をそのまま使用する」ことが志向されているとの印象を受けるものとなっているように思われる。
これは、マイナス金利をそのまま用いる論拠の中で触れられているように、「割引率は貨幣の時間価値を反映するものであることから、プラスとマイナスで区別する合理的な理由はなく、資産と負債の整合的な評価という視点から見た場合、マイナス金利も含めた市場金利で評価すべきである。」という考え方が背景にあるものと想定される。
これに対しては、「マイナス金利の状態でマイナス金利の資産に長期間投資しておくことは一般の企業の判断として考えられず、マイナスの利回りの債券に投資している投資家も、一般的に満期まで保有する意図を有しているわけではない。その意味で、マイナス金利はリスクフリーの金利を適切に示しているといえるわけでなく、割引率としての妥当性には疑問がある。」との反論もある、ものと考えられる。
いずれにしても、現在の規定がマイナス金利の発生も十分に想定して作成されたものではなく、マイナス幅が0.1%程度の小幅にとどまっているのであれば、いずれの方式を採用しても、退職給付債務の計算結果への影響は限定的であるので、当面の対応としてはいずれの方式を採用しても大きな問題にはならない、という点も考慮されて、今回の結論になっているものと想定される。
 

4―実際の割引率の適用について

4―実際の割引率の適用について

1|イールドカーブのマイナスの反映
さて、今回のASBJの「議事概要別紙」の公開により、平成28年3月決算において、マイナスとなっている利回りをそのまま使用する方法とゼロを下限とする方法が認められることになったわけであるが、このうちのゼロを下限とする方法の具体的な適用について、数理実務ガイダンスが定める各種のアプローチに照らしてみると、以下の通りとなる。

(1)イールドカーブから複数の割引率を使用する①や②のアプローチを採用する場合
この場合、まずは文字通りに、「(A)イールドカーブのマイナスの部分をゼロとする(退職給付の支払見込期間の各スポットレートから得られる割引率のマイナスをゼロとする)」ことが考えられる。
そもそもマイナスの割引率の適用に否定的な考え方をする場合には、その根拠からして、イールドカーブのマイナスの部分の適用を認めないことになることから、自然な考え方として、この考え方に立つことになる。結果的に、この場合には、プラスの金利ゾーンが存在すれば、必ず割引が行われることになる。
これに対して、①や②のアプローチを採用する場合の基本的考え方が、「イールドカーブの形状を反映する」ことにあるとすれば、「(B)イールドカーブはそのまま使用して、その結果として得られる割引率がマイナスに相当する場合にこれをゼロにとどめる」ことも考えられる。
この考え方によれば、「結果として得られる退職給付債務が各年の退職給付見込額の合計額を上回っている場合に、これを各年の退職給付見込額の合計額に留めることで、実質的に割引率をゼロにとどめる」ことになる。(A)方式とは異なり、この場合には必ずしも割引が行われるわけではなく、(A)方式よりも高い退職給付債務額となる。
 
イールドカーブから複数の割引率を使用するアプローチを採用する場合
ただし、こうした考え方については、計算過程の第1段階においてマイナスの部分を含むイールドカーブを認めつつ、第2段階でその結果得られるマイナスの割引率を否定する形になるため、このような考え方が認められるのかについては定かではない。

(2)単一の加重平均割引率を使用する③や④のアプローチを採用する場合
退職給付債務のデュレーションを数理実務ガイダンスが定める方式等で算出した後、該当する期間のスポットレートを採用する形になり、これがマイナスの場合にゼロにとどめることになる。

2|マイナス金利を踏まえた割引率設定方法に関する論点
マイナス金利の発生を踏まえて、割引率設定に関して、以下のような点を考慮することも考えられる。

(1)アプローチの変更
現在は、前述のように、多くの会社が単一の割引率となる③や④のアプローチを使用しているが、数理実務ガイダンスには、③や④のアプローチについては、「この方法は、イールドカーブの形状を十分反映しないことに留意する。」と規定されている。従って、イールドカーブの形状によっては、③や④のアプローチでは割引率がマイナスやゼロになる場合でも、①や②のアプローチを採用した場合には、プラスの割引率となる可能性がある。
数理実務ガイダンスには、「過去に採用したアプローチは、通常は継続的に使用するが、その合理性は環境の変化によって低下する可能性があるため、必要に応じて見直しを検討する。」との記載があることから、③や④のアプローチを採用してきた企業が、平成28年3月決算において設定方法を見直すことも考えられる。

(2)優良社債の利回りの適用
なお、「安全性の高い債券」として、これまで、国債を採用してきた企業が、平成28年3月決算から、優良社債の利回りを使用する方式に変更することも考えられる。
欧州では、国債のマイナス利回りが発生しているにも関わらず、優良社債の利回りがプラスを確保している状況にあることから、退職給付債務の評価において、マイナス金利が適用されている状況にはない模様2である。日本においても、平成28年3月末において、例えばダブルA格相当以上の優良社債の利回りでみればプラスを確保している。ただし、欧州の社債市場は、日本に比べて厚みのある市場となっているのに対して、日本においては、社債市場もマイナス金利導入の影響を受けてやや不安定な状況になっているとの指摘もある。

ただし、いずれの方策を採用する場合も、その変更の合理的理由の説明が求められることになる。さらには、こうした変更を行った場合には、過去に遡及しての数値算出も求められる可能性があることから、これに伴う負担も考慮しての判断が必要になってくる。
 
2 国際会計基準のIAS第19号第83項によれば、「退職後給付債務(積立てをするものとしないものの双方とも)の割引に使用する率は、報告期間の末日時点の優良社債の市場利回りを参照して決定しなければならない。そのような優良社債について厚みのある市場が存在しない通貨については、当該通貨建の国債の(報告期間の末日における)市場利回りを使用しなければならない。社債又は国債の通貨及び期日は、退職後給付債務の通貨及び見積期日と整合しなければならない。」(IFRS Foundation)と規定されている。
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