コラム
2014年07月07日

都議会と市民意識のズレ-少子化対策とは、“希望”もてる社会つくること

土堤内 昭雄

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私は先週の本欄に、「セクハラやじ」発言に対する東京都議会の『各会派は品位を持って臨むべき』というコメントを聞いて、大変驚いたと書いた。理由は、これは品位の問題ではなく、「人権侵害」で、「人権意識の欠如」の問題だと考えたからだ。その後、都議会は「信頼回復に関する決議」を採択したが、私はそれを読み再び驚いた。なぜなら、そこには『人権侵害と言われかねない 不規則発言が発せられ』(斜体は筆者による)とあり、相変わらず、この事態を「人権侵害」とは認識していなかったからである。

問題の発言をした都議の謝罪会見を聞いても、都議会の事後の対応をみても、今回の事態を重大かつ深刻な「人権侵害」だとする認識が薄いように思える。都議会議長は、“やじ”発言が出た時、発言者に対して注意喚起すべきだったとの有権者の声も聞かれる。上記の決議文からは、都議会と都民との間には大きな意識のズレがあるように思えてならないのである。

最も地域住民の暮らしに寄り添うべき地方政治にあずかる議員にとって、住民感覚を理解することはとても重要だ。このような地方議員が集合した地方議会であってこそ、地域住民のための政治を行うことができる。地方議会には、地域のことを考え日夜奔走する地方議員がいる一方、今回の都議会の様子を見る限りでは、今の都議会は市民意識と乖離した集団と思われても仕方ないだろう。

私は60~70年代の日本の高度経済成長期に子ども時代を過ごした。住宅や食事など当時の暮らしは、現在に比べて明らかに貧しかった。おとなは毎日長い時間働いていたし、レジャーといっても、今ほど多様な楽しみはなかった。ただ、その頃は『明日は今日よりもよくなる』という確かな手応えがあった。つまり、そこには“希望”があったのだ。

今日、日本社会全体は豊かになったが、同時に大きな格差社会になった。若者の非正規雇用が拡大し、経済基盤が安定せず、結婚したくてもできない人や長時間労働に苦しむ人も多い。一所懸命働いても豊かになれないという閉塞感と諦観が、人々を“希望”から遠ざけている。

政治の役割とは、国民に“希望”を与え、現実をそれに少しでも近づけることではないか。しかし、今回の都議会の対応は、逆に都民の“希望”を摘み取るようにさえみえた。少子化対策とは、単に出生数を増やすことだけではないはずだ。それは子どもを生み育てることに喜びを感じられる“希望”もてる社会をつくることだと思う。今回の「セクハラやじ」発言は、“希望”を喪失させる「人権侵害」行為であり、それを理解しない限り、本質的な少子化社会の課題を解決することはできないだろう。




 
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(2014年07月07日「研究員の眼」)

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