2014年06月06日

トリエンナーレの時代-国際芸術祭は何を問いかけているのか(前編)

吉本 光宏

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1―全国に広がるトリエンナーレ

瀬戸内国際芸術祭2013、あいちトリエンナーレ2013、十和田奥入瀬芸術祭、神戸ビエンナーレ2013、中之条ビエンナーレ2013。昨年、全国各地で開催されたトリエンナーレ、ビエンナーレ形式の大規模な芸術祭である。今年も、5月上旬に終了した中房総国際芸術祭をはじめ、夏にはヨコハマトリエンナーレ2014、札幌国際芸術祭2014、そして秋には国東半島芸術祭も開催予定だ。
   トリエンナーレは3年に1回、ビエンナーレは2年に1回開催される国際美術展・芸術祭で(以下本稿では『トリエンナーレ』と表記)、海外ではヴェネチア、ドクメンタ(独カッセル)、リヨン、リバプール、サンパウロ、イスタンブール、光州、広州、台北、シンガポール等の例が知られる。
   しかし、これほど多くの大規模かつ多様なトリエンナーレが開催されている国は日本をおいて他にないのではないか。しかもほとんどが2000年以降に創設されたものである。本稿では2回に分けて、国内外の開催状況や日本の代表例を紹介しながら、トリエンナーレの意味や社会的な役割を考察した。


1│世界の開催状況と歴史

トリエンナーレについて、比較的信頼性が高いと思われるポータルサイトのひとつBiennial Foundationによれば、現在、世界各国で144件のトリエンナーレが開催されている。国別の件数は図表1のとおりで、日本は4番目に多い。ただしこのサイトに掲載されていないものも含めると日本は18件で(図表2)、世界で最もトリエンナーレの盛んな国のひとつであることは間違いない。




海外の主要なトリエンナーレ約20件をピックアップし、国内のものとあわせて開催地、最近の開始年と今後の開催予定を図表2に整理した。
   最も歴史が古いのは1895年に始まったヴェネチア・ビエンナーレで120年近い歴史がある。その後、サンパウロ、ドクメンタなどが1950年前後に始まっているが、各国のトリエンナーレも90年以降に創設されたものが多い。




2│日本の開催状況

日本でも1952年から日本国際美術展(東京ビエンナーレ)が2年ごとに開催されていた。これはアジアで初めてのビエンナーレ形式の国際展だったが、90年に終了している。15回のうち70年の第10回展は日本の美術史に大きな足跡を残すものだった。美術評論家の仲原佑介をコミッショナーに迎え「物質と人間」をテーマに70年代の国内外の重要な美術動向を包括した国際展で、展覧会の入場者に「これがなぜ芸術か」という衝撃を与えたという。
   現在日本で開催中あるいは今後開催予定のトリエンナーレは図表2に示したとおりである。トリエンナーレ・ブームとでも呼べる現在の状況を生み出したのは、2000年に始まった大地の芸術祭と翌年にスタートしたヨコハマトリエンナーレの二つであろう。
   日本のトリエンナーレは、農山村や離島で開催される「里山型」と「大都市型」に大きく分けられるが、それぞれこの二つが起点となっている。前者には十和田奥入瀬芸術祭、中之条ビエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、国東半島芸術祭などが、後者には札幌国際芸術祭、あいちトリエンナーレ、北九州国際ビエンナーレなどが含まれる。
   もっとも、新潟市の水と土の芸術祭は、大都市型でありながら水と土をテーマに広域展開することで里山型の要素を兼ね備えている。また、別府現代芸術フェスティバル混浴温泉世界や中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックスは、どちらかに分類することは難しいが、地域の特性や文脈に基づいた展開が特徴となっている。


2―日本の主要なトリエンナーレ

1|あいちトリエンナーレ2013-災後の日本、不確かな世界を考える

大都市型の代表例が昨年のあいちトリエンナーレである。「揺れる大地-われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」というテーマが示すとおり、東日本大震災や原発事故が強く意識されたものだった。しかしそれはテーマの一部に過ぎない。芸術監督の五十嵐太郎は「我々が立つ場所やアイデンティティが揺らいでいる危機的な状況」という広い意味で「揺れる大地」というテーマを掲げた。
   メイン会場となった愛知芸術文化センターの中で異彩を放っていた作品は、地下2階から地上10階までを使った宮本佳明の『福島第一さかえ原発』である。1階エントランスには炉心と思われる平面図が黄色いテープで描かれ、8階展示室には壊れた建屋の一部が再現された。センター全体の空間を使って福島第一原発を原寸大で再現し、その大きさを実感してもらおうという試みだ。実際、映像や写真でしか知らない原発の巨大さには圧倒される。
   あいちトリエンナーレではまちなか展開も重視している。岡崎シビコという営業中のショッピングセンターでは、テナントの撤退した5階から屋上までの3フロアに作品が展示された。5階は向井山朋子とジャン・カルマンの『FALLING』。うずたかく積み上げられたおびただしい数の新聞紙や壊れたピアノの展示に息をのむ。6階は岡崎市出身の写真家、志賀理江子の『螺旋海岸』。2009年から活動の拠点を宮城県名取市に移し、東日本大震災で甚大な被害を受けた北釜地区を撮り続けた写真群である。屋上は、建築家ユニット栗原健太郎と岩月美穂のstudio velocityによって真っ白に塗り替えられ、グリッド状に張り巡らされた無数の糸が空に漂う『roof』という作品だ。
   かつて市内有数の商業施設だった岡崎シビコは、全盛期には人で溢れかえったという。今も営業を続けるがその頃の面影はない。そうしたビル固有の歴史と、そこに設置された作品群がトリエンナーレのテーマとつながり、社会の仕組みが大きく揺らいでいることが印象づけられた。 (→7月号に続く)

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