コラム
2013年10月28日

大学入試と“学生ポートフォリオ”- 「平均点主義」の光と影

社会研究部 主任研究員   土堤内 昭雄

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政府の教育再生実行会議は、今年5月に『これからの大学教育等の在り方について』という第三次提言を行い、10月には大学入試改革として「センター試験に代わる新試験制度の導入」を打ち出した。それによると、「基礎レベル」と「発展レベル」の到達度テストを実施した上で、面接や論文、課外活動などを評価する「人物重視」の入試にするという。「人物重視」というからには、大学がまずどのような学生像を求めているのかが明確でなければならないだろう。

戦後、日本の大学は急速に「大衆化」した。1955年の大学進学率はわずか7.9%だったが、2009年には50.2%となり、入学定員も増え続けた結果、今日では大学全入時代と言われている。かつて日本の大学は旧帝国大学を中心にエリート養成機関として機能し、団塊世代の人たちの時代には国立大学の授業料はわずか月額1,000円と多額の国費に支えられてきた。その後、大学の「大衆化」と共に入学金や授業料は大幅に高くなる一方、多くの大学は高度な教育・研究機関としての性格が薄らいでいった。

このような大学の「大衆化」により、日本人の平均的能力はある程度高まった。先日公表されたOECDの「国際成人力調査」では、日本は「読解力」と「数的思考力」の両分野で最も高い平均点を獲得した。それが日本の国力の安定や産業発展の基盤に繋がっていることも確かだろう。しかし、今後も国力の向上を図るためには、近年の大学教育の「平均点主義」の光と影を精査することが必要だろう。

進化生物学者の長谷川英祐 北海道大学准教授は、『平均値主義は、確実にイノベーションの芽を摘む。(中略)教育システムは、個々人の才能を伸ばすシステムではなく、平均化近代人の大量生産を続けるシステムとして機能してきた』と指摘し、大学研究者の科学研究費の申請評価も『複数の審査員の点数のうち、最も高いものと最も低いものは除外され、残りの平均点で評価される。(中略)このような審査システムは、新しいアイデアをほぼ確実に葬り去る』と述べている*

大学卒業後、企業で働くには協調性やコミュニケーション能力が求められることは確かだが、それに拘泥するあまり、独創的で直ぐには社会から理解を得られない人の才能が埋もれていないだろうか。今後の大学が求める学生の将来像は、バランスのとれた平均的リテラシーを有するだけでは不十分だ。社会から見れば少し変わり者であっても、独創的な発想ができ、ある分野に突出した能力を有する、個性ある学生が必要だろう。大学入試で「人物重視」というのなら、「平均点主義」に囚われない、多様な“学生ポートフォリオ”が可能な、ユニークな学生を発掘する入試制度になって欲しいものである。




 
   『働くアリに幸せを~存続と滅びの組織論』(講談社、2013年9月)

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社会研究部   主任研究員

土堤内 昭雄 (どてうち あきお)

研究・専門分野
少子高齢化・家族、市民社会・NPO、都市・地域計画

(2013年10月28日「研究員の眼」)

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