コラム
2013年07月17日

なぜ昔の製造業の現場は力があったのか

遅澤 秀一

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日本経済における「もの作り」の位置付けの議論は別にしても、日本の製造業の凋落が語られることが多くなったように感じる。かつて日本の製造業の強みは「現場」にあると言われていた。現場の人材の質の高さから生まれる規律や改善への積極性が品質やコストに反映し、競争力の源泉となっていた。現在、製造業が新興国の追い上げを受け苦境に立っている原因としては、このような強みが活かせる擦り合わせ型の製品分野が減少しモジュール型の製品が増えたことが挙げられている。しかし製造現場の力がかつてよりも落ちたことも一因だとは言えないだろうか。

たしかに一昔前の製造現場には優秀な作業長や職長(企業によって呼称は違う)がいたように思う。当時、NC工作機械やシーケンス制御のプログラミングやジグ設計なども、生産技術エンジニアの手を借りることなく現場で対応することも多かったようだ。だが現在では、一世代前と比較すると力が落ちた感が否めないという声も聞く。

「昔に比べて今は」などという場合、単なる印象論に過ぎないことが多い。しかしかつての製造現場の質の高さは、進学率の今昔の相違からも裏付けられるのではないか。昭和30年代前半の高校進学率は6割に満たなかったし、男子の大学進学率が2割を超えたのも昭和30年代後半のことである。今に比べれば、高校・大学進学率ははるかに低かった。そのため中学や高校で優秀だった人たちが、製造業の現場に入り経済成長を支えてきたのである。今ならば彼らは相当レベルの高い大学に進学していたはずだ。当時は初等・中等教育が充実し高校・大学進学率も上昇していったが、まだ進学率の水準は低いという状況にあった。そうした中で第一次産業から第二次産業へと産業構造が変化していく社会で、製造業は成長性が高く魅力ある産業として優秀な若者を惹きつける力があったのであろう。

現在は産業構造がサービス化し、大学進学率も5割に達している。また昨今は大手メーカーのリストラのニュースが報じられることも珍しくない。こうした環境下で製造業が優秀な人材を集めるのは、昔よりも難しくなったことは想像に難くない。このことのインプリケーションは二つある。

第一は、教育がある程度普及すれば、さらなる高学歴化が国民の知的水準や実務能力向上に与える効果は小さくなるということである。昔であれば中卒や高卒の人たちがやっていたことであっても、現在では大卒者ができないということが起きても何ら不思議ではない。

第二に、教育の中身も大事だがそれ以上に人材の適正配分や優秀な人材の活用が重要だということだ。どこの国にも優秀な人材はいる。また優秀な人材ばかりではないのも、どこの国でも同じことである。1980年代には、日本では優秀な人材はエンジニアになっているが、米国では優秀な人たちがロー・スクールを出て互いに訴訟を起こしあっていると言われたこともあった。だが日本の現状はどうか。優秀な理系の高校生が医学部に殺到し、大学生の就職希望先で公務員が上位にランクされているような国に明るい将来があるのだろうか。もっとも若い世代を批判するのは筋違いというものだ。彼らは冷静にリスクとリターンを勘案して判断しているのである。日本の将来に明るい見通しが持てないのであれば、リスク最小化は合理的な選択になる。

職業選択の自由が保障されている以上、国家の産業政策を若い世代に強要することなどできない。たとえば雇用を流動化して人材を成長産業に移動させようとすると、若い世代のbest and brightestがリスク回避に動くため、社会全体では人材が最適配分されなくなってしまうことも起こりうる。部分最適の合計が全体最適になるとは限らない。それを防ぐには、規制業種・職種の既得権を剥奪してリスク・リターンの歪みを正すのは当然としても、若い世代のリターンとリスクのバランスを考えた政策が重要である。リターンの面では、世代間格差を是正し若い世代の「実質的」リターンを高める必要がある。若い世代が頑張っても恩恵を享受するのは高齢者だけというのではリスクをとるはずがない。またリスク面ではセーフティー・ネットを整備して社会全体のリスク許容度を高めることを考えていく必要がある。少子化社会では若い人材は希少資源だ。一回の失敗で使い捨てにするわけにはいかないのである。

政治家のみならず一般の人も教育に関しては一家言を持っている。そのためいつの世でも教育問題は熱心に議論される。しかし子供に好きなことをやらせるのならばともかく、社会的ニーズを子供たちにゴリ押し・強制したあげく人材の無駄使いをするのでは何をやっているのかわからない。教育論議もよいが、まずは人材を有効に活用することを考え、そのための環境を整備する方が現実的だし、社会的コストも低く即効性があるだろう。

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