コラム
2013年03月04日

“幸せ”のマネジメント -「笑う門には福来る」

土堤内 昭雄

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多くの人が幸せな人生を願っているだろう。“幸せ”の実現には、暮らしを支える様々な社会的厚生(Social Welfare)の蓄積が必要だ。その社会的基盤となるのは、介護・医療・年金などの社会保障をはじめ、誰もが享受できる教育、仕事と子育て・介護などが両立するワーク・ライフ・バランス、安全で安心できる食糧供給、治安や防災のための都市インフラ・・・などなどである。

一方、これらの社会的基盤が整うことは“幸せ”実現のための必要条件ではあるが、それで誰もが幸せになれるわけではない。同じ状況下にあっても“幸せ”を実感する人もいればそうでない人もいるだろう。主観的な幸福度は、個人の価値観や意識に大きく依存しており、それ故に自分自身で幸せになる状況をマネジメントすることも可能なのである。

内閣府「国民選好度調査」では国民の主観的幸福度を「とても幸せ」を10点、「とても不幸」を0点として、「あなたはどれくらい幸せですか?」と質問している。10点と回答する最も幸せな人とはどのような人か。それは客観的に最も恵まれた人というよりは、“幸せ”を感じとる感受性を備えた人ではないだろうか。何故なら、人間の欲望は際限なく、換言すれば「足るを知る」ということかもしれない。“幸せ”が常に拡大し続けなくてはならないとすると、本当の“幸せ”は訪れないだろう。

また、多くの幸福度に関する文献を読むと、人が幸せになるためにはあまり人生の細部にこだわらないことが重要なようだ。自分の将来に明るい期待を持っていることや他人と比較しないこと、人に感謝することを忘れない人は幸福度が高い。すなわち楽観的な生き方は“幸せ”をもたらすのである。

フランスの哲学者アラン(1868-1951年)は、93編のプロボ(哲学断章)からなる「幸福論」のなかで、『悲観主義は感情によるが、楽観主義は意志の力による』(第93編)と述べている。“幸せ”は現実の状況と個人の期待値との相関関係や時間軸によって大きな影響を受ける。しかし、個人の期待値は、イソップ物語の「狐と葡萄」のように何かを我慢したりあきらめたりするためのレトリックではなく、自らの価値観やライフスタイルによって決まるのである。

まもなく東日本大震災から丸2年になる。被災地で懸命に立ち上がろうとする人たちのなかに笑顔を見つけた時、アランの「幸福論」の『幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ』(第77編)を想起する。日本でも昔から『笑う門には福来る』というが、“幸せ”の実現には、社会的厚生の充実とともに、「笑う」という自らの意志による“幸せ”のマネジメントが重要なのではないだろうか。
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(2013年03月04日「研究員の眼」)

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