コラム
2012年10月22日

増資インサイダーだけではない、個人投資家を遠ざける日本の株式市場

金融研究部 チーフ株式ストラテジスト・年金総合リサーチセンター兼任   井出 真吾

文字サイズ

まず、図表1をご覧いただきたい。これはある企業(A社)が2012年度第1四半期決算を発表した日と、その翌日のA社の株価を示している(発表日の始値を100として指数化)。A社は決算発表に併せて今期業績の見通しを下方修正したことが嫌気され、株価は発表直後に急落した。

ここで二人の投資家を想定してみよう。運用会社のファンドマネージャーX氏と、メーカー企業で営業を担当する個人投資家のY氏だ。いずれもA社株を保有しており決算発表に注目していた。単独で売買を決める権限を持つX氏は、発表から1分以内に始値より約4%安い値段で手放すことができた。一方、A社が決算発表した同時刻に取引先との打合せに臨んでいたY氏は、その日の仕事を終え帰宅する電車の中でA社の下方修正を知り、売却することを決定。翌朝、同約7%安く売却した。


A社の株価推移

誤解を招かぬよう明記しておくが、A社、X氏、Y氏の行動は全て合法だ。しかしY氏は、「なぜA社はあんな大事な情報を取引時間中に発表したのだろうか・・・。」と釈然としない。一般論として情報開示は早い方が良い(特にネガティブな情報は)。また、より早く開示すれば情報漏えいのリスクを軽減できるので、増資インサイダー事件のような違法行為を回避しやすくなる。他にも発表(記者会見)場所が確保しづらいとか、大企業の発表時刻とずらした方が注目されやすいといった企業側の事情やメリットがあるようだ。

しかし、それではY氏のように株式投資を本業としない個人投資家は置き去りにされた感が残る。もっとも、PTS(私設取引所)を利用すれば夜間取引が可能なことや、もし将来的に24時間取引になれば“時間外”という概念すら無くなるといったご指摘はあろう。また、証券取引所での株式取引は「価格優先・時間優先」のオークション方式なので、「いかに他人より早く注文を出すかが株式投資の真髄だ」といった向きもおられよう。どれも否定するつもりはない。

では、個人投資家の多い米国はどうだろうか。日米の主要な500社について決算発表時刻を調べると、日本では少なくとも152社(3割)が取引時間中に業績を発表するのに対し、米国では分かっている限りではたったの1社だ(図表2)。米国にも取引時間中の決算発表を規制するルールは存在しないようなので、企業の自主的な取り組みと考えられる


取引時間中に決算発表する主要企業数

繰り返しになるが、A社、X氏、Y氏とも市場のルールに則して行動しており、この点において責められるべきことは一切ない。即ち、取引時間中に決算を発表することや、それを利用した瞬時の取引がフェアかアンフェアかとか、良いか悪いかという話ではない。現行ルールを前提とするならば、X氏のように決算発表に収益機会を見出せばそれを狙うのは投資家として当然だ。むしろ、いつ発表するかは個々企業が株主構成や今後どのような投資家に株式を保有して欲しいと考えるかに依存する部分が大きいのではないか。つまり、発表する企業側が考えるべき問題だろう。

例えば、株主数を大幅に増やしたいと考えるなら、Y氏のような個人投資家を意識した上で、業績見通しや買収など株価に大きな影響を及ぼしかねない情報は取引時間外に開示するといった配慮が求められよう。逆に、X氏のようにリアルタイムで機動的に売買できる投資家に焦点を当てる場合は、取引時間中に発表すると株式の取引量(流動性)が高まる可能性があるので、投資家に歓迎されるかもしれない。

ところで、先ほど「現行ルールを前提とするならば」と書いたが、現行の市場制度がX氏とY氏のような投資家間の情報格差を招いているという見方もできる。2001年に小泉純一郎内閣が「骨太の方針」で掲げた「貯蓄から投資へ」は、投資家の裾野拡大、まさに株式投資に不慣れな個人投資家を増やし、個人マネーを株式市場に呼び込むことが狙いであり、そのために官民あげて証券税制改革や啓蒙活動など様々な取組みを行ってきた。

そうした中で明るみに出た増資インサイダー事件は、「そろそろ株式投資を始めてみようか」と思っていた人に「やっぱり株なんてやめておこう」と水を差したに違いない。違法行為を摘発すること、未然に防ぐことは当然必要だが、言うまでもなくそれだけでは済まない。プロとアマが混在する株式市場だけに、どのような投資家にフレンドリーな制度とするか難しい問題ではあるが、投資のグローバル化に伴い日本の株式市場の空洞化が懸念される中、既存の投資家に不信感を抱かせないことはもちろん、新たな投資家が安心して参入できる仕組みが必要ではないか。

今週から4~9月期決算の発表が本格化するが、世界景気の低迷や近隣諸国との領土問題などを背景に、業績予想を更に引き下げる企業が多いとの見方もある。Y氏のような投資家が実際に出ないことを願う。


 
 X氏のように単独で売買を決定せず、ある程度の時間をかけて分析・検討するプロ投資家も多い。逆に、個人でもX氏と同じようにリアルタイムで売買するデイトレーダーなどの投資家もいる。本稿では「個人かプロか」という言葉の定義を問題にするのではなく、常にマーケットを見ていて瞬時に売買する投資家とそうでない投資家の違いに焦点を当てる。

 業績予想の修正はインサイダー情報に該当する(金商法第166条)。

 但し、米国では夜間取引が普及しており、夜間取引ではA社株と同様の事象が起きている可能性はある。

 海外の株式市場にも上場している企業にとっては難しい問題となろう。

66_ext_01_0.jpg

金融研究部   チーフ株式ストラテジスト・年金総合リサーチセンター兼任

井出 真吾 (いで しんご)

研究・専門分野
株式市場・株式投資

レポート

アクセスランキング

【増資インサイダーだけではない、個人投資家を遠ざける日本の株式市場】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

増資インサイダーだけではない、個人投資家を遠ざける日本の株式市場のレポート Topへ