コラム
2012年06月04日

東京スカイツリーと江戸文化-「粋」と「雅」の東京フロンティア

土堤内 昭雄

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先日、グランドオープンしたばかりの東京スカイツリーに上ってきた。高さ634メートル、現代技術を結集した世界一高い自立式電波塔だ。地上450メートルから眺める東京の風景は、太陽の動きとともに刻々と変化し、ひとつの生命体を見るような感動があった。1958年に完成した東京タワーが日本の戦後の経済成長のシンボルだとすると、東京スカイツリーは平成の時代の何を象徴するのだろう。

その立地場所は東京の下町、墨田区・押上地区で、江戸時代から下町文化が栄えた場所である。スカイツリーの色は日本の伝統ある藍染の「藍白」というわずかに青みがかった白だ。その外観は、足元の三角形の平面から上部の円形の平面へと変化する中で、「そり」と「むくり」という日本古来の建築が持つ曲線になっている。また、LED照明によるライトアップは青色系の「粋」と江戸紫を使った「雅」がテーマで、一日交代で点灯される。その他にも、地震対策として五重の塔に使われている「心柱」を用いた制振構造を採用するなど、随所に日本の伝統技術が活かされている。

江戸時代中期の江戸は100万人の人口を擁し、世界最大の都市だった。江戸は江戸城を中心に西側に武家地、東側に日本橋など町人地が広がっていた。隅田川の墨堤には桜が植えられ、春には庶民の花見、夏には花火、秋には祭りで賑わった。また、両国橋の袂には茶店や広場があり、演芸・遊興の場として栄えた。花街だった向島は、江戸の面影を色濃く残している。そして江戸は何と言っても多くの掘割が張り巡らされた舟運の街でもあった。

地上350メートルの「天望デッキ」には、江戸時代に墨田川東岸から江戸の全景を鳥瞰して描いた「江戸一目図屏風」のレプリカがある。そこに至る4基のエレベーター内部の装飾は、ガラス細工の江戸切子や彫金、金箔、押絵羽子板など墨田の伝統工芸を使って「春夏秋冬」を描いたものだ。東京スカイツリーは、江戸文化を発信する「粋」と「雅」の東京フロンティアでもあるのだ。

人間はバベルの塔以来、少しでも天空に近づこうとしてきた。スカイツリーの着工から竣工までを定点観測した映像を見ると、それはまるで現代の“アリ塚”のようだ。一人ひとりの力は小さくとも、それぞれが責任もって自分の役割を果たすことにより世界に誇る巨大な建造物が完成した。大空の中にスカイツリーを見上げることで、多くの日本人が「モノづくり」の素晴らしさを思い、失いかけていた希望と自信を取り戻すことだろう。ここから新たにどんな文化が生まれ、発信されていくのか、東京スカイツリーはまさに天空に向かって伸びる「樹」であり、今後の「成長」がとても楽しみである。

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