コラム
2009年04月17日

“タイの政情不安から思うこと”

平賀 富一

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タイが変わってきている、これは約四半世紀にわたり同国担当の行政官、ビジネスマン、エコノミスト、格付アナリストとして、その推移を見てきた筆者の実感である。この点については、長らく同国でビジネスを展開・発展してきた日系企業の経営者や駐在員の方々の多くも同様の感想を持たれているのではないかと思う。

たしかに、他の多くの諸国とは異なり、タイの政情不安や混乱には、ある意味慣れっこになっている部分が多いといえる。他の国であれば、クーデターや大規模なストが起きれば、それらが経済や海外からの投資受け入れに悪影響を及ぼす可能性をすぐに連想する。

ところが、タイの場合には、同国を長く知る人ほど、その知識や経験を通じて、そういった政治的な混乱が、経済や投資動向、市民生活にそれほどの影響を与えないだろうと考える傾向があるように思う。事実これまでは、タイのもつバランス感覚、柔軟さが、政治混乱の経済や市民生活などへの波及をうまく防いできたといえる。その典型例は、92年のクーデターにおいて国王の裁定によって混乱が見事に収拾したことであろう。さらに同国のバランス感覚と柔軟性を示す事例としては、帝国主義の下、周辺諸国が次々に欧米列強の植民地となる中、巧みな多方位外交で唯一の独立国の地位を守りきったことや、隣国のマレーシアやインドネシアで華人に対する厳しい対応が見られる中、タイでは歴代首相の多くが華人であることに代表されるように華人や外国人への懐の深さも挙げられる。また、97-98年のアジア通貨・金融危機後の大きな困難に際し、IMF等との厳しい条件(コンディショナリティ)交渉を深刻な対立や後遺症を残すことなく円滑に進めたことも指摘できよう。

このような歴史を想起すれば、昨年来の民衆による空港の占拠や重要な国際会議を中止に追い込む妨害といった国際社会の信任を失う暴挙は理解しがたい面が大きい。

敬愛する国王の下、敬虔な仏教徒で心穏やかな国民による「微笑みの国」のイメージの中で何が変化しているのだろうか。

貧しい地方部に強い支持基盤を有するタクシン元首相派(タクシン派)と都市部の知識層・中間層の多くに支持される反タクシン派(現アピシット首相はその代表格)との間には大きな格差が存在している。総選挙を行えば、地方部に強いタクシン派は多くの議席を獲得することになり、政府は地方の開発・振興に予算の多くを配分することになる。他方、そのことは都市部を中心とする反タクシン派に大きな不満をもたらすことになる。かつてタイが、もっと貧しかった時代には、こういった格差をめぐる対立はそれほど顕在化していなかった。アジア通貨・金融危機も乗り越え急速な経済発展を遂げ、アジアのデトロイトと呼ばれる自動車産業を代表として域内サプライ・チェーン・マネジメントにおける製造業の一大拠点としての位置づけを有する中進国になる中でそのひずみは拡大している。同時に、国民の民主主義や政治参加に対する意識も変容してきている。

同国において国王が敬愛の対象であることは依然変わりがないが、問題の解決をご高齢の国王に期待するのではなく、今こそ、タイ国民自身が、その優れたバランス感覚と柔軟さを発揮して対立の構図を民主的・主体的に解消し、世界経済危機による困難を克服し更なる発展を目指すことができる体制の早期確立を期待したい。
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