コラム
2008年01月15日

日本の現代文化のポテンシャル:文化と産業のハイパーな融合政策を

吉本 光宏

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米国ワシントンのケネディ・センターでは、2月5日から「Japan! Culture + Hyperculture」と題して、大規模な日本フェスティバルが開催される。450名以上のアーティストを招聘し、2週間の間に音楽、舞踊、演劇など40以上の公演が予定されており、海外での同種の催しではこれまででも最大規模のものである1。昨年、国際交流基金の依頼で、記者発表のため来日した同センターの副館長、Alicia B. Adamsさんにインタビューする機会があった2

能や狂言などの古典から現代演劇、現代舞踊までがラインアップされた舞台芸術に加え、ファッション、建築、デザイン、ロボット工学、写真など、その多彩なプログラムには目を見張る。超越した文化、あるいは、従来の文化の領域を超えたフェスティバル、といった意味の込められた Hyperculture というタイトルにそのコンセプトが集約されている。

そのねらいを質問すると、Adamsさんの目がにわかに輝き、古典や現代の舞台芸術だけではなく、建築やファッション、あるいはオタク的な文化までもが同時に共存していること自体が、日本文化のユニークさで、その全体像を米国に紹介したいのだという。以前、日本の自動車メーカーが開発したロボットがトランペットを演奏するパフォーマンスを観て、Adamsさんは深く感銘したことがあるそうだ。ロボットにトランペットを吹かせるという発想は、日本人以外に思いつかない、そうした創造性や想像力の根底にあるものこそ、日本文化のオリジナリティ、それを何とかフェスティバルで伝えたい、というのである。

アニメやコンピュータゲームなど、日本の現代的な文化への関心は、海外でも急速に高まっている。日本政府もコンテンツ産業としてそれらの振興策を打ち出し、麻生元外相の提唱でアジアアニメ賞も創設された。それらは日本が世界に誇れる文化であり、国際的な競争力を持つ産業として、大きなポテンシャルを有していることは間違いないだろう。しかし、日本政府の政策は、その文化的な価値よりも経済的な価値だけに重きを置いているように思えてならない。なぜなら、日本の文化全体のポテンシャルを見据えた戦略ではなく、産業的な競争力のあるものだけに政策のウェイトが偏っていると思えるからである。

コンテンツ産業に代表される知財を生み出す源泉は、Adamsさんのいう日本の現代文化の多様性であり、その背後には、歴史的に培われてきた日本独自の文化的DNAが存在している。それらの総合的な振興を怠れば、アニメやコンピュータゲームの隆盛もやがて衰退するに違いない。重要なのは日本の文化的なポテンシャルと産業振興を結びつけ、それら全体を見渡した政策を立案・推進することである。

先日発表された一人当たりGDPに象徴されるように、経済面での日本の国際的地位は急速に低下している。しかし日本の産業の根幹を成すモノづくりの原点が、クリエイティブな発想やチャレンジであることを考えれば、芸術や文化は産業振興にとっても重要な意味を持っている。日本経済を活性化するためにも、文化と産業を融合するようなまさしくハイパーな政策が求められていると思えるのだが、いかがだろうか。
 
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