コラム
2007年10月15日

看取り ~認知症グループホームの挑戦~

  山梨 恵子

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訪ねたグループホームで、ある入居者の看取りの話を聞いた。その方は末期癌の89歳の男性で、既に積極的な治療は望めない状況にあった。看護師の配置も主治医との連携も比較的に手厚い事業所ではあったが、いよいよ状態が悪くなった時に家族が選ぶのは、医療の力にすがるための入院である。本人や家族から「延命治療は望まない」と事前の意思確認が行われていたとしても、延命措置と自分自身の納得のために、土壇場でスパゲティのようなチューブに繋ぎたくなるのも家族の愛情である。ところが、である。重度の認知症を持つその入居者は、入院を促す息子の手を掴んで「ここでいい」と低い声で訴えた。やっとの力で息子の手とグループホーム職員の手を繋ぎ合わせて、「ここでいい」と繰り返したという。家族に、このホームを信じて、自分の人生をここで終わらせて欲しいという心からの訴えなのだろう。

職員達の「本人の思いに応えたい」という気持ちに支えられて、そして家族の納得や主治医の協力を得ながら、その人はグループホームで静かに息を引き取った。閑散とした病室でのチューブやケーブルに繋がれた看取りしか知らない家族は、後から「こんな看取りもあるんですね」としみじみ管理者に語ったそうだ。これは、そのグループホームが本人にとっての「家」に成りえていたからこその出来事である。

介護保険が始まって7年。当初、元気に動ける認知症のお年寄りを想定してつくられたグループホームではあるが、入居者の重度化や看取り支援は深刻な問題となっている。これには、事業所の支援体制の問題だけではなく、容態変化で医療が必要になったときに、安易に入院させられないという認知症特有の事情がある。著しく環境変化に弱い認知症高齢者は、病室という異空間に自分が置かれるだけで、混乱し不安に陥る。もしも点滴や投薬に抵抗があれば、非情ながらも人生の最期を手足の拘束で過ごすこととなる。様子を見に行った家族やグループホーム職員は、手首につくられた青アザを見て、なんとか連れ帰って治療する方法はないものかと悲嘆にくれる。

在宅医療に関わる医師によれば、死期が近づいているときの点滴は気道内の分泌が増加し痰を増やしてしまうことで、かえって本人の苦痛が増すそうだ。筆者も、多くの看取りの経験談から、最期は点滴もせずに枯れるように自然な死を迎えることが本人にとっての緩和ケアではないかと考えるようになった。

いま、療養病床再編が進められる中での議論は、削減される23万床の療養病床を老健などの介護施設に速やかに衣替えするための方法論ばかりが先行している感がある。しかし、社会的入院拡大の背景にある在宅の重度要介護者の医療や介護の不足に、どう応えていくかという問題が同時に議論される必要があるはずだ。在宅系サービスが拡充した今でさえ、重度要介護者の介護は家族の過重な負担と心細い医療が前提となり、終末期を支える在宅医療や緩和ケアのしくみは未成熟である。在宅でもグループホームでも、終末期の安心感を共有できるしくみが望まれる。

山梨 恵子

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