コラム
2007年05月28日

映画「フラガール」とクリエイティブシティ

吉本 光宏

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劇作家の平田オリザさんに勧められ、先月、映画「フラガール(監督:李相日)」を観た。

この作品は、日本アカデミー賞最優秀作品賞など、数々の映画賞を受賞しており、ご覧になった方も多いと思う。1960年代、大幅な人員削減に苦しむ常磐炭坑の窮地を救うため、フラダンスショーを目玉にした常磐ハワイアンセンターが実現するまでの実話に基づいた映画である。

これからの文化政策を考える上で多くの示唆に富んでいる、というのが平田さんの推薦理由であったが、私はこの映画を観て、今や世界的な潮流となっているクリエイティブシティの本質が見事に描かれている、と思った。クリエイティブシティとは、英国のシンクタンク、コメディアの代表チャールズ・ランドリーが提唱した概念で、脱工業化で衰退してしまったEU諸国の工業都市が、芸術文化や創造的な産業によって再生したことから、新しい都市政策の考え方として注目されているものである(*)。

例えば、造船や鉱山で栄えていた英国北部のニューカッスル・ゲーツヘッドの場合、80年代に製造業の大部分が衰退し、失業率が15%を越えるまでに町は疲弊していた。1998年、高さ20m、幅64m、総重量200トンという鉄製の巨大なアートワーク「北の天使(アントニー・ゴームリー作)」の完成を契機に、この都市は大きな変貌を遂げる。その後、都心部に現代美術と音楽の二つの文化施設を設置するなどして、2002年にはニューズウィーク誌で「世界で最も創造的な8都市」のひとつに選ばれている。

最近のアンケートでは、93%の市民が「地域の活力維持にアートが必要」だと回答したそうだが、「北の天使」の計画発表時には8割の市民が反対だった。しかし、この彫刻の完成と同時に町は一躍有名になり、8割の市民が賛成に回ったという。衰退した造船の技術がアートに形を変えて都市のシンボルとなったことで、市民は再び誇りを取り戻したのである。クリエイティブシティの実践の形は多様だが、その本質は何よりもそうした価値観の転換にある。かつて造船業の繁栄を謳歌した市民が、芸術や文化によって町が活性化する、という考え方を受け入れることは並大抵ではないはずだ。

炭坑で働くことこそが、自分たちの生活と日本の社会を支えることだと信じて疑わない常磐炭坑の労働者とその家族たち。しかし、炭住の娘たちがフラダンスに町の未来を託し、一心不乱に取り組む姿に、大人たちの考えが徐々に変わっていく。富司純子演じる母親・千代の、踊りで人を楽しませてそれが仕事になるなら…、という言葉が象徴的だ。

EU諸国が発祥の地だと思われているクリエイティブシティだが、その本質を40年も前に体現した都市が日本にもあったということを、この映画は教えてくれる。そして、岸部一徳演じるプロジェクト推進の責任者が吉本部長ということで、私と同じ名前だったことにも、そこはかとない喜びを覚えた次第である。

*詳しくは「アート戦略都市―EU・日本のクリエイティブシティ」参照
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