コラム
2005年07月05日

イギリス主導によるEU活性化の可能性

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1.統合の「深化」と「拡大」の停滞を象徴

6月16~17日に開かれたEU首脳会議は、フランス、オランダの国民投票における批准否決で大きく揺らいだEU憲法条約を「一時棚上げ」する一方、拡大EU初の中期予算計画(2007~13年)交渉は決裂するなど、統合の「深化」と「拡大」の停滞を象徴する結果に終わった。

EU憲法条約の「一時棚上げ」は、2006年11月の当初の発効期限を延期し、2006年上半期に臨時首脳会議を開催し再協議するというものである。現加盟国である2カ国での国民投票の否決、これを受けてイギリスが国民投票の手続きの凍結を決める中、現実に採り得た唯一の選択肢であった。

また、中期予算計画の交渉決裂は、加盟国の中でも政策上の優先課題が異なり、EU予算の規模や配分の見直しから生じる利害が加盟国間で異なることに本質的な理由がある。次期中期予算計画の焦点の1つがイギリスに純拠出額の3分の2を払い戻す「リベート制」の見直しである。この制度は、経済規模や構造上の理由でEU予算への拠出額は大きいが、農業分野が小さく共通農業政策(以下、CAP)からの受益が少ないイギリスに配慮して1984年に導入されたものだ。この制度の見直しについて、唯一の受益者であるイギリスが、CAPの規模の見直しと併せて行うべきとの立場を譲らなかったことが交渉の決裂を招いたとされている。
 
共通農業政策(CAP)は、1958年にスタートした域内の農業生産性の向上、農業者の所得増大、適正な価格での安定供給などを目的とする制度。90年代以降、過剰生産や環境問題への対応、多国間貿易ルールへの対応のため価格支持政策は見直され、所得保障政策の運営も厳格化されるようになった。

2.改革路線を主張する下半期の議長国イギリス

中期予算計画の協議が持ち越された今年下期のEU首脳会議の議長は、イギリスのブレア首相が務める。米国と同様に市場原理を重視する経済システムを有するイギリスは、EUに加盟しながらも、本来、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令(1週間の労働時間を48時間以内とする指令)などの政策についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、「社会福祉国家」を標榜する欧州大陸諸国と一線を画してきた。EU憲法制定の先にある政治統合への深化にも否定的立場を採っている。

ブレア首相は、議長就任に先立つ先月23日の欧州議会での演説で、議長として「欧州の生産性向上」のために「根本的改革」に取り組む意欲を示した。ブレア首相の主張の背景には、統合に懐疑的なイギリス国内での支持を回復する意図と共に、フランス、オランダにおいてEU憲法批准を巡る国民投票というかたちで統合に対する否定的見方が過半を超えることが示されたことや、ドイツで9月にも実施される総選挙で、より米英寄りのキリスト教民主同盟(CDU)への政権交代が予想されるなど、独仏が主導してきたEUの従来型の路線見直しに向けた追い風が吹いていることがある。

確かに、雇用改革や域内サービス市場の一体化など、ブレア首相が最優先課題とした項目について、EUは多くの取り組みの余地を残している。EU財政についても、歳入は経済規模に応じた拠出金(66.8%)、関税収入等(11.9%)、付加価値税(VAT)の一定比率(13.5%)、歳出はCAP関連支出が42.6%を占め、低所得国・地域を対象とする地域格差是正基金との合計で76.3%(いずれも2004年実績)という構造をそれぞれ見直すことが望まれるところだ。また、僅か4%に過ぎない研究・技術開発関連支出のウェイトを引き上げることにも合理性があろう。

3.注目されるブレア首相の舵取り

イギリスが、これらの改革をEU内で比較的近い立場を採る北欧などの支持を得ながら前進させることができれば、EU経済活性化への道筋をつけることになろう。その一方、イギリスがCAPの見直しを主張する背景に「リベート制」維持への意欲が見え隠れしているため、強硬姿勢はかえって、CAPの最大の受益国であるフランスとの対立の鮮明化ばかりでなく、CAPをEU加盟のインセンティブとして重視してきた中東欧などの農業のウェイトが高い新規加盟国の反発も招き、結果的にイギリスが孤立し、EUの意思決定のスピードが大きく鈍ることにもなりかねない。

EU財政は、機能とともに加盟国全体の国民総所得(GNI)の1%を僅かに上回る水準と規模も小さいため、仮に下期も交渉が決裂し、2007年度からの予算執行に遅れが生じたとしても経済への直接的影響は限定的だ。しかし、意思決定の遅れによりEU統合のベネフィットを得られない状況が長期化すれば、統合の推進力が次第に低下することは避けられない。

イギリスのアプローチは、欧州の停滞の打開策となり得る可能性を秘めると同時に、加盟国間の亀裂を深め、停滞を長期化させるリスクも伴っている。今年下期のブレア首相の舵取りが注視されるところだ。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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