コラム
2003年03月10日

ふつうの国”ニッポン”の貯蓄の謎

石川 達哉

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1.6.9%に低下した「国民経済計算」ベースの家計貯蓄率

日本の貯蓄率が国際的に高いという「常識」はもはや当てはまらない、という趣旨のことは、以前にも当コラムで書いたことがある(2002年2月18日号「高齢化が家計貯蓄率に与える影響」、2002年6月7日号「貯蓄・投資におけるグロスとネット」)。

先般、内閣府から公表された「国民経済計算」確報によると、最新の家計貯蓄率(2001年実績)は前年から2.9%も低下して6.9%となっている。1990年以降の系列が公表されている現行の「国民経済計算」統計(93SNA)だけでなく、1955年から1998年までの実績値がカバーされている旧体系(68SNA)の系列を含めても、家計貯蓄率が10%を割り込むということは、これまではなかったことである。もはや家計貯蓄率が高いとは言えないどころか、OECD諸国のなかで中位以下の順位になってしまったのである。日本の家計貯蓄率が米国や英国とほぼ同水準になることはかつては想像もできなかったことかもしれないが、長期的な下落トレンドと2001年の急落の結果として、現実にはそうなりつつある。日本の「低い」はずの失業率が上昇して米国の失業率を上回った時期があったが、ショッキングなニュースとして伝えられたのは一時のことで、今は日本・米国・英国の失業率がほぼ同水準だからと言っても誰も驚かない。貯蓄率に関しても、日本が特別な構造を持った国というような固定的なイメージにとらわれていると、目の前で起きている変化さえ見落としてしまうだろう。

ところで、家計の貯蓄率が前年と比べて2.9%低下したということは、消費性向が2.9%上昇したことと同義である。これが旺盛な消費マインドによるものと思う人はいないであろう。賃金削減などによって可処分所得が大幅に減少するなかで、家計が消費をそれほど減らさなかったに過ぎないというのが一般的な見解である。可処分所得が急激に減少した場合、短期的には、その結果として計算される消費性向が上昇、貯蓄率が低下するのは当然だという説明になる。
一方、長期的に家計貯蓄率が低下傾向を辿ってきたという趨勢的な変化に関しては、社会全体の高齢化を反映したもの、すなわち、「資産を取り崩して可処分所得を上回る消費を行う無職の高齢者世帯」の割合が高まってきたことを反映したものと考えられる。むしろ、現役労働者の多くは、当面の失業リスクや将来の公的年金給付削減に対する不安から、出来ることならば消費を控え、貯蓄を増やしたいというのが本音ではないだろうか。
これらの点については、「国民経済計算」ベースの家計貯蓄率だけを見ても、わからないのである。

2.「勤労者世帯」の貯蓄率は26.9%と高止まり

そこで、世帯ベースの消費・貯蓄動向を毎月調査している総務省の「家計調査」を見ると、「2人以上の勤労者世帯」の貯蓄率(黒字率)に関する2001年実績値は2000年と同じ27.9%であった。2002年は26.9%に低下しているが、10年前の25.5%と比べれば高位にあり、趨勢的な低下を続けてきたというのとは違う。むしろ、雇用不安によって勤労者世帯の貯蓄率を押し上げる力が作用してきたことを計量的に分析した実証研究も存在するほどである。
明らかなのは、「2人以上の勤労者世帯」の貯蓄率が「国民経済計算」ベースの家計貯蓄率と比べて水準が非常に高く、変化の方向も異なっていることである。こうした「マクロとミクロの乖離」には、理由がある。

その1つは、両統計における可処分所得・消費・貯蓄を構成する項目についての概念が大きく異なることである。例えば、「国民経済計算」においては、持家からも賃貸住宅と同様の住宅サービスの消費と所得が発生すると考え、それを可処分所得と消費に反映する「帰属計算」を行っている。その「持家の帰属家賃」はGDPの1割、家計消費の約2割にも相当する。「持家のサービスに関する帰属計算」を適用しない家計貯蓄率を試算すると、公表値の6.9%よりも7.5%も高い14.4%という数値が得られる。他の項目に関しても、このような概念上の違いが多岐にわたって存在しており、結果的に両統計の貯蓄率水準の差をもたらしている。

もう1つの理由は、「家計調査」における「勤労者世帯」には引退した高齢者の世帯が含まれていないことである。広く知られているのは「勤労者世帯」の貯蓄率であるが、「無職世帯」や「高齢無職世帯」の貯蓄率も公表されている。60歳以上の高齢無職世帯の貯蓄率は2000年-16.2%、2001年-20.4%、2002年-26.0%と大きなマイナス値になっているうえ、マイナス幅が5年連続で拡大している。世帯数に関しても、現役世代を含む全世帯に占める高齢無職世帯の割合は年々上昇し、22%に達している。
前述の概念上の違いはあるにせよ、引退した世代と現役世代の加重平均が社会全体の数値に対応するはずである。引退した世代、世帯としての貯蓄率がマイナスになる世代の割合が高まることが、社会全体の貯蓄率、「国民経済計算」ベースの家計貯蓄率の趨勢的な低下をもたらすことも、理の当然であろう。


3.マクロでは低いがミクロでは低くない株式保有の割合

家計の貯蓄に関する「マクロとミクロの乖離」は、実は、ストック面でも見られる。
マクロ統計で国際比較する限り、わが国家計の保有資産に占める株式の割合は極めて低い。だが、世帯統計で見ると、日本・米国・英国の数値はほとんど違わないのである。乖離というより、謎と称するべきかもしれないが、いずれも統計上の事実である。

まず、前述の「国民経済計算」統計で2001年末の家計部門の保有資産を確認すると、総金融資産は1398兆円、うち、株式・出資金は94兆円と6.8%のシェアにとどまっている。米国と英国のマクロ統計を用いて2001年実績値を見ると、金融資産に占める株式の割合は米国が33.5%、英国は13.7%であり、日本のそれとは大きな隔たりがある。もっとも、住宅・土地という価格変動の激しい実物資産を含めた総資産を対象として比較すれば、日本の家計のリスク性資産の保有割合が低いとは言えない。株式と住宅・土地の合計シェアが日本49.2%、米国53.4%、英国50.7%とほとんど差がないからである、しかし、金融資産内部でのシェアに限定すれば、日本の家計部門における株式の割合が非常に低いことは、厳然たる事実である。

他方、世帯ベースの統計を見ると、家計における株式保有の割合に関して日本と米国・英国の間に大きな差は存在しない。国際比較できるのは平均残高のシェアではなく、保有している世帯の割合に関してである、という点に留意されたい。
何がしかの金融資産を保有している世帯の割合(保有確率)を比較すると、日本が99%、米国は93%、英国は92%であり、大きな差はない。通貨性預金を保有している世帯の割合も、92%、91%、86%と同様である。肝心な株式を保有している世帯の割合に関しては、日本の19%に対して、米国では21%である。英国については、株式のほか社債・地方債・外国債券を併せたベースで25%である。米国の債券保有割合は、Saving Bondsと呼ばれる個人向け国債に限れば低くないが、一般債券の保有確率は日本よりも低いくらいである。
このように、世帯統計を見る限り、金融資産選択においては、流動性の高い預貯金が優先されることは日本・米国・英国でほぼ共通しており、株式などの保有確率すら酷似していると言ってよいであろう。
実物資産保有に関しても同様である。自分の住宅・宅地を保有している世帯の割合、すなわち、持家率は日本が60%であるのに対して、米国と英国では68%である。ここでも差は小さい。

それでは、マクロ統計を用いた場合との乖離はどのように説明されるのであろうか。答えは資産保有の集中度にある。米国と英国では、株式などの金融資産がほんのひと握りの資産家に集中しているのだ。それゆえ、社会全体には巨額の保有資産が存在するという事実と、世帯における保有確率や標準的世帯における資産残高は大きくないという事実が両立するのである。ちなみに、英国国家統計局の試算によると、上位1%の資産家が英国家計の純金融資産(金融資産-負債)総額の1/3を占有していると言う。
逆に、米国や英国でも実物資産保有の集中度はさほど高くない。豪邸か、普通の住宅かの違いはあっても、年収の数倍の資産価値があるのが住宅であり、6割を超える世帯で自己所有されているためである。そして、標準的な持家世帯において、金融資産と実物資産を合わせた総資産の中で最も高額な資産は持家である。この点に関しても、日本と共通する特徴である。

もちろん、日本・米国・英国における家計貯蓄の構造や保有資産の性質が同じだと言うのではない。資産としての持家を巡る状況について言えば、米国と英国ではバブルの可能性が懸念されるほど不動産市場が好況を呈しているのに対して、日本では10年以上も価格下落が続いている。しかも、米国と英国では、消費目的で利用される住宅担保ローンが拡大している。株価調整後も米国と英国の消費堅調が続いてきたのは、住宅の資産効果によるものだという説が有力になっているほどである。その真偽は別にしても、消費を目的とした住宅担保ローンが普及しているのは米国と英国であり、他の欧州諸国や日本には当てはまらない。むしろ、そうした点においては、日本は実は一般的な国であって、現状の米国と英国が「特別」な国であるという見方も可能であろう。

いずれにせよ、家計貯蓄に関する限り、フローの面でもストックの面でも、日本を特別視すべき合理的な理由は見当たらない。少なくとも、日本を「貯蓄するのが特別に好きな国」「安全資産に偏重する国」と言えないことは確かである。一見しただけではふつうの国とは思えない面があるが、実はふつうの国であるというのが、わが国"ニッポン"の真実に近いのかもしれない。「マクロとミクロの乖離」はそうした真実の断面を示すものと言えよう。 

 
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