コラム
2002年12月20日

北風と太陽

櫨(はじ) 浩一

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1.太陽政策と北風政策

お隣り韓国の大統領選挙では、現在の金大中大統領が進めてきた北朝鮮への太陽政策の継承の是非が大きな争点となった。変化を望まぬ者を突き動かすのに、飴が効果的なのかムチが効果的なのかは古来論争の種である。イソップ物語の「北風と太陽」では、旅人のマントを力ずくで脱がそうとした北風が負けて、ぽかぽかと暖めて旅人が自らマントを脱ぎ捨てるように仕向けた太陽が勝ったということになっている。

バブル崩壊後10年以上にもなる経済的不振を考えると、日本経済がなんらかの変革を迫られていることは明らかである。大きな変化には常に社会的な抵抗がつきもので、こうした中をどうやって変革を進めるかというのが大きな問題だ。ここでも抵抗を粉砕して改革を進めるという「北風政策」をとるのか、新たな誘因を提供したりして抵抗をコントロールして社会を変えていこうという、「太陽政策」をとるべきかという路線上の問題が常に発生する。

シュンペーターは創造的破壊こそが資本主義の本質であると説き、バブル崩壊直後にはこれを引用して不況にも存在意義があるという、いわば「北風」の効用論なども見られた。逆に1985年のプラザ合意直後には、低成長下よりも高成長下の方が日本経済の構造調整は容易であるという「太陽」政策というべき考え方が有力で、低金利や財政による景気刺激が行なわれる背景となった。


2.高成長は構造変化を加速したか?

高度成長期には農業などの第一次産業から第二次産業へと大量の労働力が移動し、地方から東京など大都市圏への大量の人口移動が起ったが、これがスムーズにおこなわれたのは高成長のおかげである。成長産業の労働需要が農村からの人口流入を吸収して余りあり、むしろ人手不足の状態だったからだ。

一方プラザ合意後の日本は外需依存型から内需依存型経済への移行、サービス産業化などが課題であった。バブル経済で経済成長率は高まったが、この間に第二次産業のウエイトはほとんど低下しなかった。第二次産業の就業者数が1987年から1992年の間に228万人も増加しているだけでなく、全就業者中の構成比も33.3%から34.1%に上昇している。バブル期の高成長は必ずしも構造調整を促進したわけではなく、むしろ衰退するはずの産業までもが高成長のおかげで生き延びるという結果になってしまったとも言えるだろう。


3.北風政策は日本に何をもたらすか?

小泉内閣における経済政策の哲学は、太陽政策と言うよりは北風政策だ。イソップの北風と違って、こちらの方は不振企業から簡単に雇用者を吐き出させることができるだろう。問題はその後だ。

バブル崩壊後は第二次産業就業者の比率は大きく低下したが、低成長で日本経済の構造変化が加速して望ましい変化が起きているとはとても思えない。日本経済の構造改革が進まないのは人々が生産性の低い部門にしがみついているためで、これらの人々がより生産性の高い分野に移動すれば日本経済が復活すると考えているようだが事実は違うのではないか?経営不振企業の雇用者は新しい職を見つけようと必死になっているが、成長産業自体がほとんど見つからず、不振産業から多くの人が退出してもそのまま失業者にとどまっているから失業率がこれほど上昇しているのではないだろうか?北風は旅人のマントを脱がすことに成功するかも知れないが、旅人が寒い思いをするだけに終るのでは寓話ならともかく現実の政策としては意味がないのではないだろうか?
 

 
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