コラム
2002年12月09日

なおも進む欧州の実験

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1.1年1カ月ぶりの利下げに踏み切ったECB

欧州中央銀行(以下、ECB)が5日の定例理事会で1年1カ月ぶりの利下げを決めた。ECBは昨年、合計4回1.5%の利下げを行ったが、年前半は、政策金利を据え置いた場合も、利下げを実施した場合も、市場から事前の対話が不十分であったとの批判が噴出し、ユーロが売りを浴びせられた。しかし、今回は、事前にインフレと景気のリスク・バランスに対する見方を変えつつあることを明らかにし、利下げへの地ならしを行ってきたことや、利下げ幅が予想の上限であった0.5%とされたことが好感され、ユーロ高の基調を損なう材料とはならなかった。米国経済の先行き不透明からくる消去法的なユーロの選択という側面もあろうが、ユーロ発足4周年を目前にして、ECBの政策運営のスタイルが徐々に確立し、市場の理解が広がりつつあるとの見方も可能であろう。

2.払拭しきれない景気の先行き不透明感

とはいえ、今回の利下げがユーロ圏経済の先行き不透明感の払拭に十分な効果を持ちうるかという点は別の問題だ。
とりわけドイツ経済は、厳しい輸出環境を想定せざるを得ない状況では明るい見通しを描きにくく、ユーロ圏の景気回復の足を引っ張る構図が続きそうだ。労働市場の硬直性と高コスト体質、旧東独地域の産業基盤の弱さ、過剰建設投資などの構造問題を抱え、近年の景気回復はもっぱら輸出が牽引するパターンとなってきたからだ。
財政・金融政策面からの下支えにも多くを期待できないことも、ドイツ経済の先行き不透明感を強めている。ドイツの財政赤字は2002年にGDP比で3.8%と「成長安定協定」の上限の3%を超える見通しとなり、ユーロ参加国間の取り決めに従って「財政赤字是正措置」の適用対象となった。2003年度予算案には、付加価値税やキャピタルゲイン課税など広範な分野での増税や年金負担の引上げが盛り込まれており、企業・家計の行動を制約することになるだろう。
利下げの効果も、ドイツ経済の浮揚という点では限定的なものに止まりそうだ。ドイツのインフレ率は1.6%とユーロ圏内で最低の水準にあり、一方にはアイルランドなどインフレ率が4%を超える国がある。単一の政策金利の下ではドイツの実質金利は相対的に割高なものとなる。企業の景況感も、ユーロ圏の中には改善の傾向を示す国があるものの、ドイツでは輸出回復期待の後退や増税、労組からの高率の賃上げ要求などの悪材料から悪化が続いている。金融機関の貸出姿勢が、景気低迷下での不良債権の増大で慎重化していることも、利下げ効果の波及を妨げるおそれがある。

3.真の信認確立への長い道のり

財政赤字の拡大による政策運営の手詰まりは、温度差はあるが、フランスやイタリアなどその他の主要国も直面している問題だ。2003年度予算案を策定する段階では、大国から「安定成長協定」を型通りに運営することが悪循環を招くリスクがあるとして規定の緩和を求める動きが出る一方、財政健全化を実現した中小国が反発するなどの動きがみられ、財政の健全性を相互監視するメカニズムへの信頼が揺らぐ場面もあった。結局、ドイツの財政緊縮に加え、昨年時点で4.1%という大幅な財政赤字を計上したポルトガルも赤字削減強化の方針を固めたことで、まずはルールを遵守し、協定の解釈について見直しを検討する方向で決着したことは、ユーロの信認向上に資するものとして好感されたようだ。
しかし、来年度に向けた財政の緊縮が狙い通りの成果を挙げうるかは定かではなく、ユーロ圏経済の低迷や域内諸国間の景況格差を拡大させるリスクがある点に留意が必要だ。ドイツの景気低迷は、ユーロ圏におけるウェイトの高さ故に域内他国の成長を制約するおそれがある。スペインやギリシャ、アイルランドなどユーロ圏のキャッチ・アップ過程にある国々の中でパフォーマンスの悪化が目立ち始めていたポルトガルが、緊縮財政でさらに立ち後れることにならないのかということも不安材料だ。
発足から4年を経て、ようやく安定しつつあるECBの金融政策運営方法も、早晩、見直しが必要となってくる。ユーロ未参加の英国、デンマーク、スウェーデンや、欧州連合(EU)加盟が予定されている中・東欧諸国の参加に備えた新たな体制作りが必要となるからだ。これらの参加が実現すれば、政策委員会のメンバーは現在の18人から33人に拡大する。現行のコンセンサスに基づく政策決定という方式を維持すれば、意思決定の遅れがさらに深刻化するおそれがある。5日の記者会見ではドイゼンベルグ総裁が、参加国を3つのグループに区分し、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ユーロ参加後の英国からなる大国グループの議決権のウェイトを高める方式を採用する意向を明らかにした。この方式が、意思決定の迅速性を保ち、且つ、中小国や新規加盟国の意向も反映しながら最善の政策決定を導きだすものとして機能しうるか、現時点で判断することは難しい。
単一通貨の導入が壮大な実験であり、欧州の統合のあり方も「深化」と「拡大」によって絶えず形が変わっている。ユーロ圏の先行きにはマクロ政策運営の枠組みひとつとっても検討すべき課題が山積しており、利害が異なる参加国間でコンセンサスによる解決の道筋を探るには相応の時間が必要だ。真の信認確立への道のりはまだ長いのである。

 
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伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

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