コラム
2002年07月19日

自己責任時代の保険の役割

経済研究部 専務理事   櫨(はじ) 浩一

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1.個人がリスクを負う社会

今年の4月から定期性預金のペイオフが開始された。これまで政府が銀行などの定期預金の元利支払を全額保証していたものが、元本1000万円までしか保証されなくなる。来年4月からは普通預金など決済制預金のペイオフも解禁され、銀行預金の全額保護は終りとなる。もともと制度がそうだったのだとは言うものの、事実上国の護送船団方式の政策下で金融機関の経営が行き詰まるなどということは想像もできなかったから、預金者の自己責任が初めて問われるようになったと言って良いだろう。

国や企業がリスクを負う経済から個人が直接リスクを負う社会へというのは、現在の構造改革の大きな柱である。確かにバブル崩壊後の日本の金融システム不安が長引いている原因は、日本が間接金融主体の経済であり、個人ではなくて金融機関がバブル崩壊で現実化した損失を負う形になっているからだ。

年金制度を見ても超低金利が長期化しており、確定給付型の企業年金制度は企業の負担が大きくなり過ぎて現実的ではなくなってきた。企業年金も企業が負担額の変動リスクを負う確定給付型から、個人が給付額の変動リスクを負う確定拠出型へと大きくシフトしようとしている。

社会主義経済が崩壊してしまい、国が何でも面倒を見るということが非現実的であることは誰の目にも明らかになった。個人がリスクを負う社会への流れは不可避と考えられる中で、一個人としてはどこまで自分がこうしたリスクに対応できるのだろうかという不安もある。個々の消費者が耐えられるリスクの大きさはたかが知れている。しかし、国や企業が面倒を見てくれない社会になったからといって、個人が単独でありとあらゆるリスクに直面しなくてはならないというわけではない。


2.より多様な保険の提供を

そもそも株式会社や投資信託、そして保険は不確実な個人のリスクを多数集めることによって相殺したり、予測可能なリスクに変えるために考え出されたものだ。多くの危険は個人個人にとっては予測不能でも多くの人が集まれば、発生数は予想可能だ。またある人にとっての損失が別の人間にとっては利益となり、多数が集まれば相殺することができることもある。私の父は電気技師で水力発電所の管理をしていたことがある。毎朝洗濯物の乾き具合が心配な母はもちろん、遠足や遊びで天気が心配な兄弟も一緒になって雨が降らないようにと心配していると、水力発電所の水不足が心配な父が空を見ながら雨が降らないかと祈っており、雨が降ると喜ぶ人もいるのかと思ったものである。

人々の様々な危険を政府が税金で面倒を見ようとすれば、どうしても政府の肥大化を招く。老後の資金ひとつをとっても、若い時に楽しんで老後はつつましくと思う人もあれば、若い時に苦労しても老後は悠々自適の生活を送りたいという人もいるだろう。残念ながら政府が作る公的制度ではこうした様々な個人の好みは満たすことができない。民間企業こそこうしたニーズに応える主体だろう。個人がリスクを負う社会は、多様な個人のニーズに対応しつつ個人のリスクをいかに分散・相殺するかという点で、保険に更なる使命を与えているのではないか。


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経済研究部   専務理事

櫨(はじ) 浩一 (はじ こういち)

研究・専門分野
マクロ経済・経済政策

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