2000年05月01日

日本経済に足りないもの

経済研究部 専務理事   櫨(はじ) 浩一

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サラリーマンの夢が社長になることにあるとすれば、ほとんどすべてのサラリーマンの夢は破れる運命にある。高齢化や組織のスリム化で部長や課長の夢ですら遠くなっていく。だからと言うわけでもないが、夢の実現に道半ばで敗れていった者の物語には心の琴線に触れるものがある。塚本青史「項羽-騅逝かず」(集英社)を最近読んだ。漢の高祖劉邦と覇を争った項羽は歴史の上では敗者ということになるが、虞美人とのロマンスなど今なお人の心を引き付けて止まない。この時代の物語は四面楚歌とか麻雀好きなら夢見る国士無双など色々な故事成語の源泉でもある。
判官びいきという訳でもないが、成功者の話しはどうも自慢やお説教が鼻に付き、あまり好きになれない。成功談よりもむしろ失敗の話から学ぶことの方が多いように思われる。1929年のNY株式の大暴落に端を発する大恐慌は様々な経済政策の失敗の結果だということだが、むしろそのために経済学ではいまだに研究の大きなテーマの一つで、第二次世界大戦後の世界経済を支える数々のシステムを生み出す源になった。そう考えれば「失われた十年」とも言われて何も生み出さなかったように思える1990年代の日本経済も、後世振り返ると多くの教訓や制度改革を生み出す宝の山だということになるのかもしれない。10年の年月を生かすも殺すもこれからの対応次第ということになるのだろう。


●足りないのは需要だ
この10年に学んだことの一つは、公共事業の追加などの需要創出型の経済政策を繰り返してきたが、失業の増加などの短期的な痛みを緩和する鎮痛剤のような働きはするものの、病気を治療するには至らなかったということだ。風邪薬は熱や鼻水などの諸症状を緩和して楽にはしてくれるが、風邪を治しているのは人間の身体の防御機能だ。そこで、構造改革論者の多くは日本経済が再び成長経路に戻るためには、財政赤字や企業の競争力の強化など日本経済の基礎的な体力を強化することが必要だと主張する。IT 革命による米国経済の変貌は目覚しい。バブル崩壊後にバランスシートの悪化や収益の悪化に苦しんでいる日本企業に比べて、米企業の生産性の伸びが勝っている。あれほど問題だといわれた米国の財政赤字もいまや大幅な黒字を誇るまでになった。日本の経済政策の御手本が米国にあるよう見えるのは確かである。
とは言うものの、他人の病気に良く効いたというだけで自分も同じ薬を飲もうと思う人はあるまい。症状が似ていても同じ病気であるとは限らない。1980年代の米国経済の低迷と現在に日本経済の低迷では原因が大きく異なるのではないか。米国は貯蓄と投資が不足だったが日本では貯蓄も設備も過剰で不足しているのは需要、それも消費需要ではないだろうか。日本全体の生産能力である潜在GDPと現実の需要で決まっている実際のGDPとの乖離は、GDPの約1割にものぼるほど膨大である。日本経済に足りないのは生産力ではなくてそれを生かすための需要だ。設備投資の拡大や技術進歩で日本の生産性を向上させれば日本全体の生産力をさらに拡大させることになるが、需要がなければせっかくの技術も設備も宝の持ち腐れである。結果的には設備の稼働率が大幅に低下して生産性が全く上昇しないか、あるいは一人当たりの生産性が上昇してより少ない人員で需要に対応できることになり、不要になった労働者は失業者となるだけに終わる恐れが大きい。


●需要不足の根元にある高齢化問題
成功のために過去の失敗から学ぶことは重要だ。日本経済を成長経路に戻すためには短期的な需要の追加ではだめで、「構造政策」が重要なことは確かだ。しかし、短期的な需要喚起策が失敗したから、それなら供給側の対策だというのでは短絡的過ぎる。求められている構造政策は多くの構造調整論者が言うような供給力を高める政策ではなく、むしろ需要を増やすものでなくてはならない。現在の日本の需要不足の原因は消費の不振である。これは日本の家計部門が老後に備えて節約し、現在の消費を削ってせっせと貯蓄していることから生じている。消費低迷の根本にある老後の不安への対応を抜きにして、いくら需要喚起の努力を行ってもそれは一時的なものに終わってしまう。求められているのは現在の日本の消費が伸びない原因となっている老後の生活の不安、とりわけ病気や寝たりきりになった場合の介護への不安を取り除くことである。この意味で4月からスタートした介護保険が早期に軌道に乗り、介護への不安の解消に役立つことを期待したい。もちろん老後の生活保障は大きな問題だが、それについてはまた稿を改めて述べたい。

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経済研究部   専務理事

櫨(はじ) 浩一 (はじ こういち)

研究・専門分野
マクロ経済・経済政策

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