1997年03月01日

歴史の活用

細見 卓

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戦後繁栄を続けてきた日本の経済や国力の優位性が翳りをみせている。その原因として、戦後賛美されてきた日本的やり方とか考え方が批判されている。これまでの日本の発展は素晴らしく、「ジャパン アズ ナンバーワン」のように日本に見習うべきものが多いとする説は影を潜め、むしろ日本的な考え方や物事の処理の仕方が行き詰まりの原因であるとして、これを根本的に改めない限り、再生は困難であるとする説が多い。さすがにこのような現状を前にして、政財界あげて改革の必要と経済停滞の原因である規制緩和を声高に叫んでいる。橋本内閣はこのような事態に対処するために、いわゆる6つの改革として各方面の制度、組織の根本的変更を決意しているといわれる。

「形あるものは全て、片時も留まることなく変化を続けていかなければならない。そのため一度頂点に達した後は、国の運命も下降(downturn)が待っているだけである。」とは、400年前にマキャべりが当時の大国の運命について語ったところであるが、その説は今なお当てはまらざるをえない真実である。現状のまま放置しておけば、日本は下降の運命を辿るのも必至のごとく見えるが、何の改革もせず下降を待つというほど国民の意欲が衰退しているとは思いたくない。どうあっても橋本首相の6つの改革は実行されるべきである。この6つの改革の必要性と有用性については国民の誰もが疑いのないところであろうが、気になるのは教育改革の重要性の強調が不十分のようにみえることである。およそ国運の下降は、精神的な強靭さの低下と分けて考えることはできず、国民の精神的強化を促進できなければ、多くの改革論議も基本を欠き画餅に帰す恐れがある。効果に時間のかかる教育の改革はこの意味で国の再生のため最初に手を着ける、そして最も緊要な問題であろう。

戦後の教育に対する評価は各方面でされており、その改革の方向についても各層で活発に議論されているので、ここでその詳細な内容について立ち入るのは止めたいが、私は、現在の教育に一番欠けているのは、個性の確立に対する配慮だと考えている。教育とは個人の持っている能力を引き出すことにあるというのを忘れ、画一的な枠にはめ込むものになって、自立の判断力が養われていないことが今日の民族的活力を失う元になっている。個人の知性を高め、判断力を強化していくのに最も有効なことは、先人が困難な事態に面していかに対処したか、何故成功あるいは失敗したのかを歴史上の事実に則して教え、自ら考えさせることである。ところが今の教育は、個人の意志や善意を軽視した唯物論的抽象的歴史教育に流されて、人間の偉大な業績を極力矮小化して教えている。

今日、歴史認識の違いがいわれるが、これはあるいは違った歴史教育を受けた世代間の差であるのかもしれない。歴史教育において必要なものは、事実に則し、当時の環境下での人間の判断を知り、人間に対する理解を深めることである。歴史は繰り返さないというが、人間の歴史の中では同様の事態がたびたび起こっているのも事実である。例えば、大英帝国が衰退していく過程で辿った英国の改革論や政治的混乱は今日の日本の混乱や政治的情景に非常に似ているようだ。今日日本では盛んに危機が叫ばれているが、1901年において英国の当時の皇太子(後のジョージ5世)は、沈みゆく英国民に向かって、「英国よ、眼覚めよ!(Wake up England!)」と絶叫したことが想起される。また同時に自由党首のローズベリー(伯)は、「20世紀は変転極まりない時代で、凄まじい国際競争の時代となろう」といったが、20世紀を21世紀に置き換えればそのまま今日にも当てはまる。英国の繁栄をもたらした伝統の「自由貿易」のイデオロギーと自国の存続に必要な「経済の効率化」をめぐっての英国の苦闘は、日本の自由化をめぐる困難を彷彿させるものがある。

宙で考えるのではなく、生きた現実で考え、似通った環境で対処した前人の事跡を十分に把握することなく問題の解決に猛進すれば、いたずらに傷を大きくする可能性すらある。かって中国の清朝は、西洋近代文化の移植による洋務運動で傾く政権の立て直しを図ったが大きな失敗に終わっている。これらの事跡を事実に則して追うことは、今日の改革に決して無駄にはならないと考えられる。切に識者の認識の深化と活用を望むところである。

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