1996年09月01日

オリンピックに思う

細見 卓

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国中が熱狂したアトランタオリンピックも幕を閉じた。思いがけない爆弾事件が起こったとはいえ、概ね順調に終了し、一応の成果を上げた。しかしながら、日本の成果は如何という点からみれば、真に残念な結果であった。メダルの数を論ずるわけではないが、日本で前評判の高かった多くの選手が、期待された成果を出せないままに終わったことは、単にスポーツの世界だけでなく、今の日本の国のあり方をも類推させるものがあるようである。

第10回ロスアンジェルス大会における水泳陣の大勝以来、旭日の勢いであるかのごとく期待された日本のスポーツ選手の実績は、その後、思うように伸びてはいない。スポーツの成果が即、全体の国力と結びつくものでないことは勿論だが、総体として日本の力が衰退していることの現れでないことを祈りたし、。経済の分野においても、日本は追いつけ、追い越せの非常に強い力を発揮して、戦後瞬く間に世界の先進工業国の仲間入りを果たした。しかし、日本の強運もそこまでで、2回にわたるオイルショックや近年のバブル崩壊の影響を強く受けて、日本経済の基本的な力が停滞気味のようである。

先般のリヨンサミットにおいて、先進国首脳は自国内の困難にもかかわらず、経済の自由化、グローパル化にコミットした。先進国、特に欧州諸国の経済困難は、失業率の高止まりに代表されるように、福祉政策推進の大きな障害となっている。現にフランスは労働者福祉のカットを行おうとして、大きなストライキを引き起こし、ドイツでも福祉切下げのためにコール政権はその命運を賭けている。

市場経済原理が最も貫かれたとされる19世紀は、イギリスの覇権の下、各国経済は市場原理を徹底したが、ために労働者の困窮と農村の貧困を引き起こし、これが2度にわたる戦争の遠因にもなっている。その反省の上に、戦後の先進諸国は、人権の保護と社会福祉の徹底を最も基本的な原理として受け入れてきた。しかし今やアジアに代表される途上国の強い競争力の前に、国内経済は幾多の困難に遭遇している。にもかかわらず、先進諸国は先般のリヨンサミットにおいて、貿易と労働条件との間に密接な関連性を持たせて、途上国からの貿易攻勢を遮断するのではなく、引き続き門戸開放、世界経済一体化の方策をとり続けることにしたわけである。

アジア諸国の経済発展に伴う、国内産業の空洞化等の経済困難は日本も例外ではなく、むしろ地理的、経済的にこれらの諸国と密接であるだけに、その困難は欧米諸国を上回るものがあることを予期しなければならない。最近の日本経済の回復は著しいというが、それはこれら諸国からの廉価な原材料・部品調達によるところが大きく、世上よくいわれる人員カット等のリストラクチャリングは、ごく限られた業態にみられるだけである。空洞化が進む日本の産業は、在来技術依存の多雇用型から、ますます知的付加価値の高い製品の生産販売に向かわねばならず、また非効率な流通機構の存在を容認することもできなくなってくる。

つまり、経済の世界一体化が進めば、メガ・コンペティッション(大競争)の時代になって、日本の得意とする大量生産廉価販売をもって、これら低賃金国と競争するのは困難になってくる。他国より一歩先んじ、数歩進んだ高い価値を持つ製品を弾力的に生産する経済に改変していかなければならない。戦後の追い上げ期間においては、非常に弾力的で、状況変化への対応が早かった日本経済も、その成功と繁栄の評価に甘んじている間に、オリンピックに成果同様、評価倒れになってきているのかもしれない。

オリンピックは再び大決心で選手の練成、強化を始めれば、あるいは元の栄光を取り戻せようが、経済については、それほど短期日に体質改善を行うことは至難の業である。企業経営のあり方、人材の使い方の改革の他に、より根本的には基礎的科学研究の充実や、引いては独自性を育てる教育のあり方の刷新にまで至る困難な課題である。ことはオリンピックだけの問題ではない。日本経済も成熟段階に入り、このような新しい行き方を考えなければどうにもならなくなることを教えられたと思うのは考えすぎだろうか。

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