1995年05月01日

時には立ち止まって考えよう

細見 卓

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日本では、初志貫徹とか不退転とかいうのが、永く男子の美徳とされてきた。初心を変えず、勇猛邁進、困難にめげず目標に立ち向かう姿はまことに美しい。しかし、もしその目標が間違っていたとしたら結果は虚しく、惨めなことである。

戦後50年も経つが、当時の多くの若者が国の大義を信じて死んでいった戦争が、実は謝るべきものであったという議論が時の政治家から聞かれるのは、戦争参加者の一人として誠に残念至極なことである。これはまさに、戦争に至った過程で踏み止まって方向を修正できず、結果的に崩壊への途を辿っていった当時の日本人の不甲斐なさに対する痛烈な反省を呼び起こすものである。何故我々は戦争に至るまでの次のような重要な局面で適切な状況判断の下、新しい進路に戻ることができなかったのであろうか。当時と今とは勿論状況は大きく異なっているが、大事なことは情勢の変化に機敏に大胆に対応できるようになっているかである。反戦の決意を新たにするのも結構であるが、更に大切なことは次のような歴史の教訓を繰り返さない程、社会は進歩したかという反省と決意である。

  1. 国際連盟に提出されたリットン報告書では、日本の満州における権益はある程度認知されていた。にもかかわらず、中国大陸からの撤退の条件に、国際的な環境の変化を考慮して、一部軍閥の行き過ぎた侵略主義を国として放棄し、中国からの撤兵ができなかった事情は何か。あるいは、斎藤隆夫代議士等の粛軍の主張が国民の盛り上がる支持によって実ることがなかったのは何故なのか。
  2. 仏領インドシナへの進駐は米英不可分論からいえば日米関係の終局的破壊に繋がるものであることを知りながら、何故早急な進駐を決断したのか。
  3. この南方進駐に対する米国等の報復的措置により、石油その他の軍需資材の不足から2年を超える戦争の遂行は不可能だと認識しながら、海軍首脳達までがそれでもなお、長期戦が予想された太平洋戦争への道に突入していったのは何故か。

というような今日からすれば、合理的な疑問が当時の日本では何故国民全体の中で声を大にしてその可否が問われることなく、軍国主義の空気に流されるままになったのか。国の決断として賢明さと慎重さに欠けたのは、やはり立ち止まって流れに抗して考え直す余裕がないという精神的脆弱状態の世論のせいであったが、それは今改まっているだろうか。これは我々日本人にとって不戦の決議よりも民族としての叡智を取り戻すため、より真剣に反省する必要のある基本的な問題だと思う。

これをみてもやはり大切なことで当時は欠けていたものは、時には時流に反してでも、立ち止まって前後左右を冷静に見定める知恵と勇気を持つことであった。太平洋戦争の頃に見られた、空気のような論理の明瞭でないムードに流され、思考修正する我々の弱点は、最近の政治改革においてもまだ克服できてないように見えるのは悲観的すぎるであろうか。当初は政治の根本改革を目指し、新しい、質的に高度な政治体制の確立を狙っていたとされる選挙法改正はいたずらに地盤争いに終始している。政党の離合集散はあったが、どの政党が具体的にどういう政策を指向しているのかは国民にとって漠としており、知名度を頼んだ、芸能人を含む有名人の争奪さえ行われているようである。

初心に帰れとか、初心忘るるべからずといった言葉はまさに当今の政治情勢にこそ用いられるべきものであろう。今まさにここで、我が国の将来を大局的に真剣に議論できる政治体制の確立に向け、政治家のみならず、我々選挙民も各々が真剣に考え、重大な決意の下、選挙に臨まなければならない。大事なときに大事な判断をしないで、漫然と選挙を迎えるのでは、先般の大戦同様、後世悔いを招くことは必至であろう。

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