1995年04月01日

事実から目を背けるのはやめよう

  細見 卓

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いつかこの欄において曖昧さを避けようと書いたことがあるが、事実を直視して正確な判断と対策をとることなく、問題を先送りして現実から逃避しようというわが国のいわば陋習はなかなかやみそうもなく、この国の将来を考えると寒心に耐えない。

満州事変に始まる今次大戦において、日本が敗北したことを終戦と言い、占領軍を進駐軍(駐留軍)と呼び、戦争の末期に一億火の玉攻撃を唱えていたマスメディアが、戦後打って変わって進駐軍歓迎、民主主義万歳と唱えたことからも明らかなように、明白な失敗と敗戦の事実から目を覆って、待望の新しい未来が生まれ出るかのごとき言論が風靡した。また近年では湾岸戦争に際し、先進国同士の石油確保を目的としたエゴによる戦いであるかのごとく報道した言責についても、ついにその当否を明らかにするような論議が行われていない。人間社会に間違いは避けがたいものであり、国家の判断にも間違った情報に基づく、誤った政策がとられることはないとはいえない。大切なことは間違った政策を間違いとして認識し、何故間違ったかを事実に基づいて深刻に反省することで、ここに社会国家の進歩がある。間違いを間違いとして認めることは大変勇気のいることであり、誰もが避けたいことである。しかし、このような厳格な事実認識と自己批判をおろそかにしておけば、問題を長引かせるだけでなく、その間にいろんな希望的な願望が加わって大きな過誤と混乱を引き起こすことになる。

世界大戦に参加した日本の戦いがいかなるものであり、また日本の行動がどのようなものであったかについて、東京裁判が行われたわけであるが、それが戦勝国の一方的な正義の押しつけであり、間違った事実認識の上に立ったものであるというなら、事実に基づいて間違いを論駁することが必要である。曖昧なままにお互いに遠巻きの議論を重ねて、事実の真否を不明確にしてきたことが、今日、終戦の意義を巡っての混乱を引き起こし、国論の分裂を招いているのは残念である。

ロンドンのエコノミストは、“既に50年も前の事がらについての当否は歴史学者の学問的検討に委ねるものであって、政治家が当今の立場から解釈、価値判断をすることは適当ではない”と喝破している。とかく視野狭窄症に陥りがちな我々にとっては傾聴に値する言葉であろう。日本が恥の文化であり、面子を重んじてきたこと自体は一つの美徳として、また日本人の潔さとして認められるところであるが、そのために眼前の事実に目をぶり、いたずらに面子に狗りすぎるのはかえって恥ずべきことであろう。当局者が一部の事実を秘匿しようとし、また日本のマスメディア等がそれをことさらに暴き出すようなことを続けておれば、ついには国際的な非難の対象になり、日本の面目の失墜になりかねない。

私自身も戦争に参加した世代として、戦争時の熱狂からくる幾つかの愚行については、認識がないわけではないが、これは戦場の兵士の常であって、日本軍のみに固有のものであったとは考えない。ただその時に、非常に悲しいことに社会、世界に関する情報が遮断されていて、世界の風潮に対する認識を欠いていた。戦争の最中ということを差し引いても明らかに世界の大きな流れに盲目であり、これが一層の熱狂と野郎自大をきたし、戦争への盲目的な傾斜を高めていったのである。情報の不足は単に渉外術の稚拙さからくるものだけでなく、面子に拘り、相手の言うことを間かないという偏狭な頑固さがもたらしたものである。それが的確な判断と理性的行動を狂わせる原因となった。こうした中、多くの兵士はもくもくと容赦のない命令の下戦い、そして命を失っていったわけである。

終戦50年を迎え、今一度こうした人達のことも含めて太平洋戦争の残酷であった現実を反省して、これを繰り返さないようにするということが重要であって、その際あくまでも大切なことは、事実のみを語らしめて、いたずらに奔放な感情や観念の赴くままに身を溺れさせぬことである。そしてそのありのままの正確な事実をどう判断するかは後世の歴史家に任せることで、当今の政治家が自らの政治的意図に動かされながら判断すべきことではないと思う。日本の対応は既に世界が注目している所であり、新生日本の発足に相応しい決断と行動が避けて通れなくなってしまっている。

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