1992年12月01日

曖昧さの排除

細見 卓

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個人生活においては、その行動が余りにも明々白々であっけらかんとしていることが必ずしも褒められたことではなく、むしろ若干の隠された何かがある方が奥ゆかしいとか味があるというような評価を受けることが多い。このような日本人の特性は、個人の社会生活においてのみならず、本来合理性を中心にして外部に対し明白であるべき公的な分野においてもこうした曖昧さが多く見られる。

現在世間を騒がせている政治改革においても国民の怒りを一番買っているのは、政治家の行動の曖昧さである。つまり、政治家の公約が単に守られないというだけではなく、その金銭的基盤が曖昧模糊としており、いわゆる裏の部分が余りにも多すぎることに対する国民の怒りである。今国会での政治改革の議論において政治資金や政治行動の透明性についてどこまで改善を図れるか予断を許さないが、これまでのような暖昧さをそのまま黙認することはもはや許されないであろう。こうした曖昧さが混存される原因は、一つはルールが明確でないため恣意的な処理が可能なことであり、又、誠に残念ながら時には権力が法より優先するような事態をも生み出し得る不透明性である。

しかしながら、このような不透明性が取り上げられるのは政治活動に限られたことではなく、海外からの日本に対する批判の最たるものは日本の経済運営の不透明性である。わが国の経済運営は明確な公表されたルールや法律に必ずしも支配されるものではなく、そこに不文律のようなものが存在し、加えて行政指導という国家権力による介入が当然のごとく行われるために、事情に通じない外国人には迷路のような混迷を感じさせているようだ。

市場経済とは言うまでもなく、経済に関する諸指標と実態について部外者からも明確に判断でき、正確な予想ができることがその存立の根幹である。このことは中国や旧ソ連における市場経済化がいかに多くの障害に遭遇しているかを見れば明らかである。市場経済の唱える機会均等や経済活動の自由というものは、経済の実体が容易に外部から補足できることを前提にしなければ成立しえないし、又、それなくしては経済の真の国際化は不可能である。

日本経済における企業の実態は未だ保守主義や便宜主義の跡が色濃く残り、企業会計においても正確な経済計算を可能にする時価主義に拠らず、いわゆる含み経済とか、あるいは利益の過小表示のような手法が当然視されてきた。今日のごとく日本経済が国際的に飛躍し、諸外国と共通のルールで競争しなければならなくなった時にわが国だけがあたかも異質のルールに従っているかのごとき印象を海外に与えていることは甚だ残念なことである。至近の例をあげれば、日本経済はバブルの崩壊によって資本市場の再構築と土地の安定的取引の促進が今強く要請されているにもかかわらず、株主資本の収益力やその将来展望について公示の原則が何一つ前進しないばかりではなく、地価についても適正時価あるいは土地に絡む信用創造の実態等が国民の前にまったく明らかにされず、依然として暖昧なままという状況である。更にはこのままでも何とはなく今の事態は改善され、苦境から脱出できるとするような意見も多い。しかしながら、1929年のニューヨーク株式市場の崩壊に端を発した1930年代の経済の荒廃から、あの米国でさえ本当に立ち直るのには10余年の歳月を要したという歴史の教訓をすっかり忘れ、現状を曖昧なままにしてこの難局を乗りきれるかどうかは甚だ疑問である。

もう一度皆で日本の政治、経済、そして社会に根強く残っているこうした暖昧さと不合理さを今後どのように排除すべきか真剣に考える必要があるのではなかろうか。

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