1992年02月01日

透明性

細見 卓

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やや旧聞に属することだが、東京サミットの開催にあたって時の大平首相が、国際情勢に明るい人達を集めて、会議に臨み留意すべき事柄について教示を求めた時のことである。東大仏文の名誉教授をされた前田陽一先生が、総理に向かって会議に参加するそれぞれの国の特性を簡潔な言葉で述べられた。それは次のとおりであった。
  仏:フランス人にとっては、言葉がすべてである。(フランス人はどんなことでも必ず言葉で表現できると考えている)
  独:ドイツ人は言葉を信頼する。
  英:イギリス人には、言葉に裏がある。(表面的な意味だけでない微妙な合意が多い)
  米:アメリカ人は多くを語るが、やや漠然としている。
そしてそういう外国人と交渉するにあたって大事なことは、実行できないことを雰囲気に呑まれて約束しないことである、と前田先生が言われたのを二人とも故人となってしまった今でも昨日のことのように記憶している。

日本の対外交渉の型というのは、最初に「ノー」と答えることからスタートして段々と交渉の雰囲気に呑まれて、相手国の無理な要求に対しでも無理を承知しながら漠然と了承するケースが多く、そこからどうも抜け出すことが出来ていないようである。無理な要求に対して、たとえその部分的な実現を約束するにしても、論理的に物の考え方に賛同してその実現に月日をかけるのではなく、考え方の論理については相離れたままで只相手の顔を立てるとか、義理を果たすとかいった非常に主観的理由で行われることが多い。こうしたやり方で約束をすれば、約束が実現されなかった場合は、日本側にはせっかく相手の無理な要求を聞こうとしたのにその好意を踏みにじられたという不満が残り、相手方にも日本は約束を守らなかったという不快感を与えて終わることになり、実際そうした事例も少なくない。

その結果、日本人はその場その場で適当に妥協する、いわゆるダブル・スタンダードの国であるという不信感を植えることになり、それがそのままパーセプシオンとなってしまっているのが、今回のブッシュ大統領訪日での日米会談でも余り改まっていないように見えて大変残念なことである。

日本が対外交渉にあたって、羊頭狗肉や言行不一致にならず、明確な理念を持って最後までそのプロセスを遂行することができないのは、政治論的には権力の中空性によるものであり、究極の責任者がいつの間にか不明となってしまう共同無責任体制に由来するものであるとする人が多いけれども、必ずしもそれが的を得ているようにも思えない。要は、戦後の経済発展の成功の過程で出来上がった既得権の体系というものを根元から崩して、新しい国際環境に適応できるものを創り上げていこうという国民的自覚と意志を欠いているところに問題の多くが根ざしているようである。つまり、これという決心、改革への決意というものが、経済繁栄の平和な時代にすっかり馴染みのないものになっており、交渉の場では、官民挙げて既得権の虜としてその場凌ぎの対応しか出来なくなってしまっているようである。

外国との交渉を進めるにあたって、一番大切なことは相手国から信頼されることであり、そのためには小さな事柄についても一貫して約束を違えない、つまり表裏がない透明性が、相互信頼関係を築く上で今こそ最も問われていることを痛感させられる。手の内に何かを隠していると思わせる曖昧さと論理や理念のない妥協は禍根のもとであるという経験が、今に至るまで未だ活かされていないのは、官僚制のせいばかりとはいえない社会の根本的な欠陥ともいえるようだ。

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