1991年02月01日

知的交流について

細見 卓

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日本と諸外国との摩擦は第一義的には経済の利害の衝突、特に日本の輸出攻勢に対する反発に始まっていることは自明のことであるが、経済摩擦の原因である日本の貿易収支はここのところ連年縮小し、その黒字のGNP対比は言われていた危機ラインを遥かに下回るものになってきている。にもかかわらず、海外からの対日批判は貿易摩擦、投資摩擦等を原因とするものに代わって、日本企業の海外活動そのものに対する批判に移ってきているようにみえる。数年来大変厳しかった先端技術に関する摩擦や、あるいは日本の企業経営の在り方に対する批判といった、単に数字の上の改善で解消できないような分野に摩擦が及んできているのは、大変残念なことである。

日本悪しというパーセプションギャップの問題が言われてから既に久しいが、海外の日本に対する認識は、我々の努力にもかかわらず殆ど改善をみていない。日本の所謂国際化を目指しての過程で、日本人の海外居住者のマナーの向上や地域同化が努められており、日本人の海外旅行者は言うに及ばす海外留学者の数も著しく増えており、所謂文化交流と名うっての日本文化の海外披露のようなことも度々行われている。それにもかかわらず海外の日本及び日本人に対する眼は、相変わらず厳しいものがあり、日本の本当の姿というものも必ずしも理解されているようには思えない。

私はその理由は、表面的な文化交流の活況に比して、相手の本質を相互に理解するような知的な交流があまり進んでいないところに根本の原闘があるように思う。特に、日本の学術的な分野においては、単に社会科学の面でみるべき交流が行われていないだけでなく、科学技術の面においても未だに真の意味の互恵関係ができておらず、日本は一方的に吸収するだけで知的な相互の交流という意味では、著しく見劣りしていることにその原因が見出せると思われる。かく言えば、日本の優れた研究者が米国の研究機関で主要な研究の当事者になっており、十分日本側からの発信もあるとの反論が出ると思うが、実際は日本の研究機構の不備のために多くの頭脳が流出しているのが実情ではないかと思う。かつて米国東北部の有名な科学技術の専門大学院において、レシプロシティの欠如を理由として日本人研究者の受け入れ拒否、あるいは一部研究機関への日本人参加の拒否等の問題が起きたのも、日本側における海外の優れた研究者受け入れ機構の無さによるものと言われた。端的に言えば、所謂センターオブエクセレンスの欠如する日本は、外国の研究者にとって魅力がないのである。例えば、日本が最も進んでいると言われる先端的な科学技術は、実際上、私的企業の私的な研究機関で盛んに行われていて、日本の大学や大学院では殆どみるべきものはなく、外国の研究者からみれば留学したいという気持にはならないのである。

京都大学と共同の研究機構を設けたスタンフォード大学のさる責任者が日本を去るにあたって、京都大学は入学する時は多くの俊英を集めているが、卒業する時にはあまり秀れた人が見出せないと言っていたけれども、このことは一京都大学の問題ではないのではないかと思われる。その国の将来を担う知的なリーダーになるべき人達の間に、活発な知的交流が行われるような、そしてまた日本を真に知的に理解し日本人と知的に交流できるような外国の人々を引きつける水準の高いセンターオブエクセレンスを日本の中に如何にして創設していくべきかは緊急の要務であると思われる。なぜなら、日本が本当に知的にも文化的にもしっかりした、共に世界の建設に協力していくべき国であると海外の人々に理解し納得してもらうためには、こうしたセンターオブエクセレンスが不可欠であるからである。留学生10万人受け入れ計画がスローガン倒れの浮ついたものにならないためにも、自然科学、社会科学の分野両方で、このようなすぐれた機関を造り出していくことが必要であろう。欧米間のような血族的繋がりの薄い日本にとっては、この知的な共感を醸成していくことが何にも増して大事な時代になろうとしているのではなかろうか。

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