1989年07月01日

急激なインフレに悩む中国経済 - その病因を求めて10年間の開放政策を振返る -

柳田 幸男

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■見出し

1.10年の経済体制改革の回顧
2.増幅されたインフレ要因
3.インフレ昮進下での国民生活と政府の対応策
おわりに


当事務所がある北京は現在(5/31)戒厳令下にあり、当然のことながら政治体制および経済には一部混乱がみられる。本稿は年初から温めてきたテーマに沿い脱稿したものであるため、その分析、考察のベースとなった諸デー夕、資料等は過去のものである。そのため、本稿は戒厳令以後の中国経済の動向を予見するものとしては相応しくないと考えるが、読者諸賢には何故中国が現下の緊迫化した情勢に立ち至ったかを判断する経済面からの糸口の一つとして本稿を捉えて頂ければ幸いである。


■はじめに

中国は1978年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(3中全会)において経済体制改革および対外経済開放の推進策を決定した。以後10年間は当施策をベースに中国経済は多少の紆余曲折を経たものの、ほぼ順調な発展を遂げたと評価されている。

ところが、1987年に経済改革の一支柱であった価格改革が俎上に載るや、物価の値上りを予見した国民、企業が物資の買いだめに走ったため、1988年の全国平均小売物価は前年比18.5%上昇、特にインフレの激しかった広東省では12月期に前年同期比40%にまで上昇し、一部地域では銀行からの取付け騒動までに発展した。

政府が同年8月に 、下半期の価格改革凍結を宣言して以来買いだめの騒ぎは一応収束したが、これにより、趙紫陽総書記ら改革派の目指す価格改革は一歩後退した形になった。

しかしながら国民心理として根強いインフレへの恐怖感、政府の政策に対する不満は日を追って昂り、これが折しも本年4月の胡耀邦前総書記の死に端を発した学生の民主化要求行動を全面的に支援する形となって現れたものと言えよう。

本稿では中国経済が経験した10年の改革、開放政策の成果を振り返るとともに、その一連の施策のなかで、いかにしてインフレ要因が醸成されていったか、また国民の本質的な不満はどこにあるかに焦点をあて、改革着手後の中国経済状況について一考を加えてみたい。

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